・たとえば東北、地名を聞いてもさっぱりわからない。
地図を見ないと。
昨日、青森の南津軽出身、というホームレスの人と話した。
福祉もらわないの? と聞くと、もう三回クビになった、というから、何度でも行ったらいいですよ、こんなところでぽっくりいかれるよりもましなんですから、と知った口を利いた。
地図をみると、青森は東の太平洋側に下北半島、東北本線を北に行くと野辺地というところで分かれて、陸奥湾沿いにはなんとか大湊線というのがむつ市まで走っている。むつ市には日本原子力開発機構というのがある。また、大湊港近くには航空自衛隊と海上自衛隊がある。むつ市の東側に東通村があって、太平洋岸には下北砂丘というのが見える。東通原子力発電所というのを誘致しているらしい。その南の太平洋岸に六ヶ所村というのがある。六ヶ所村から南へ、八戸との間くらいに三沢市というのがある。三沢市というところは、小川原湖という湖のほとりにあって、東北本線が走っており、米軍基地と、自衛隊三沢基地がある。
その東北本線を三沢から北へ行くと、野辺地がある。
野辺地というところから西に奥州街道沿いに東北本線を行くと青森市に着く。青森市は北側に青森湾があって、港がある。
青森市を付け根として、西側から北に向かって津軽線というのが松前街道沿いに走っている。この半島が津軽半島か。北端から津軽海峡をわたると北海道。北海道の南端は松前半島。
ちなみに地図を見ると、東側の下北半島のほうが、北端がより北にある。その北には、同じく津軽海峡をわたって函館。
また、津軽半島の付け根で青森の西側同緯度くらいに、五所川原市、つがる市、というのがある。
・東北自動車道というのは、安代ジャンクションで分かれ東の太平洋側に行くのが八戸自動車道。西側へ行くと青森まで通じている。
東北新幹線というのは、青森県八戸市のほうへ行く。八戸には自衛隊の駐屯地があり、太平洋岸に八戸港がある。
その八戸から、南に向かって、太平洋岸には八戸線というのが岩手県久慈市まで走っている。
久慈市から太平洋岸に下って行くと宮古市がある。宮古市とだいたい同緯度の西に盛岡市がある。盛岡市の南側に花巻市がある。東北自動車道や、東北新幹線、東北線が通っている。
宮古市を太平洋岸に南に行くと釜石市がある。花巻と釜石との間には釜石線というのが走っている。
釜石市を太平洋岸に南に行くと大船渡市、陸前高田市がある。同緯度の西側に奥州市、平泉がある。
岩手県陸前高田市を太平洋岸に南に行くと宮城県気仙沼市がある。
同緯度の西側に岩手県一関市がある。東北新幹線や東北自動車道が走っている。さらに西側日本海岸には酒田市がある。
気仙沼市を太平洋岸に南には気仙沼線というのがあって、目を南へ移すと南三陸町がある。南三陸町の西側に登米市というのがあって、さらに西側に行くと東北新幹線が走っている。くりこま高原駅というのがある。栗原市がある。
南三陸町を太平洋岸に南へ行くと北上川が太平洋に注いでいる。さらに南に行くと女川町があり、その直角西側に宮城県石巻市がある。女川市の南には牡鹿半島がある。
石巻市は宮城県内第二の人口を擁する市らしい。ウィキペディアによると、「広域合併により、市域は北上川下流の仙台平野(石巻平野)から、女川町を除く三陸海岸南端(牡鹿半島)一帯まで広がった」らしい。旧北上川が北から南の太平洋と流れている。
石巻市の西側に東松島市がある。仙石線というのが西の仙台市まで通っている。
仙台市には東北本線、東北新幹線、東北道が通っている。仙台市の西側ほぼ同緯度には山形市がある。
太平洋岸に南に目を移すと、名取市がある。さらに南に行くと、阿武隈川が太平洋に流れ込んでいる。さらに南に目を移すと常磐線というのが通っていて、阿武隈川沿いの岩沼市というところで東北線に合流する。
南に行くと宮城県と福島県の境があって、南の太平洋岸には常磐線沿いに相馬市がある。相馬市の西ほぼ同緯度に福島市がある。福島市の西側同緯度に目を走らせると新潟市が日本海岸にある。
その南には南相馬市がある。
南相馬市は、「いわゆる「平成の大合併」における原町市と小高町、鹿島町の3市町村の合併によって2006年(平成18年)に誕生した」。旧鹿島町には太平洋岸に東北電力原町火力発電所がある。
南相馬市の西側同緯度には二本松市がある。
常磐線をさらに南に行くと浪江町、双葉町がある。双葉町には福島第一原子力発電所5号機と6号機が、その南の大熊町には1号機と2号機が立地している。西側同緯度には郡山市、さらに西に猪苗代湖、さらに西に会津若松市がある。さらに西側には新潟県長岡市や南に柏崎市がある。柏崎市と刈羽村には東京電力柏崎刈羽原子力発電所がある。
常磐線は双葉から南に行くと若干西側にそれ、大野駅、夜ノ森を経て、再び東側の太平洋岸のほうへ向かい、富岡駅がある。
富岡町には漁港がある。また、東京電力福島第二原子力発電所がある。
富岡町の南には、楢葉(ならは)町がある。島第二原子力発電所の1~4号機がある
楢葉町の南には広野町がある。広野町には東京電力広野火力発電所がある。j-village というのが楢葉町と広野町にまたがってある。
その南にはいわき市久之浜町がある。
いわき市は、福島県浜通り南部にある市。中核市に指定されており、福島県内で最大の人口、および面積を持つ(人口では仙台市に次いで東北地方で第2位、面積では鶴岡市と宮古市に次いで東北地方で第3位である)。
常磐線はいわき市四ツ倉駅あたりから、太平洋岸から西へそれいわき駅がある。いわき市にはスパリゾートハワイアンズがある。常磐線湯本駅と常磐自動車道いわき湯本との間にある。太平洋岸には小名浜港がある。
常磐ハワイアンセンター
1964年(昭和39年)に運営子会社として常磐湯本温泉観光株式会社を設立し、1966年(昭和41年)にオープン。
高度経済成長を遂げる日本に於いて、海外旅行が自由化されたものの、庶民には海外旅行など高嶺の花という時代であり、開業前の悲観論を尻目に、大型温水プールを中心にした高級レジャー施設として、1970年代には東京方面から多くの観光客を集めた。特にホテルは1泊3万円以上と、当時では破格の料金が設定された。
1980年代には、アイドル歌手や演歌歌手が多く営業に訪れた。特にアイドル歌手には、「引退寸前の歌手が行く公演先」として忌避されがちであったが、多くの「追っかけ」と呼ばれるファンが訪れたという。その一方で、レジャーの多様化や施設の陳腐化などにより集客が鈍化。やがては、海外航空運賃の激安競争の煽りを受け、本当のハワイに行った方が安いとまで言われた。
スパリゾートハワイアンズ
1990年(平成2年)、総事業費50億円をかけ「スプリングパーク」をオープン、長年親しまれてきた一方、田舎臭いなどという声のあった名称「常磐ハワイアンセンター」を「スパリゾートハワイアンズ」に発展的変更を行い、イメージチェンジを図る。
前身の常磐ハワイアンセンターのコンセプトであった「ハワイ」「南国」に後にブームとなる「温泉」を加えたこと、東京や仙台などからの無料バスによる送迎サービスを行うなどの集客努力などが功を奏し、現在では年間140万人を越える集客まで回復、多くのリピーターも獲得し、他のリゾート施設の苦戦を尻目に健闘を続けており、長寿リゾートテーマパークとして多くの人々に親しまれている。2005年度には常磐ハワイアンセンター時代の1970年(昭和45年)以来の年間利用者数150万人を達成した。
いわき市の西側には白河市、那須塩原市がある。
いわき市から南へ行くと茨城県北茨城市があり、常磐線大津港駅がある。茨城県最北端の駅であり、常磐線は取手駅から当駅までの各駅が茨城県に属する。
さらに南に行くと高荻市、日立市がある。日立市は、総合電気メーカー・日立製作所の創業の地として知られる。
日立鉱山から発展した鉱工業都市である。1905年、久原房之助が赤沢銅山(後の日立鉱山)を買収し、久原鉱業所(現在のJX日鉱日石金属)を創業して以来の企業城下町として、後年はその機械部門が分離・独立した日立製作所の企業城下町となるが、現在は両社とも本社を東京に移転している。他に似たような企業城下町には、豊田市(トヨタ自動車)や新居浜市(別子銅山、住友グループ)などがある。
なお、都市名と企業名の混同を避けるために、日立市民は都市名を『日立(ひたち)』と呼び、日立製作所を『日製(にっせい)』と呼んで区別している(日製の略称はかつての日製商事=現在の日立ハイテクノロジーズなど、日立グループでも用いられる)。
日立市という名は、企業名をもとにつけられたと誤解されることが多い。しかし前述のように、日立の地名は徳川光圀によって名付けられたものであり、日立製作所(およびその母体である日本鉱業)の成立以前から「日立村」という地名が存在している。企業名はここからとられたものである。
福島県富岡町付近から日立市北部にかけての地域では、常磐炭田の存在によって明治中期以降は石炭産業が盛んであり、市内では旧十王町地区に櫛形炭鉱などが開かれていた。しかし、1960年代以降石炭産業は衰退し閉山に追い込まれた。
日立市の西側同緯度少し南には栃木県宇都宮市がある。現在、市域人口は50万人を超えているという。
日立市の南、常磐線を南に行くと東海村がある。
東海村は、日本で最初に原子力の火が灯った村として有名である。1957年に日本原子力研究所(当時)東海研究所が設置され、日本最初の原子炉であるJRR-1が臨界に達して以来、多くの原子力関連施設が集積することとなった。現在は日本原子力研究開発機構、日本原子力発電東海発電所・東海第二発電所など多くの原子力施設が村内に存在し、また近隣の那珂市や大洗町にも大規模な原子力関連施設が存在する。東海村を中心とした茨城県の太平洋沿岸部は日本の原子力産業の重要な拠点となっている。東海村以外に、「原発銀座」「原子力の街」と呼ばれる市町村は、福井県敦賀市や青森県上北郡六ヶ所村が有名である。
1999年9月30日に東海村JCO臨界事故が発生した。村内では、施設の周辺住民の中性子線被曝や風評被害など、様々な影響があった。
東海発電所(とうかいはつでんしょ、東海原発)は、日本原子力発電株式会社(原電)が運営していた、日本初の商業用原子力発電所。炉型は英国製の黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉 (GCR) で、これに耐震強度の増強など、日本独自の改良を加えたものである。現在は運転を終了し、原子炉解体プロジェクトが進められている。
1960年1月に着工し、1965年5月4日、初臨界に到達。日本初の商業用原子炉となった。
その後27年間の営業運転を経て、1998年3月31日に営業運転を停止。
2014年 - 原子炉解体開始
常磐線は、その後南に、ひたちなか市、水戸市を通る。
そして、かすみがうら市、土浦市、牛久市、取手市を通る。
南へ下ると、利根川を渡り、千葉県我孫子市に入る。
利根川と手賀沼に挟まれた、茨城県との境に位置する。JR常磐線と成田線、国道6号と国道356号が分岐する交通の要衝。我孫子宿及び布佐の市街地を除き、概ね農業地域であったが、1970年代からはベッドタウンとして一部区画が開発され、人口が増加した。利根川沿い・手賀沼沿いを中心とした稲作、台地上での野菜の生産が盛んに行われている。
江戸時代には水運が栄え、特に東端の布佐地区は利根川の主要な河岸であった。大正時代から昭和初期にかけて我孫子は「北の鎌倉」と称され[1]、志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦、バーナード・リーチなど多くの著名な文化人が居を構えたり、別荘を持った。
常磐線はさらに、柏市を通り、松戸市へ。松戸市には常盤平団地がある(新京成線)。
さらに、江戸川をわたり、、綾瀬、北千住へ。
まとめ:
常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区の日暮里駅から千葉県北西部、茨城県、福島県の太平洋側を経由して宮城県岩沼市の岩沼駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。
名称については、常陸(ひたち)と磐城(いわき)の頭文字を合わせたものである(常磐自動車道も同様)。
なお、この経緯に由来して茨城県と福島県浜通りの県境周辺(北茨城市・いわき市南部)は「常磐地区」「常磐地方」と呼ばれることもある。
久ノ浜 - 鹿島間は福島第一原子力発電所事故の影響で詳しい被害調査が出来ず、鹿島 - 亘理間も軌道・駅舎が流失する等の壊滅的な被害を受けており、この両区間では復旧の目途は立っていない