調子悪いサイクルをなんとか打開したいと川へ行く。
珍しく早起きして(といっても大した早起きではないけど)徳島の渓を目指した。
厭な峠を越えてちょこっと支流へ車を寄せて
釣り支度をしてると地元のおっちゃんも早起きだ。
軽トラを寄せてきて
「ここはおらんよ~人がようけ来とるけんのぉ~釣れても2~3尾ぢゃろ」だって。
やなこと言いやがる暇があるんなら早く仕事しに行け!ってもんだ。
でも・・・オイラは素直さが取り柄さ。
最初っからこんなところで釣ろうとは思ってない。
ちゃっちゃと場所を変えた。
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本流筋なら釣るポイントが一杯あるから多少釣り人が入っていても
すべてのポイントを攻められるはずも無い。
竿抜け目指して頑張ろう!
毛鉤を昨日巻いた奴に取り替えて流れの筋を読んで
第一投!
この最初の一投が大事なんだよな。
緊張感を持って身構える。
緊張感を持って待ち構えないと突然のアタリをアワセられないからだ。
第二投!
:
:
第n投!
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シ~ンと静まり返る水面・・・
いかんなぁ。
魚が出ないのである。
白い毛鉤が流れに沿ってかなり自然に流れてるのに・・・
魚が飛び出てくれば刹那のアワセをくれてやるのに・・・
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遂に出た!合った!
でも、小さい魚である。リリース。
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また出た!今度は少し大きいぞ!
ラインを緩ませないように引き寄せてきた。
もうちょいのところで魚が暴れて逃げられた。
昨日巻いた毛鉤はこないだ東京で買ってきたTIEMCOの103BL#13
針先に返しがついてない鋭い針ではあるのだが
ラインがちょっとでもたるむと易々と魚の口から抜ける。
まあ~いいや。
返しの付いてない針に掛かっても逃げた魚はダメージが少ないから自然保護になる。
釣り人の汚れた手で魚体は握ってないし、返しが無いから傷口も極小だ。
オイラも何度か自分の指を釣ってしまうことがあっても
痛てぇ!とか言って、赤い血の玉が吹き出るけど
ちゅっと吸ってやればすぐ治ってしまうもの。
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そんなこんなで、釣り上がるけど収穫はゼロだ。
岩盤に当たって直角に流れが変わる暗いエグレ。
大抵こんなところにはいるもんだと確信して数投。
ガバッ喰って来たのは8寸の岩魚。
こいつも砂地へ上げた途端、口から針が抜けてしまった。
アマゴだとこれ幸いに逃げ出すが岩魚は動きが悪くて砂地にじっとしてる。
四国には本来居ない筈の岩魚だから退治することにした。
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とうとうこんなところまで上がって来たが坊主に近い。
しょうがないから支流へ入ってみよう。
緑に包まれた渓流は目に優しいけど釣れないと心には辛い。
この小さな流れでアマゴの忍法に騙された。
左端の溜まりに第一投!
瞬間喰って来た。
結構強い引きがあってバシャバシャと魚が暴れたと思ったら
グンっ!と固まった途端竿が上がらなくなった。
こういうケースって何年か前にも経験したことがあった。
魚が逃げるために潜った近くに沈んだ木があって
魚は逃げて針が木に掛かるってこと。
最初はこりゃぁデカイぞ!なんて喜んでるがそのうちに
あ、これはアマゴの変わり身の術に騙されたんだと気付く。
渓は美しく、アマゴには優しいが人には辛く当たってくる。
この渓もぼーず。
そんな日もあるよな。
帰り道。
心から参った人はこれで首吊って下さいませ!みたいな蔓が垂れていた。
やなこった。
誰がこんなので首吊るもんか!
緑に包まれての釣。
魚も遊んでくれたしこれで良いのぢゃ。
おちまい☆
釣れない釣りも、また釣りの醍醐味かと。
渓に身をおくことができたら、いい時間が過ごせたのでしょうね。
ブログ、いつものように、楽しませて頂きました。
この辺りの人々は、この辺りの川は、香川県民にくれてやったと
那賀郡や海部郡、高知県へ行きます
ナルさんの鮎漁は如何ですか?
緑に包まれて一人渓に佇めば、シアワセ感がこみ上げて来ますね。
雨が降るともっと良いんですけどね。これからです。
高知、愛媛へ出撃してます。
心掛けの立派な源流釣り師も沢山おりますよ。
8寸イワナいいじゃないですか!一谷何尾釣ったのでしょうか。数や型、そんなに大事じゃないと自分は思っております(生意気ですが)。
銀毛鉤、枝に絡めない様に大事に使っております。魚の出はとてもいいですよ。見習って白いハックルの毛鉤を巻いてみました、泣き尺以上のアマゴの報告楽しみに待ってます!
ただし、今年は鮎遡上は例年よりも多いと感じています。
貴方みたいな素敵な釣り師からのコメント死ぬほど嬉しいですよ。
そうですよね。毛鉤の釣って数とか大きさを競うものではないと思います。
ミミズで手が汚れ、竿もベタベタする釣ぢゃないから。
やっぱ、バーブレスで挑んで、それで外れたらそれもまた良いぢゃないかって釣・・・魅力があります。
なんでもかんでもリリース。しかも魚には判らない言葉で、「有難うね!」なんてセリフ吐きながら釣るのも嫌いです。
所詮、魚にはダメージが残ります。
その罪悪感みたいなのと、自分がどう対峙するのか?その点をもっと突き詰めて考える事も大事なんでわ?
と思ったりします。
魚釣れば、結局はいたいけな動物をいぢめてるだけなんぢゃないか?って感覚を忘れたくないですね。
それを景色が良かったから?渓が厳しかったから?な~んてこと言って正当化しようとする。
みんな自分を騙してると思ってもそれを言えない弱さ。
魚釣りって・・・やっぱ、止めた方が良いような気もします。
今晩、オイラ酔っ払ってます。な~んだか寂しくてね。
また、ゆっくり呑みませんか?人生を深~く考えながら。
時折、友達から鮎釣りやろうぜ!って誘われたことが何度かあります。
でも、な~んだか友釣りってのが厭なんですね。
友釣りの面白さを語る友の語り口が厭なんです。
だって・・・囮の鮎とそれより少し大きな鮎がスレ掛かる。
スレ掛かりした魚って倍くらい暴れるぢゃないですか?
都合、3尾以上の引きがあるわけですよね?
その引きが楽しいってのは、なんだか幼稚な気がします。
で、自分は鮎の友釣りって好きになれないんですね。
鮎を餌で釣るとか、毛鉤で釣る、つまり囮鮎なんか使わないで一対一の釣りをするんでしたら、おいらもやってみたいと思うこともありますけど。
何言ってんだか?今晩は呑みすぎです。
無礼をお許し下さいませ。
そういう考え方も確かにあるかもしれませんね。
その一方で、友釣りというものを、掛かるまでの事象と、掛かってからの事象と、を分けて考えるのもありかも知れませんね。
私は、掛かってからの事象よりも、掛かるまでの事象が友釣りの醍醐味だと思っています。
掛かってからの事象を大事にすれば、銀次郎のおっしゃる通りだと思います。
掛かるまでの事象を大事にすれば、餌釣りと同じことかと思います。それは、魚と正に相対する座です。