箱根駅伝も終りかけた頃、電話が鳴った。
一年ほど前から闘病していたお年寄りが他界されたと。
3日は仮通夜
4日に本通夜
そして、5日・・・今日が告別式
隣町まで、3日連続して出掛けてきた。
人間、死ぬことは恐れるに足らぬ。
しかし、死に至るプロセスは辛い。
98歳の大往生。
延命治療は拒絶し、葬儀を行なうお寺まで指定してたそうだ。
人間、死ぬときの有様はかくありたいと思った。
でも、葬儀のあり方まで厳密に指定することは出来なかった。
なぜなら、葬儀は死に行く人がやるわけではなく、残されたものがやるからだ。
葬儀を執り行う者は、死者の生き様を厳密に汲み取って、彼にふさわしいものとすべきだ。
それこそが、彼に対する最低限の礼儀であろう。
生きて残される人間のための葬儀であってはなるまい。
死に行くものを弔うためのものなのであるから。
てなことを、つくづく考えさせられたお葬式でありました。
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