台風が来るまではそれなりに暑かったのですが、まぁ耐えられないほどのものではなかった。
それが降りこめられたのが過ぎてみると
まぁ~なんちゅう暑さだ。
いよいよもって37℃の世界が到来した。
そんな日に写真展があるぞ!と愚妻がけしかけるではないか?
なになに
老練なカメラマンの個展が某喫茶店で開かれるとある。
よろよろとカメラを肩に掛けて厳しい日差しの中を町中まで出かけた。
な~るほど。
この写真家の心意気が伝わってくるような良い写真展でした。
20歳の頃からプロとして働いて足掛け50年
彼の半世紀に亘る主張が息づいていました。
写真ってなんだろうねぇ。
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世界の大きな写真展で受賞している最近の若い写真家の写真を見る機会があったが・・・
オイラには、「こりゃ~写真ぢゃない」としか言いようがありませんでした。
画像のこねくり回し!
兎に角、写真と言ってもディジタル画像を元にして
その画像をフィルムで撮り直して
熱湯で現像するとか
現像したフィルムを焼いてみたり・・・
あるいは
AdobeのPhotoshopでいじくり倒したような画像群。
こんなのを写真と言うのだろうか?
評論家たちは、進歩的なものと捉えてるふりをしているようだが
「こんなの写真ぢゃねぇ!!」って
本当は言いたいのでしょうけど
気象庁やNHKと同じでそういう過激な事は言えないのでしょうね。
だとすれば
いまどきの政治家みたいなもんですなぁ。
写真家とか評論家って連中の辛い所で、奇妙奇天烈なモノでも
さも、理解してるようなフリをしないと
置いてきぼりを喰うような不安があるんでしょうね。
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フィルム写真の時代からディジタル画像の時代になったからと言って
写真本来の
「現実に存在するものを撮って
そこから撮影者個人のフィルターを通して超現実的な何かを掴みだして見せる」
という画像変換のありようを変える必要があるとは思えない。
ディジタルという存在形式が信じられずに情報を
物質的な存在として変化させたい欲望ってのは
アナログとかディジタルとかいう情報形式が理解出来ていないことからか
あるいはスマホなんてのいじくり回してるくせに
コンピュータを支えてる基幹技術や通信の基幹技術をまったく理解出来ていない
ところから発生しているのではないか?という思いがする。
写真なんてもの、そう肩ひじ張らずに
素直な気持ちで己が感じたことを
表せれば
それでいいんぢゃないのかなぁ~。
大体、写真の個展をやるとか、なんとか賞を受賞したいだとかいうところから
妙な心根が芽生えて来てるようにも思う。
「写真は人に見せてナンボのものですから!」というプロ写真家は多い。
でも、オイラはそんなの嘘だと思ってる。
不特定多数の人々に見せることだけが写真の目的ではない。
非常に個人的な想いの記録でもありうるのである。
そういうものは人になんか見せないものである。
人さまに見せびらかしたいと言う欲望に健全で上品なものがあるハズがないではないか?
なんとか賞を取ったぁ~というのを肩書にして
写真教室なんての大々的にやって飯を食おうって精神もあんまり上等なもんぢゃないような気がする。
今日は暑さで頭がやられてますので言い過ぎたことは平にご容赦願います。
(*- -)(*_ _)ペコリ。
コメントを有難うございました。
まぁ、これらの件については意見が百出するだろうと思います。
もう少しポイントを絞って議論する必要がありそうですね。
ポイントがいっぱいある書き方をしてしまいましたので混乱されただろうと思います。
賞を取る事で、生き甲斐を感じ生活の糧にする事は、有っても良いと私は思います。
痩せ我慢的に、自分を磨き倒して賞なんて言って要るのは、凡人に過ぎない様な気がします。
遣るからには、同じ土俵に立ったのだからやって駄目なら、それは、素質が無いと言う事に成るのでは。
又、20年やっても上手く出来ない人は、何時までやっても上手く成らないし、2、3年で上手くなる人は、上手くなると思います。
苦労無き者は報われない。
人一倍努力はしているはずだと思います。
そう言っても、いい加減差や人間の持ち味にも凄くかみされると思います。
出来ない人間は、出来ないと思います。
頭の内の考え方や、遣り方次第だと。
(派閥に属さ無い者は、後々作品が良くても消される運命かも知れません。)
何でも同じですが、趣味者とプロの差は物凄くかけ離れて要るのでは無いかと思います。
人と人の繋がりや果して、世間の繋がりにも大きく左右される様な気がします。
逆の場合は、数パーセントの人かも解りません?。