グリーンフィールド新居浜への道

J2愛媛FCサポーターのブログです

大分やるねぇ

2005年08月31日 06時53分34秒 | 2005大分トリニータキャンプ
大分トリニータオフィシャル
親善前座試合開催「大分トリニータU-12 対 愛媛新居浜選抜U-12」

トリニータがキャンプにてお世話になった新居浜市の選抜U-12チームと大分トリニータU-12が試合に先駆け親善前座試合を行います。
前座試合 大分トリニータU-12 対 愛媛新居浜選抜U-12 
ビッグアイピッチにて 16時35分キックオフ、15分ハーフマッチ
*キックオフ時間が上記に変更となりました。

6月の溝畑社長講演会でも、9月に福西のいるジュビロとの試合があるので、ぜひ新居浜からビッグアイへ観に来て下さいって社長が言ってたけど、口だけじゃなくこういうことをやっちゃうところがスゴイです。
でも、阿部ちゃんもう居ないし...

阿部吉朗は日本代表なの?

2005年06月24日 21時12分55秒 | 2005大分トリニータキャンプ

6月22日の大分トリニータ愛媛FCの試合で耳にした面白い発言集

愛媛にはJリーグはあるんかいねぇ 【おじいさん】
 →来年は愛媛FCはJリーグですよ~って言えますように...

カレンロバートって新居浜出身よね  【小学生男の子】
 →初耳ですね。そんな訳ないやろ~。今日学校は休みなのか?

あのキーパー、さっきから加藤しか言わんね(笑) 【小学生男の子】
 →愛媛FCの川本選手のことです。確かに加藤を連呼していました。

大分の江角って選手、KABAちゃんに似とるね 【20代男性】
 →う~ん、似てなくもないかな。江角選手って江角マキコの親戚だよね。

阿部吉朗は小さい頃○○アパートに住んどったんよ。お父さんが××に勤めとって、
大阪に転勤になって、つくばの研究所に転勤したんよ。 
【おじさん】
 →アパートの名前まで知ってるとは...

阿部吉朗は日本代表なの? 【おばさま】
 →上品そうな御婦人は、サッカーを知らないらしく新居浜出身と説明されこの発言。
   そりゃ阿部ちゃんが代表だったら嬉しいよ。


キャンプ最終日

2005年06月24日 00時31分05秒 | 2005大分トリニータキャンプ

10時過ぎにグリーンフィールド新居浜へ着きました。
観に来ている人は10人いませんでした。
近くの工事現場の作業員も観ていましたが、上司と思われる人が来て「サボるな」と言われて現場へ戻って行き一層少なくなりました。

6チームに別れバレーボールをサッカーボールにして、手を使わないようなこと(上手く説明できなくてスミマセン)をやっていました。

今日はどの選手も笑顔で楽しそうにやっていて、コーチも楽しそうでした。

だんだんと白熱して、ラインを出た出てないとか言い合ったりしていました。

ストレッチ

新居浜キャンプ最後のミーティング

11時過ぎ、選手はグリーンフィールド新居浜を後にしました。

と思いきや、4人の選手はまだ残っていました。

大分トリニータ vs 愛媛FC

2005年06月23日 23時44分05秒 | 2005大分トリニータキャンプ

グリーンフィールド新居浜に着くと、愛媛FCの選手達がフィールドにいました。

この横断幕は、もしかして...
誠実一路~我、大分的生活日記~さんのだ!

大分の選手達

我らが愛媛の戦士達!!

観客は200人くらいでしょうか。
大分トリニータのページによると阿部吉朗選手の卒園した幼稚園の園児らしいです。

午前10時キックオフ
南側で試合しているので、遠くて見にくいです。

次元こと矢野選手は、なぜか9番でした。本来は22番。

大分の選手は番号が無くどれが誰かわかりませんでした。

ビクトリニータマンは今日大分へ戻るそうです。

試合後インタビューを受ける吉村光示選手(南宇和高校出身)

大分トリニータ 4-1 愛媛FC

試合内容について色々語る程詳しくないので 第46代応援團長日誌 さんを参照して下さい。
今日は隣に大分から来たトリニータサポーターの方と一緒に観たのですが、大分さんが嘆く度にヨシ!ってニンマリしてしまいました。
正直もっとトリニータにコテンパンにやられてしまうのかと思っていたけど、愛媛FCも頑張って善戦していたように素人は感じました。
あと、大分は背の高い選手が多いな。

大分合同新聞の記事


午後3時から行われた高知大学との試合。
佐々木龍新居浜市長も観戦に来ていました。

溝畑 宏氏 講演会

2005年06月22日 00時47分21秒 | 2005大分トリニータキャンプ
6月21日午後6時半よりレーイグラッツェ ふじ(新居浜の人にとっては、ふじ結婚式場のほうがわかりやすいですね)にて、大分トリニータ代表の溝畑宏氏の講演会がありました。

スポーツでまちおこし 講演会
「愛・地域学 ~スポーツでまちおこし~」

会場に着くと、新居浜高専サッカー部のジャージを着た数人が看板を出していました。
ロビーのテレビではなぜか、6月5日の愛媛FC対ホンダロックの試合の模様が流れていました。

受付でA4用紙13枚のレジュメとトリニータのポケットガイドを受け取る。
内容は公演要旨とトリニータの年表、観客動員、順位、予算決算、スポンサー一覧、雑誌新聞記事のコピーなどの資料です。

会場には20日の メディアで取り上げられています で書いた白石徹愛媛県議会議員の姿もありました。
また、動員されたとおぼしき同じ作業服姿の面々が数十人いました。
大分から来たという熱心なサポーターもいました。

開演直前ビクトリニータマン乱入!!
そして開演。客席は200人ぐらいの聴衆でした。
司会が、泉水克規 新居浜市企画部長だったのですが、泉水部長は総務省からの出向で新居浜市に来ています。溝畑社長は旧自治省(現総務省)出身なので何か繋がりがあるのかと思いました。
泉水部長は総務省の採用案内パンフレットにも登場しています(登場するってことはエリートなのかな?)
総務省採用案内PDF版

開会のあいさつをするクールビズの佐々木龍 新居浜市長

市長に引き続き、山内昜雅 新居浜のスポーツを推進する会会長(元愛媛県医師会長)もあいさつ
(溝畑社長の生い立ちを紹介して長かった!)

第一部の溝畑社長の講演
40分の予定の所1時間弱ありました。
幼少のころの体験の話から始まり、大学そして自治省入省、大分県へ出向と話が進みました。
イタリアの話と平松守彦 前大分県知事のエピソードが結構多かったです。
特に印象深かったのが、公務員採用試験でのカンニングと鹿児島・熊本両県にワールドカップ開催c地立候補を断念させたこと、子供に平松知事宛ての手紙を3日に1回書かせたという3点でした。
熱弁とういのがピッタリな熱い人でした。京都出身なので、話のアクセントが島田紳介に似ているなと思いました。

5分間の休憩をはさみ、「第二部 トークセッション 地域愛バトル」が始まりました。
溝畑社長・佐々木市長のほかに進行役として南海放送の佐伯りさアナウンサーの3人で行われました。
福祉の龍ちゃんと呼ばれる無党派市長は口ベタなので、こういうの大丈夫かなと不安を抱きつつ聞いていたら、横浜FCのオヤジギャグ?や竹中平蔵郵政民営化担当大臣を批判した発言が飛び出し正直驚きました。
溝畑社長の別子銅山は知っていたけど新居浜は知らなかった、新居浜には丸の内の縮図があるなど外の人からの視点は面白かったです。
また、今回の新居浜キャンプは日光商事のカワイ専務が溝畑社長に提案したので実現したということを明かすと、グリーンフィールド新居浜にはすでに利用予約が入っていたこと、月曜日は本来休みで使えないことをやりくりして実現したと佐々木市長も明かしました。
トークセッションも1時間弱で終了。
最後に三浦公義 新居浜市体育協会会長(愛媛県剣道連盟会長)の閉会のあいさつで講演会が終わりました。

終了後に取材を受ける溝畑社長とビクトリニータマン

会場の外は野球ののぼりがパタパタ

スポーツえひめ

2005年06月21日 23時55分51秒 | 2005大分トリニータキャンプ
6月21日夕方、テレビ愛媛のEBCスーパーニュースの中のスポーツえひめのコーナーで大分トリニータ新居浜キャンプの模様が約4分程度放送されました。
19日に住田洋アナウンサーが取材したものが放送されました。
皇甫官監督のインタビューと地元出身ということで、阿部吉朗選手のインタビューが放送されました。

インタビュー取材を受ける阿部吉朗選手

取材中のテレビ愛媛の住田洋アナウンサー

メディアで取り上げられています

2005年06月20日 23時22分27秒 | 2005大分トリニータキャンプ

6月20日 愛媛新聞 朝刊

南海放送

愛媛朝日テレビ
愛媛朝日テレビは昼と夕方のニュースで今日の午前に撮影したと思われる練習風景を
放送していました。

余談ですが、ある方とキャンプの話をしていたら今回の誘致にはパチンコNikkoのほかに、
新居浜市選出の県議会議員の一人が熱心に関わっているというのを聞きました。
その議員さんの名前を聞きなるほどと思いつつ、スポーツ振興を掲げて当選した別の県議会議員
がいたことも思い出しました。

6月18日 トレーニング風景

2005年06月19日 20時30分50秒 | 2005大分トリニータキャンプ

選手が到着し、ピッチへ降りてきました。

ミーティング

横断幕が設置されていました。





ビクトリニータマン登場
ほかにも愛媛のテレビ局も取材に来ていました。

グッズ販売も行われていました。
テントが川東中学校...
ジュビロ磐田の福西崇史選手と川崎フロンターレの伊藤宏樹選手の母校ですね。

グリーンフィールド新居浜へ向かう道は、混雑を避けるためか門の所から一方通行になっていて、帰りは市営平尾墓園を通り下るようになっていました。
トレーニングは東半分を利用し、西半分は一般利用の試合が行われていました。
見学用にウエーブテントのベンチが自由に使えるようになっていました。