当ブログの題名『原理に帰りましょう』とは、今は原理でない状態に陥っているので、そこからあるべきところに帰っていきましょう、ということです。そして、あるべきところとは、真のお父様なのです。
イエス様は、「私は道であり真理であり命である」、と言われました。まさしくメシヤは、み言の実体です。したがって再臨のメシヤである真のお父様こそ、その実体がみ言であり原理なのです。ですから、原理でない状態にあるとは、お父様から離れていること、お父様と一緒にいない状態のことです。
「原理に帰る」ということは、まさに「お父様に帰る」ということなのです。
真のお父様は、2010年の『天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会』において、2013年天暦1月13日の基元節を「実体的天一国の始発」と語られました。そして、この天一国のことを「神様が太初から願ってこられた理想天国」とも言われています。ですから、実体的天一国とは、神様が天地創造の最初において願われた、地上天国と同じであると言って良いでしょう。
ではその実体的天一国とは、目に見える「国境をもった国」の形で天国が創られるのでしょうか?そのように考えている人達からするならば、「基元節を迎えたけれども、実際は何も変わっていないじゃないか。やはり2013年の宣布は、象徴的なものだったんだ。天一国は、まだ来ていないんだ」、と思われることでしょう。
また、現実の家庭連合をとりまく現状を見ながら、「真のお父様が亡くなられた今、神の国である天一国などもう無理でしょう……」、そのように考えておられる方も多いのではないでしょうか?
しかし、真のお父様は、御聖和される直前に「すべてを成した!」と祈られました。第3アダムとして、そして最後のメシヤとして来られたお父様がそのように仰られたのですから、その祈りの内容に間違いがあるはずはありません。お父様は、必ず実体的天一国を勝利されたに違いないのです。
では、お父様が語られた「実体的天一国」とは、いったいどのような国なのか?私達は、真摯に祈り、それを探し求めなければならないのではないでしょうか。
ここでは、私たちがこれまで一貫して行ってきたように、原理(み言)に立ちかえって、これらの事について、もう一度確認してゆきたいと思います。(‥‥続く)
YouTube版はこちらをクリック⇒ 原理に帰りましょう24「神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか」
イエス様は、「私は道であり真理であり命である」、と言われました。まさしくメシヤは、み言の実体です。したがって再臨のメシヤである真のお父様こそ、その実体がみ言であり原理なのです。ですから、原理でない状態にあるとは、お父様から離れていること、お父様と一緒にいない状態のことです。
「原理に帰る」ということは、まさに「お父様に帰る」ということなのです。
真のお父様は、2010年の『天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会』において、2013年天暦1月13日の基元節を「実体的天一国の始発」と語られました。そして、この天一国のことを「神様が太初から願ってこられた理想天国」とも言われています。ですから、実体的天一国とは、神様が天地創造の最初において願われた、地上天国と同じであると言って良いでしょう。
ではその実体的天一国とは、目に見える「国境をもった国」の形で天国が創られるのでしょうか?そのように考えている人達からするならば、「基元節を迎えたけれども、実際は何も変わっていないじゃないか。やはり2013年の宣布は、象徴的なものだったんだ。天一国は、まだ来ていないんだ」、と思われることでしょう。
また、現実の家庭連合をとりまく現状を見ながら、「真のお父様が亡くなられた今、神の国である天一国などもう無理でしょう……」、そのように考えておられる方も多いのではないでしょうか?
しかし、真のお父様は、御聖和される直前に「すべてを成した!」と祈られました。第3アダムとして、そして最後のメシヤとして来られたお父様がそのように仰られたのですから、その祈りの内容に間違いがあるはずはありません。お父様は、必ず実体的天一国を勝利されたに違いないのです。
では、お父様が語られた「実体的天一国」とは、いったいどのような国なのか?私達は、真摯に祈り、それを探し求めなければならないのではないでしょうか。
ここでは、私たちがこれまで一貫して行ってきたように、原理(み言)に立ちかえって、これらの事について、もう一度確認してゆきたいと思います。(‥‥続く)
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