原理に帰りましょう

真のお父様の御聖和以降、混迷する統一教会(家庭連合)。
もう一度我々は、原理とお父様のみ言に立ち返ろうではないか。

あなたの家庭は天国ですか?

2019-10-23 18:29:03 | あなたの家庭は天国ですか?
今回のテーマについて、皆様はどう思われますか?
自信を持って「私の家庭は理想家庭です」「神様とお父様に誇ることができる家庭です」と言えるでしょうか?

メシヤとしてこられたお父様の願いは、地上で真の愛の家庭を完成することでした。従って、お父様が説かれた原理の目的も、地上で真の愛の家庭を完成することであり、その結果、霊界でも神様と永遠に暮らすことだったのです。

では、今の私の家庭は真の愛を実践し、真の家庭を築けているでしょうか?

周囲を見渡すまでもなく、自分自身の家庭はどうなのか?お父様から頂いた祝福の価値が、本当の意味で現れているでしょうか?
冷静に見ると、残念ながら理想家庭というには程遠い生活をしているのが、多くの祝福家庭の現実ではないでしょうか。

では、どうしてこうなってしまったのか?また、どうしたらいいのか?
この点について、これから原理に基づいて考えてゆきたいと思います

まず原理講論の87ページを見てみましょう。

生霊体を完成した人間が地上天国を実現して生活したのち、肉身を脱いで霊人として行って生活する所が、すなわち天上天国である。それゆえに、地上天国が先に実現したのち、初めて天上天国も実現できるのである。(創造原理 肉身と霊人体との相対的関係)

原理講論には、地上天国が先に実現したのち、初めて天上天国も実現できるとハッキリ書いてあります。ですから、この地上で真の愛を完成させない限り、霊界で先に天国ができるなどと言うことはあり得ないのです。

さらに、生霊体を完成した人間が地上天国を実現して生活したのち、肉身を脱いで霊人として行って生活する所が天上天国である、とあります。

原理講論の87ページに

「蘇生期の霊人体を霊形体といい、長成期の霊人体を生命体、完成期の霊人体を生霊体という」
とあるように、生霊体というのは、霊人体の成長の三段階で言えば、完成段階の霊人体です。

人間は、長成期の完成級で堕落したわけですから、堕落前の状態に戻り、原罪を清算した状態からスタートするのが生霊体なのです。ですから、原罪を脱いだ後、生霊体級の霊人体を完成した人が地上天国を実現し、さらに天上天国を創造していくということです。

いくらお金を投入して熱心に先祖解怨をしたとしても、私自身が地上で罪を清算し、愛を完成していかない限り、自分の家庭を天国にすることは不可能だということが理解できると思います。

原理講論・前編の結論部分とも言える「重生論と三位一体論」の最後のページには、以下のように記されています。

イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。このようにして、堕落人間が神を中心として創造本然の四位基台を造成すれば、そのとき初めて、神の三大祝福を完成した地上天国が復帰されるのである。

創造本然の四位基台を造成し、地上天国を復帰するためには、再臨されたイエス(真のお父様)によって霊肉共に重生されなければならない、と書かれています。このことはつまり、重生された者同士によって、四位基台を造成することによって初めて、神様の三大祝福が完成されるということです。

すなわち、個人個人が重生されなければならない。このことが先ず第一であり、その上で真の愛の家庭が築かれ、地上天国が成就するのです。このような真の愛の理想家庭建設が、お父様の願いであり、原理の目的なのです。
ですから天聖経にも、

今までの宗教の目的は、個人を救うことでした。しかし統一教会は、個人の救いよりも家庭の救いを目的としているのです。救うのも家庭を救い、天国に行くのも自分一人では行かないというのです。
(天聖経・統一教会は本然の真の家庭を探すためにある)


とあるのです。
今までの宗教は個人の救いの段階で終わっていました。しかし統一教会は、個人はもちろんですが、家庭の救いこそがその目的なのです。

「あなたの家庭は天国ですか?」という問いかけから、原理に立ち返って論考を重ねてきました。

結論として、理想家庭を実現することによって地上天国を建設すること。
これが統一教会(家庭連合)のアルパでありオメガ、つまり目指すべき究極的な目的であります。
地上で神様の愛が充満する家庭を築けなければ、天上天国はありえないのです。
そしてそのためには、まず個人個人が、重生されなければならない、と述べました。

私たちが築かなければならないのは、神様と真の父母の真の愛の伝統と、それをもった実体の家庭であって、何か立派な教会の建物を建造することでもないし、立派な組織を造ることでもないのです。
私達は、理想をもって祝福を受け、家庭を持ったのですが、現実は理想家庭とは程遠い歩みをしてきました。そして、形だけを追ってきてしまったことが理解できると思います。

しかし、真のお父様は最後のメシヤとして来られましたので、真の家庭を成就できる道を必ず残されているに違いないのです。それはみ言〔原理〕の中に天秘として隠されているので、それを探し出して実現するのが私たちの責任分担なのです。

今こそ私たちは、真剣に祈り求めていく必要があるのではないでしょうか?
お父様は摂理の完成、完結、完了を宣布していかれました。ですから、必ず道を作って行かれたに違いないのです。

ところで真のお父様は、私たちに遺言を残して下さっていることをご存知でしょうか?
お父様が御聖和されるまで、肌身離さず持ち歩かれ、3000回も訓読されたというみ言。
それが「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の講演文です。
この講演文の中には、私たちが悟らなければならない実に重要な内容を含んでいます。
それらについては、また改めて触れたいと思います。


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あなたの家庭は天国ですか?


ただ付いて行くだけで真のお母様を支えることができるでしょうか?

2019-10-19 12:24:58 | ただ付いてゆくだけでは、み旨は成されない
統一教会<註釈*>が目指すべき、最終目的は何だったのでしょうか? 
真のお父様は、再臨主として、そして最後のメシヤとして、果たして何をしに来られたのでしょうか?
一言で言えば、「人類の救済と神様の解放」と言う事が出来ます。
人類は、堕落することによって神様との関係が断絶し、罪を犯しながらも何が罪であるかも分からない、無知蒙昧な状態に陥りました。人は誰しも、幸せな理想郷を求めながら、その成し遂げ方が分からず、地獄のような世界を形成してきたのです。

その人類に対して神様の存在を知らしめ、神様の愛を実体として現して下さったのが、メシヤである真のお父様です。
お父様は、「真の愛」「真の家庭」について、実に多くのみ言を語って下さいました。「真の家庭を通した理想天国実現」こそが、統一教会が目指すべき最終的目的だと言えるでしょう。
では、私たち祝福家庭は、果たしてどれだけ「真の愛」を実践し、「真の家庭」を形成していくことが出来ているでしょうか?
出来ていないとすれば、何が問題なのでしょうか?

私たちは、お父様の言われた事、指示を受けた事に対して、具体的には伝道活動、渉外活動、事業活動、先祖供養、献金‥‥等々、言われるままに一生懸命に取り組んできました。
しかし真のお父様は、「実体的天一国の始発である」と言われた基元節を目前にして亡くなられました。本当に、亡くなるべきだったのでしょうか?
果たして、お父様の聖和は、神様の摂理の中で予定された事だったのでしょうか?
お父様は「霊界も天一国にするために先に行かれた」という方もおられますが、本当にそうでしょうか?
原理講論には「地上天国が先に実現したのち、初めて天上天国も実現できるのである」(創造原理)と書かれています。
では、基元節を迎えたにも関わらず、何故この地上に真の神の国が来ていないのでしょうか?
お父様は生前、「韓国の地、メシヤの誕生の地を全世界から訪れるようになるよ」と言われていましたが、韓国はそうなっているでしょうか?
何故、統一教会は益々分裂し、昏迷を極めているのでしょうか?
教会員の方たちに伺うとお父様が聖和された後、神の国の実現には1000年はかかる、と言われる方が一人や二人ではありませんでした。
ではこのまま、言われたことをやっているだけで、本当に2020年までに天国が出来ると、信じておられる方がどれだけいるでしょうか?
お父様は、「摂理を完成、完結、完了した」と言われました。その真の意味を悟らない限り、私が真の愛、真の家庭を築くことは出来ないのではないでしょうか?
ここで、私達はもう一度原理に帰り、原理の目的と方向をハッキリ認識していく必要があると思います。

ある教会員が、一般の方から、「統一教会の教えの中心が真の愛、真の家庭なのですね?ところで、それが完成したモデルが果たしてどこにありますか?」と、言われたそうです。そうなのです、伝道が進まない原因もここにあると言えるでしょう。
私自身が「真の家庭」を築けずして神様のみ旨は成就しないし、真のお母様をお支えする事もできないのです。

聖書には以下のようなエピソードがあります。

「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています」。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と。
 あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。(ルカによる福音書18/9~14)

ユダヤ社会においては、祭司長、律法学者、パリサイ人、そして一般市民などの階級に別れていました。
パリサイ人というのはこのユダヤ教の熱心な信者です。週に二度断食をし、全収入の十分の一を捧げ、決められた事はきちんと行う、そしてそれらをしない者に対して裁く人です。
しかし、そのような人達に対してイエス様は、どのように言われていたでしょうか。マタイ福音書7/21~を見ると

「私にむかって「主よ、主よ」という者が、みな天国に入るのではなく、ただ天にいますわが父のみ旨を行うものだけがはいるのである。その日には、多くの者が私にむかって「主よ、主よ、私たちはあなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力ある技を行ったではありませんか」というであろう。その時、私は彼らにはっきり、こう言おう「あなた方を全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ」

これはどういうことでしょうか?神様が本当の意味で果たして欲しいと願われている事は何なのか?そこに目を向けず、ただひたすら自分がこれをやれば救われる。天国でもいいところに行けるだろうと傲慢になり、他者を裁くようなそういう者に対してイエス様は叱責されたのです。

それに対し、自らの胸を打ちながら『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と悔い改めた取税人は、神様の前に義とされたのです。
イエス様は「悔い改めよ、天国は近づいた」と言われています。「喜びなさい、天国は近づいた」とは言われていないのです。

原理講論の予定論には次のようにあります。

このように、復帰摂理の目的を完成するに当たって、神の責任分担と人間の責任分担との間には、果たしてどのような関係があるかを知らずに、すべての「み旨成就」を、神の単独行使として見てきたところに誤りが生じてくるのであり、カルヴィンのように、頑固な予定説を主張する人が出てくるのである。そしてまた、それが今日に至るまで、長い期間にわたって、そのまま認められてきてしまったのである。

復帰摂理の目的の完成とは、堕落した人間を救援し、神様の創造目的を完成すること、すなわち愛を完成し、真の家庭を完成することです。
それは神様の責任分担95%だけではなされず、人間の責任分担5%が絶対に必要でした。
復帰摂理は、この人間の責任分担が全う出来ずに、いつも延長してきたのです。

私たちは、この「人間の責任分担」を果たすために、教会から言われたことだけに従い、決まったことを一生懸命やってきました。では果たしてこれだけで、本当に責任分担を果たしたことになるのでしょうか?決してそうではありません。
何故なら、ただそれだけでは、「真の愛」、「真の家庭」は完成しないからです。

なぜならば、神様の創造目的は、人間(私)と一緒に愛を完成することだったので、私が責任分担を果たすためには、主体的積極的に神様の心情・事情を求めてそれを実現して行かなければならないからです。つまり、ただついて行くだけではそれは成せないのです。
自分は、言われたことはあれもこれも全部やりました、と言う者に対してイエス様は『不法を働く者ども』と言われたのです。ですから、私たちは、ただ教会の中で言われることをこれだけやってきたという傲慢性やプライドだけが残らないように、気を付けなければなりません。

私たちは、もう一度原理に立ち戻り、神様の願いに帰りましょう!
原理には、6千年の神様の真の愛が込められています。
私たちの信仰の目的と、復帰摂理の目的は同じはずです。
皆さんも一緒に考えてみてください。
無関心からは何も生まれません。
私達は、言われたことを一生懸命してきましたが、お父様があれほど待ち焦がれた基元節前に聖和されてしまったのです。
お父様の代わりに、誰かにただついていくだけでは、今度は真のお母様、さらに真のご子女様にまでも同じ十字架を負わせてしまう事になってしまうのです。
神様のみ旨の成就、真の愛、真の家庭を完成するためには、もう少し考え方を考えなければならないのではないでしょうか?

ところで、真のお父様が、私たちに「遺言」を残して下さっていることをご存知でしょうか?それが「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」講演文です。



お父様ご自身が、この講演文について「先生の生涯全体の結実」(第44回 真の神の日)と仰られ、聖和直前まで、実に三千回以上読んで精誠を尽くしてゆかれたのです。
子であれば、親の遺言をいつまでも大事にし、それを守ろうと努力するはずです。
しかし今、教会内では、この「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」講演文の内容がほとんど無視されており、公的な場で全く取り上げられていないのが現状なのです。

この講演文の内容については、また改めて確認してゆきたいと思います。

<註釈>
現在は、「世界平和統一家庭連合」に改称されているが、ここで言う「統一教会」とは、真のお父様と原理を中心として出発した組織と信者を合わせて示す。今の「統一教会」は、残念ながらいくつかに分裂するという、あってはならない事態が進行している。



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ただ付いて行くだけで真のお母様を支えることができるのでしょうか?


創造本然の人間が現れることによってのみ、実体天一国は創建される

2018-03-18 19:58:41 | 神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか
 2013年天暦1月13日、世界平和統一家庭連合は「神の国」としての天一国の出発を宣布しました。しかし家庭連合では、天一国はまだ実体的には到来していないとして、「Vision2020」を掲げ2020年までの実体的国家復帰を目標として活動しています。

 しかし、原理やみ言の観点から見ると、お父様が語られた実体的天一国は、何かこういった外的な内容だけでは創ることができないのです。もしそうであっては、イエス様が戒められたように、天国が目に見える形で来ると思い、それを探そうとする姿勢と同じと言えるのではないでしょうか。

 「国境線撤廃」を訴えられ、地球星全体を神の国に復帰するべく歩まれたお父様が、国境に囲まれた国を建てることで天一国が実体的に成就すると考えられたということはあり得ないのです。実体的天一国は、国境のない国であり、権力や、富、武力などの目に見える力によって外的に建てられる国ではなく、真の愛によってのみ建てられる国なのです。

 さて、何回かに分けて、「神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか」というテーマで確認してきました。

 お父様が語られる実体的天一国は、神様の心情を体恤して観念ではなく、実感で神様と一緒に暮らすので罪を犯そうとしても犯すことができない、そういう本然の人間の出現によって始まるのです。だからこそ原理も、サタンとまったく相対しない創造本然の人間が現れることによってのみ神の国(地上天国)が建設されることを明言しているのです。人間自身がサタンとの関係(堕落性)を持ったまま、いかに外的に目に見える国を追い求め、豪奢な建物を建てたとしても、それで天国が出来たということはできないのです。

 イエス様がつくろうとされた「神の国」の真の意味を、イスラエル民族は最後まで理解することができませんでした。行動を共にした弟子たちは、そこでそれなりの地位に就くことを夢見ていたと、お父様はみ言の中で語っておられます。結局、この「神の国」に対する理解の不一致が、結果的にイエス様をローマに対する反逆者にしてしまい、十字架に追いやることになってしまったのです。
そして、実は、真のお父様も同じだったのです。お父様が成就しようとされた実体的天一国の真の意味を理解せず、目に見えるこの世の尺度でしか見ることができなかったことが、結果的にお父様を十字架に追いやることになってしまったのではないでしょうか?


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お父様の真の愛と一つになることで、天国を建設することが出来る

2018-02-12 16:56:06 | 神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか
 このように、あくまで天国は心を基準にして打ち立てるものです。しかし、そうした歩みをする人間の実体がなければいけません。イエス様は霊的救いの道を残して下さり、霊的な神の国を打ち立てて下さりました。それゆえ、真のお父様は霊肉共の神の国を建設するために、再臨のメシヤとして降臨され、神と一つになった人の手本を見せて下さったのです。私たちが実体を持った人間として、お父様の真の愛の心と一つになることで、霊肉共の天国を建設することが出来るのです。それが、基元節以降の今の時代、実体天一国時代なのです。

 堕落人間が、このような尊いみ言を体恤し責任分担を果たそうとするなかで、神様は共に神の国を建設していくことができるのです。イエス様も戒められたように、どこそこに行けば神の国があるとして、ただついて行こうとする者であっては、決して天国を建設する者となることはできないのです。

 また、原理講論は天国が「罪を犯そうとしても犯すことが出来ない世界」(34頁、総序)としており、「罪のない世界がすなわち天国であるというならば、堕落した人間が長い歴史の期間をかけて探し求めてきたそのような世界(文脈から「神を父母とする全人類一家族世界」を意味する)こそ、この天国でなければならない」(同)ということができます。
つまり、天国は「神が存在するということを実感でとらえ、罪を犯せば人間は否応なしに地獄に引かれていかなければならないという天法を十分に知る」ので、罪を犯そうと思っても犯すことができない世界だというのです。

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天国はまず再臨主を知って彼に侍る信徒たちの心のうちにつくられる

2018-01-06 20:26:05 | 神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか
原理講論のみ言を確認してゆきます。

再臨されるときにも、彼は地上で誕生されるのであるから、彼を先に知って、彼に侍る信徒たちを中心として見るならば、天国は先に彼らの心のうちにつくられるのであり、このような個人が漸次集まって、社会をつくり、国家を形成するようになれば、その天国は次第に見ることができる世界として現れるはずなのである(再臨論)

このように原理には、天国はまず再臨主を知って彼に侍る信徒たちの心のうちにつくられる、とあります。

ですから、お父様は「嫌いな心を無くせば平和が訪れる」(自叙伝)と言われたのであり、「不完全な人間ばかりを中心として展開する平和運動は、歴史的に常にその限界にぶつかり、挫折してしまったのです。」(平和メッセージ7)とも語られました。
まずは、人間の心の変革なくして理想世界はないことをことあるごとに強調されているのです。

また聖書には、「あなた方は神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリントⅠ・三・16)とあるように、神の御霊が宿っていることを自覚し、神の宮としての体であることを認識している人こそが、神の国を創っていく人たちなのです。
ですからお父様は、神の国の基準を、「道徳的な人々、宗教的な人々の間に探していきなさい」と仰っておられたのです。

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