2013年天暦1月13日、世界平和統一家庭連合は「神の国」としての天一国の出発を宣布しました。しかし家庭連合では、天一国はまだ実体的には到来していないとして、「Vision2020」を掲げ2020年までの実体的国家復帰を目標として活動しています。
しかし、原理やみ言の観点から見ると、お父様が語られた実体的天一国は、何かこういった外的な内容だけでは創ることができないのです。もしそうであっては、イエス様が戒められたように、天国が目に見える形で来ると思い、それを探そうとする姿勢と同じと言えるのではないでしょうか。
「国境線撤廃」を訴えられ、地球星全体を神の国に復帰するべく歩まれたお父様が、国境に囲まれた国を建てることで天一国が実体的に成就すると考えられたということはあり得ないのです。実体的天一国は、国境のない国であり、権力や、富、武力などの目に見える力によって外的に建てられる国ではなく、真の愛によってのみ建てられる国なのです。
さて、何回かに分けて、「神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか」というテーマで確認してきました。
お父様が語られる実体的天一国は、神様の心情を体恤して観念ではなく、実感で神様と一緒に暮らすので罪を犯そうとしても犯すことができない、そういう本然の人間の出現によって始まるのです。だからこそ原理も、サタンとまったく相対しない創造本然の人間が現れることによってのみ神の国(地上天国)が建設されることを明言しているのです。人間自身がサタンとの関係(堕落性)を持ったまま、いかに外的に目に見える国を追い求め、豪奢な建物を建てたとしても、それで天国が出来たということはできないのです。
イエス様がつくろうとされた「神の国」の真の意味を、イスラエル民族は最後まで理解することができませんでした。行動を共にした弟子たちは、そこでそれなりの地位に就くことを夢見ていたと、お父様はみ言の中で語っておられます。結局、この「神の国」に対する理解の不一致が、結果的にイエス様をローマに対する反逆者にしてしまい、十字架に追いやることになってしまったのです。
そして、実は、真のお父様も同じだったのです。お父様が成就しようとされた実体的天一国の真の意味を理解せず、目に見えるこの世の尺度でしか見ることができなかったことが、結果的にお父様を十字架に追いやることになってしまったのではないでしょうか?
YouTube版はこちらをクリック⇒ 原理に帰りましょう24「神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか」
しかし、原理やみ言の観点から見ると、お父様が語られた実体的天一国は、何かこういった外的な内容だけでは創ることができないのです。もしそうであっては、イエス様が戒められたように、天国が目に見える形で来ると思い、それを探そうとする姿勢と同じと言えるのではないでしょうか。
「国境線撤廃」を訴えられ、地球星全体を神の国に復帰するべく歩まれたお父様が、国境に囲まれた国を建てることで天一国が実体的に成就すると考えられたということはあり得ないのです。実体的天一国は、国境のない国であり、権力や、富、武力などの目に見える力によって外的に建てられる国ではなく、真の愛によってのみ建てられる国なのです。
さて、何回かに分けて、「神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか」というテーマで確認してきました。
お父様が語られる実体的天一国は、神様の心情を体恤して観念ではなく、実感で神様と一緒に暮らすので罪を犯そうとしても犯すことができない、そういう本然の人間の出現によって始まるのです。だからこそ原理も、サタンとまったく相対しない創造本然の人間が現れることによってのみ神の国(地上天国)が建設されることを明言しているのです。人間自身がサタンとの関係(堕落性)を持ったまま、いかに外的に目に見える国を追い求め、豪奢な建物を建てたとしても、それで天国が出来たということはできないのです。
イエス様がつくろうとされた「神の国」の真の意味を、イスラエル民族は最後まで理解することができませんでした。行動を共にした弟子たちは、そこでそれなりの地位に就くことを夢見ていたと、お父様はみ言の中で語っておられます。結局、この「神の国」に対する理解の不一致が、結果的にイエス様をローマに対する反逆者にしてしまい、十字架に追いやることになってしまったのです。
そして、実は、真のお父様も同じだったのです。お父様が成就しようとされた実体的天一国の真の意味を理解せず、目に見えるこの世の尺度でしか見ることができなかったことが、結果的にお父様を十字架に追いやることになってしまったのではないでしょうか?
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