原理に帰りましょう

真のお父様の御聖和以降、混迷する統一教会(家庭連合)。
もう一度我々は、原理とお父様のみ言に立ち返ろうではないか。

創造本然の人間が現れることによってのみ、実体天一国は創建される

2018-03-18 19:58:41 | 神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか
 2013年天暦1月13日、世界平和統一家庭連合は「神の国」としての天一国の出発を宣布しました。しかし家庭連合では、天一国はまだ実体的には到来していないとして、「Vision2020」を掲げ2020年までの実体的国家復帰を目標として活動しています。

 しかし、原理やみ言の観点から見ると、お父様が語られた実体的天一国は、何かこういった外的な内容だけでは創ることができないのです。もしそうであっては、イエス様が戒められたように、天国が目に見える形で来ると思い、それを探そうとする姿勢と同じと言えるのではないでしょうか。

 「国境線撤廃」を訴えられ、地球星全体を神の国に復帰するべく歩まれたお父様が、国境に囲まれた国を建てることで天一国が実体的に成就すると考えられたということはあり得ないのです。実体的天一国は、国境のない国であり、権力や、富、武力などの目に見える力によって外的に建てられる国ではなく、真の愛によってのみ建てられる国なのです。

 さて、何回かに分けて、「神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか」というテーマで確認してきました。

 お父様が語られる実体的天一国は、神様の心情を体恤して観念ではなく、実感で神様と一緒に暮らすので罪を犯そうとしても犯すことができない、そういう本然の人間の出現によって始まるのです。だからこそ原理も、サタンとまったく相対しない創造本然の人間が現れることによってのみ神の国(地上天国)が建設されることを明言しているのです。人間自身がサタンとの関係(堕落性)を持ったまま、いかに外的に目に見える国を追い求め、豪奢な建物を建てたとしても、それで天国が出来たということはできないのです。

 イエス様がつくろうとされた「神の国」の真の意味を、イスラエル民族は最後まで理解することができませんでした。行動を共にした弟子たちは、そこでそれなりの地位に就くことを夢見ていたと、お父様はみ言の中で語っておられます。結局、この「神の国」に対する理解の不一致が、結果的にイエス様をローマに対する反逆者にしてしまい、十字架に追いやることになってしまったのです。
そして、実は、真のお父様も同じだったのです。お父様が成就しようとされた実体的天一国の真の意味を理解せず、目に見えるこの世の尺度でしか見ることができなかったことが、結果的にお父様を十字架に追いやることになってしまったのではないでしょうか?


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お父様の真の愛と一つになることで、天国を建設することが出来る

2018-02-12 16:56:06 | 神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか
 このように、あくまで天国は心を基準にして打ち立てるものです。しかし、そうした歩みをする人間の実体がなければいけません。イエス様は霊的救いの道を残して下さり、霊的な神の国を打ち立てて下さりました。それゆえ、真のお父様は霊肉共の神の国を建設するために、再臨のメシヤとして降臨され、神と一つになった人の手本を見せて下さったのです。私たちが実体を持った人間として、お父様の真の愛の心と一つになることで、霊肉共の天国を建設することが出来るのです。それが、基元節以降の今の時代、実体天一国時代なのです。

 堕落人間が、このような尊いみ言を体恤し責任分担を果たそうとするなかで、神様は共に神の国を建設していくことができるのです。イエス様も戒められたように、どこそこに行けば神の国があるとして、ただついて行こうとする者であっては、決して天国を建設する者となることはできないのです。

 また、原理講論は天国が「罪を犯そうとしても犯すことが出来ない世界」(34頁、総序)としており、「罪のない世界がすなわち天国であるというならば、堕落した人間が長い歴史の期間をかけて探し求めてきたそのような世界(文脈から「神を父母とする全人類一家族世界」を意味する)こそ、この天国でなければならない」(同)ということができます。
つまり、天国は「神が存在するということを実感でとらえ、罪を犯せば人間は否応なしに地獄に引かれていかなければならないという天法を十分に知る」ので、罪を犯そうと思っても犯すことができない世界だというのです。

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天国はまず再臨主を知って彼に侍る信徒たちの心のうちにつくられる

2018-01-06 20:26:05 | 神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか
原理講論のみ言を確認してゆきます。

再臨されるときにも、彼は地上で誕生されるのであるから、彼を先に知って、彼に侍る信徒たちを中心として見るならば、天国は先に彼らの心のうちにつくられるのであり、このような個人が漸次集まって、社会をつくり、国家を形成するようになれば、その天国は次第に見ることができる世界として現れるはずなのである(再臨論)

このように原理には、天国はまず再臨主を知って彼に侍る信徒たちの心のうちにつくられる、とあります。

ですから、お父様は「嫌いな心を無くせば平和が訪れる」(自叙伝)と言われたのであり、「不完全な人間ばかりを中心として展開する平和運動は、歴史的に常にその限界にぶつかり、挫折してしまったのです。」(平和メッセージ7)とも語られました。
まずは、人間の心の変革なくして理想世界はないことをことあるごとに強調されているのです。

また聖書には、「あなた方は神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリントⅠ・三・16)とあるように、神の御霊が宿っていることを自覚し、神の宮としての体であることを認識している人こそが、神の国を創っていく人たちなのです。
ですからお父様は、神の国の基準を、「道徳的な人々、宗教的な人々の間に探していきなさい」と仰っておられたのです。

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神の国は、実にあなたがたのただ中にある

2017-12-25 20:02:52 | 神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか
真のお父様は、実体的天一国、つまり神の国がどのように実現されるかについて、次のように語っておられます。

「神の国の基準がなければなりません。実際に、神の国はどこで見出せるでしょうか。私達の内で、心と体の二つのうち、どちらがその基準を定めたり、基準を見出したりするのでしょうか。私達は既に、それが肉体からではなく、心から出発できるという結論に到達しました。神は決して変わらず、永遠なる究極的な実体であり、神の国もそのような性質のものであります。私達の体は、それに適合できるでしょうか。それは不変で永遠なるものではありません。
私達の心は、そのゴールを得ようという傾向を持っていますが、今のところその基準よりはるかに下です。しかし、神おひとりで、神の国を建てることができるでしょうか。できません。神は神と似た、あるいは神と一つになった人と一緒に、その仕事を成し遂げようとされます。神の国の建設は、そのような一人の人間から出発しなければなりませんが、このような人間を、どこで捜し出せるでしょうか。その人は、ただ道徳的な価値を持った人間であるだけでしょうか。道徳的価値を言う時、それは、心に根ざしていることを意味します。私達は、そのような人を道徳的な人々の間だけでなく、宗教的な人々の間に捜さねばなりません」( 神と神の国 1975年8月11日)

すなわち、
① 神の国は、肉体ではなく、不変で永遠である心を基準に創られる、
② 神おひとりでは神の国を建てることができない、
③ 神は神と似た神と一つとなった人と一緒に、神の国を成し遂げようとされる、
④ そのような人を道徳的な人々、宗教的な人々の間に探さなければいけない
と述べておられます。

イエス様も、パリサイ人に「神の国はいつ来るのか」と問われ、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカによる福音書17:20~21)と述べておられます。

真のお父様は、メシヤとしてのイエス様の使命を最終的に成就するために降臨されました。それゆえ、イエス様が成そうとされた神の国と、再臨主が成そうとされた天一国は、根本的に同じ国であるはずなのです。(‥‥続く)


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神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか

2017-12-15 17:00:19 | 神の国である実体的天一国はどこにできるのだろうか
 当ブログの題名『原理に帰りましょう』とは、今は原理でない状態に陥っているので、そこからあるべきところに帰っていきましょう、ということです。そして、あるべきところとは、真のお父様なのです。
 イエス様は、「私は道であり真理であり命である」、と言われました。まさしくメシヤは、み言の実体です。したがって再臨のメシヤである真のお父様こそ、その実体がみ言であり原理なのです。ですから、原理でない状態にあるとは、お父様から離れていること、お父様と一緒にいない状態のことです。
 「原理に帰る」ということは、まさに「お父様に帰る」ということなのです。


 真のお父様は、2010年の『天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会』において、2013年天暦1月13日の基元節を「実体的天一国の始発」と語られました。そして、この天一国のことを「神様が太初から願ってこられた理想天国」とも言われています。ですから、実体的天一国とは、神様が天地創造の最初において願われた、地上天国と同じであると言って良いでしょう。

 ではその実体的天一国とは、目に見える「国境をもった国」の形で天国が創られるのでしょうか?そのように考えている人達からするならば、「基元節を迎えたけれども、実際は何も変わっていないじゃないか。やはり2013年の宣布は、象徴的なものだったんだ。天一国は、まだ来ていないんだ」、と思われることでしょう。
 また、現実の家庭連合をとりまく現状を見ながら、「真のお父様が亡くなられた今、神の国である天一国などもう無理でしょう……」、そのように考えておられる方も多いのではないでしょうか?

 しかし、真のお父様は、御聖和される直前に「すべてを成した!」と祈られました。第3アダムとして、そして最後のメシヤとして来られたお父様がそのように仰られたのですから、その祈りの内容に間違いがあるはずはありません。お父様は、必ず実体的天一国を勝利されたに違いないのです。
 では、お父様が語られた「実体的天一国」とは、いったいどのような国なのか?私達は、真摯に祈り、それを探し求めなければならないのではないでしょうか。
 ここでは、私たちがこれまで一貫して行ってきたように、原理(み言)に立ちかえって、これらの事について、もう一度確認してゆきたいと思います。(‥‥続く)


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