原理に帰りましょう

真のお父様の御聖和以降、混迷する統一教会(家庭連合)。
もう一度我々は、原理とお父様のみ言に立ち返ろうではないか。

メシヤは、「道であり、真理であり、命である」

2017-01-25 18:10:24 | サタン屈服の唯一の道は原理に帰ること
 復帰摂理の目的は、究極的には人間自身がその責任分担として、サタンを自然屈伏させ、それを主管し得るようになることによって成就されるのである。イエスが、人間祖先として、メシヤの使命を負うて来られたのも、サタン屈伏の最終的路程を開拓し、すべての信徒たちをその路程に従わせることによって、サタンを自然屈伏させるためである。(中略)今日の信徒たちもまた、その路程に従って歩み、サタンを屈伏させることによって、それを主管するようになるのである。(原理講論 後編第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理)

 と、原理にあるように、堕落によってサタンの主管下に落ちてしまった私たちは、自らの責任分担によってサタンを自然屈服させ、本然の位置を復帰しなければならないのです。
 しかし、サタン屈服の道はサタンの血統下にある堕落人間自身の力では絶対に不可能です。そこでサタンと関係のない本然の神様の血統を持って来られたメシヤが、サタン屈服の最終的路程を切り開いて下さり、私たちはメシヤに従って同じ路程を歩むことによってサタンを屈服させることができるのです。

 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14章6節)

 とあるように、メシヤはその実体が「み言」です。メシヤが歩まれた人生そのものが、サタン屈服の「道」であり「真理」なのです。

 お父様は興南監獄においても、ダンベリー刑務所においてもみ言を一言も語らずに、生活の中の実体で、囚人たちを屈服させていかれました。最初は「ヘイ、ムーン」と馬鹿にしてお父様を呼んでいた囚人たちも、お父様の真の愛に触れていく中で、「レバレント・ムーン」となり、最後は「ファーザー・ムーン」と呼ぶようになりました。
 お父様は、実体そのものが、生活そのものがサタン屈服の「み言」だったのです。

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億万のサタンと闘い、勝利された真のお父様

2017-01-14 18:08:18 | サタン屈服の唯一の道は原理に帰ること
 次のお父様のみ言を見てみましょう。

 堕落による歴史の糸のもつれは、それを解いて再創造することなどとてもできそうには思えないほど複雑なものとなり、神でさえどこから手をつけて摂理するか戸惑うだろうと思えるほどです。しかし今、一人の孤独なる人が、歴史の背後にある秘密のすべてを見いだし、それを公式化し、体系化したのみならず、その原理を自ら生活しながらここまで運動を発展させてきたのですから、神としても注目せざるを得ないはずです。   
(『創立以前の内的教会史』1977年5月1日ベルベディア)


 アダムとエバの堕落以来、罪に罪を重ねながら面々と続いてきた罪悪歴史。その、あまりに複雑にもつれあった歴史の糸は、神様でさすらどこから手を付けたらいいのか戸惑うほどの内容であったとお父様は語られています。
 ここでお父様は、「一人の孤独なる人」と遠回しに表現をされながら、ご自身の事について語っておられるのです。
 
 人類のメシヤとして来られたお父様は、「歴史の背後にある秘密のすべてを見いだし、それを公式化し体系化」してこられました。
 その道は、原理講論 総序にあるように、『有史以来だれ一人として想像にも及ばなかった蒼茫たる無形世界をさまよい歩きつつ、神のみが記憶し給う血と汗と涙にまみれた苦難の道を歩まれ』ながら、『単身、霊界と肉界の両界にわたる億万のサタンと闘い、勝利され』て、天倫の秘密を明らかにして下さったのです。これがみ言(原理)なのです。

 私たちは、そのようなお父様の偉業の前に、ただただ頭を垂れ感謝せざるを得ない立場なのです。


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メシヤによって示された路程に従って、サタンを自然屈服

2017-01-02 20:05:49 | サタン屈服の唯一の道は原理に帰ること
私たち信徒は、メシヤによって示された路程に従って、サタンを自然屈服しなければならないことが、原理には明確に記されています。

復帰摂理の目的は、究極的には人間自身がその責任分担として、サタンを自然屈伏させ、それを主管し得るようになることによって成就されるのである。イエスが、人間祖先として、メシヤの使命を負うて来られたのも、サタン屈伏の最終的路程を開拓し、すべての信徒たちをその路程に従わせることによって、サタンを自然屈伏させるためである。
(原理講論 第二章 第一節 サタン屈伏の典型的路程)


それでは、今、私たちは信仰生活を通じてそのような路程を歩んでいるでしょうか?

教会(家庭連合)での活動に熱心に取り組んでいる方なら、「ビジョン2020」に向けて神氏族メシヤを勝利すること、そのための伝道と献金目標を達成することが摂理の勝利、それこそがサタン屈服の道だと思っておられるかもしれません。
あるいは、最近は日々の生活と仕事に追われているので、「サタン屈服」などと言っても、考えた事がないし、そんな余裕はないよ、という方もおられるでしょう。
そもそも「サタン屈服」とは、どうすることなのでしょう?共産党や反対弁護士といった、教会の反対勢力に打ち勝つことでしょうか?

さてここでは、お父様のみ言(原理)に帰ることこそが、サタン屈服の唯一の道であることを確認してゆきたいと思います。

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