根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

根子岳・見晴新道 11月28日(火)

2017年11月28日 22時14分08秒 | 阿蘇山系

根子岳「見晴新道」踏査 

 平成29年11月28日(火)・快晴

熊本地震(2016.4.16日午前1:25分・本震)
で崩壊した天狗岩、せめても「天狗のコル」を遠巻きにしてでも
現場を見たいという登高意欲を抱いていた。
ル-トとしては
見晴新道を経由して縦走路に上がり障子岳から見分出来るだろうと想定した。

この計画は以前から山友の石ちゃんと温めていたのであるが
私の都合(昨年の暮れ出現した筋肉痛)で延び延びになっていたものである。
現在も投薬治療中(体力は回復段階)であるが、冬が来る前に実現しないと
冬場は凍結による岩崩れの危険が伴うこととなる・・・。

天気予報では昨日に続き今日も小春日和が続くということで
前夜に、石ちゃんを誘い今回の山行となった。

九州北部豪雨災害(2012.7.12)後の見晴新道は
2012.10.3 と 11.19に踏査した以来で
地震後は、初めてである。
地震でル-トが変容していることを前提に、
今日の登高目標は「往ける所まで」とした。

(行程) 駐車地:ヤカタ゚カウト入口の地蔵さん(発9:55)→見晴新道登山口(着10:15)→
     カガミガウド分岐(着11:50)→見晴台(着12:20~昼食~発12:30)→ルンゼ入口
     (着13:25)→ルンゼ左岸・源頭直上の稜線(着13:50~発13:55)→
         復路)→カガミガウド分岐(着15:00)→登山口(15:55)→駐車地(着16:10)

↑ [見晴新道登山口]
黒川の源流となるヤカタガウドから流れ下る流路(涸れ沢)の右岸に位置する。
巨大堰堤が立ち並ぶ最初の堰堤下を左岸から右岸に渉る。

↑ [登路上に座る岩塊を振り返る]
最初のピ-クを離れ尾根道を15分位歩くと、
縦長い岩塊(「さざれ石」のように溶岩石が積み重なった礫岩)が道をふさぐ。
岩塊の両端は切れ堕ちた痩せ尾根となっているが
よくも熊本地震に耐えたなあ・・・・
地蔵尾根の岩塊は断崖に落下していたのに・・・


↑ [カカミガウド分岐直下の岩尾根]
残置ザイルを辿って越える

↑ [岩尾根の狭い隙間を抜ける]
この岩の隙間を「第一の城門」と自称

↑ [「第一の城門」の窓から中山尾根の「天の浮橋・1149m」を望む]

↑ [見晴台から根子岳北壁にそそり立つ数々の岩峰を望む]

↑ [見晴台から、地蔵尾根に繋がる西峰新道(自称)の尾根を確認する]
日射しが照る尾根の、ピ-クに見える檜(ヒノキ)の下が登路となっている。

↑ [崩壊地を辿る]
見晴台までの登路は、熊本地震による影響は無く、
安心して歩けた。
ここから先は危険箇所が多いル-トとなるので
ヘルメットとハ-ネスを着けて保身用ロ-プ・スリングを保持して歩く。

↑ [ルンゼ入口付近の登路から屏風岩を望む]
屏風岩基部の登路には一個だけ落石(基部を構成している板状の一枚)あり、
多分に、熊本地震の影響かと思われた。

↑ [残置ロ-プを辿ってルンゼに取り付く
画像上端に見える空との境(源頭)まで岩溝を登り上げ、左の尾根腹に取り付くのが
従来のル-トであるが
岩溝は危険極まる地形に崩壊している。
下流は深いV字谷となっていて、長い流路の先(底)は見えない・・・。

ルンゼ(ドイツ語:Runse)とは
  ・岩壁の縦にえぐれている溝のことを指し、氷雪や風雨によって浸食されてできる。
  ・もろい岩が詰まった狭い谷。急峻な岩溝

 

↑ [急峻な岩溝を右岸から左岸に渉る]
左岸に残置ロ-プが見えているが手が届かない・・・
行くか行かないか、緊張感を持って意識合わせ・・・
樹木に支点ををビレイ(確保)して
ベテランの石ちやんがトラロ-プ着け、左岸に・・・・・

↑ [左岸に渉り、源頭の稜線を目指す]
岩溝の遡行は至難の業であるので侵食の少ない崖側を登攀

↑ [登り詰めた稜線からの景観]
天狗のコルは目と鼻の間であるが・・・

↑ [吊尾根の対岸を望む]
登り詰めた稜線を左に5、6歩辿ると眼下に
従来からのル-ト(2012.7.12九州北部豪雨災害でル-トは消滅)である
ルンゼの源頭(自称:第二の城門)が見える。
源頭は吊尾根の鞍部に位置するので一旦、降りて対岸に登り返すこととなるが
尾根腹の斜面は崩壊し、剥き出しの地肌に残置ロ-プだけが垂れ下がっていた。
今日は時間がないのでトライはしないが
私たちの技量では危険が多すぎるようである。

 

ここからは復路にて         

極限(私としては今までに無い)の緊張感を体験したであろうルンゼの歩き、
下山路ても見晴台に着くまでは張りつめた緊張が続く・・・
見晴台でやっと開放感を覚え、二人で 
「なんも無くて(何事もなく) よかった なあ~ ・・・」と
二人で言い合い安堵した。

↑ [ふかふか落ち葉の登路を振り返る]
見晴台を離れ、カカミガウド分岐に向かう痩せ尾根の下り坂、
天空から降りて来るような心地の稜線歩き・・・気分最高 !!

↑ [見晴新道、 取付き点を振り返る]

↑ [登山口からの下山路を振り返る]
砂防堤下の作業道を右岸側に渉り、コンクリト道を上流側に歩くと
樹木に捲いたテ-プが登山口取付き点となる。

↑ [先ほど歩いた(天空の落ち葉道)、稜線の上に「上弦の月」?が・・・]

↑ [駐車地付近の登路から天狗岩を望む(ズ-ムで)] 

下山後の感想     

見晴新道経由で「天狗のコル」の崩壊状況を見たいという願望は
今回の踏査で無理であることが分かった。
ただ、「見晴台」までは安全な歩きが従来通り出来るので
私の好きなこのル-ト(見晴新道)を四季折々に登りたいと思う次第であった。

(2017.12.16 追記) 

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2 コメント

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お早うございます (風の便りのファン)
2018-02-04 09:49:30
辿り辿ってたどり着き、日記見させていただきました
見晴らし新道は高校の時に下山で通った事が有りますが、但しそれ一回きりでしたね
今から53年ほど前で、幸仁哉先生が
「幸新道」なんてクラブのの絵地図に書いておられました。

この道は下山に使ったせいか、かなり危なく感じたところも有りました。

日記を拝見していると、アクティブにご活躍されていらっしゃるようですね。
私の方は今は近くの低山を年に数回登る程度で、アクティビティーは落ちています。
どうぞ安全な山行を末永く続けて行かれますようお祈りしております。
返信する
見晴新道 (元→風の便りのファン様)
2018-02-05 22:22:44
お便り有り難うございました。
「今から53年ほど前で、幸仁哉先生が・・・」
と記されていますので私が新入社員として宮地に着任したのが昭和38年です。
当時、阿蘇高校の名士であられた幸先生や井口天心先生は陰ながら存じていました。(会話したことは有りませんが・・・)

ところで、見晴新道は根子岳の中でも私が最も好きなコ-スです。
宮地の町から「天狗のコル」に最短で近づくことが出来るのはヤカタガウドと見晴新道でした。
今は両ル-トとも災害で寸断し、名残惜しい想いで一杯です。
見晴新道は阿蘇高校山岳部が開拓したとは聞いていましたが幸先生の時代だつたのですネ・・・ 
幸仁哉さんや北田正三さん等は阿蘇岳人の伝説の人として語り継がれていくことでしょう。

「安全な山行を末永く続けて行かれますようお祈りしております。」
とご拝領頂き感謝申し上げます。
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