根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

阿蘇吉岡の噴気孔 12月6日(水)

2023年12月06日 23時25分57秒 | 阿蘇山系

阿蘇吉岡の噴気孔を踏査
(南阿蘇村長野の吉岡地区にある噴気孔)

熊本市内に行き交う際、車窓から必ず目に付くのが山復から立ち上る「白煙」・・・
57号線(立野火口瀬・阿蘇大橋付近)から杵島岳を眺める方角に位置する。
この現場は「一体どの様になっているのであろうか?」
兼ねてから気になるところであった。

今回、相棒の石ちゃんを誘って踏査することとした。
目標とする吉岡別荘団地には事無く辿り着いたが
噴気孔への取付きが分からす゛山道(車道)を右往左往。
過去に一度は訪れたという石ちゃんであるが
十年一昔前のことで記憶は定かでは無いらしい・・・

(行程)① 吉岡別荘団地入口(着14:40)→噴気孔への道探→渓谷に架かる大橋でUターン(発15:00)→
    噴気孔探しを断念し、帰路の山道で山ガ-ルと遭遇
    ②山ガールの先導で噴気孔への登山口(発15:10)→吉岡噴気孔(着15:20~発15:30)
    →登山口(着15:40)
    ③帰路で「湯の谷地熱発電所」に立ち寄る(着15:55~発16:00)

阿蘇吉岡の噴気孔 令和5年12月6日

【南阿蘇やすらぎロードから吉岡の噴気孔を望む】
北向山に登った時(2022.11.25)七曲峠から撮影
後方に迫るピークは杵島岳

【ズ-ムで】

別荘団地入口】←(Google マップからキャプチャ)
噴気孔への道順を尋ねようと急坂を下り、団地内を歩き廻るが
人影は全く無く、家は閉ざされ廃墟同然の雰囲気である。
豪雨災害や熊本地震(平成28・2016年)で
余儀なく退避されたままになっているのであろうか? と推測された。

【車道沿い(団地入口付近)に煙る小さな噴気孔】

【上記、噴気孔を真上からの写真】
2m四方くらいのコンクリトで囲まれ、底には湯溜まりが視える。
重なる岩は崩落して覆い被さったのであろう ?

【帰宅後、Google マップからキャプチャ】
団地入口の小さな噴気孔を離れ、
道なりに山坂を下り、T字路を左に進入し南下する。

左手側が牧場】←(Google マップからキャプチャ)
南阿蘇外輪山が目の前に迫り、解放感一杯の牧野が広がる。

渓谷に架かる長い橋梁】←(Google マップからキャプチャ)

【橋梁から上流側を望む】

【橋梁から下流側見下ろす】
水量は少なかったが深い渓谷で見応え抜群
帰宅後、河川名を調べたら
山王谷川」←「川の名前を調べる地図」サイト

牧場を通り過ぎ更に下ると深い渓谷に架かる橋に至る。
このまま南下すれば垂玉温泉側に下ると思い、ここで引き返す。

  噴気孔探しを断念して帰路の途中 
< 山道を歩く女性(単独)と遭遇・・・>
噴気孔への道を尋ねると「登山口は藪化して分かりにくいので
私が一緒にル-トを案内します」と云うことなり噴気孔まで先導された。

【噴気孔への取付き】
団地入口から20m位?の距離

【足場の悪い浮き石が続く】
竹藪を抜け、谷間に散乱する岩石を踏み、
硫黄を含んだ泥濘の川筋を辿る。
右崖の草を掴めば、抜け落ちる始末で掴まる処が無い。

【地熱が足元を温める】

【泥水が堆積している沢】

【岩は硫黄分で変色している】

【左岸から右岸に渡渉】
小尾根(右岸)に上がる草むらの登路も地盤が柔らくて、
崩れやすく、不安定な足元であった。

【噴気孔を望み込む、小尾根の展望台】
漂う匂いに注意しながら山斜面から噴き出す
白煙(水蒸気と思われる)を間近に観ることとなった。


【大岩の隙間から噴き出している】

【山ガ-ルの勧めで記念写真】

【火口を間近に観る様な臨場感を満喫する】

【浮き石を踏んでの下山・要注意】

【感動の噴気孔を振り返る】

【歩いたル-ト】←地理院地図からキャプチャ-


遭遇したご女性(Fさん)が居なかったら、
この貴重な光景には出合えなかったのである。
山仲間の心づかいの優しさを痛感した。
(別れ際、お礼と感謝の気持ちを何度も伝える・・・)



ここから帰路 

【京都大学阿蘇火山研究所】

【南阿蘇湯の谷地熱発電所】
昔の「湯の谷観光ホテル」を通り過ぎて、その奥に在る。
またその奥に隣接するのが登山口の案内板。

【地熱発電所と隣接する渓流(濁川)の際に建っている】
湯の谷~草千里~火口コ-スは過去(昭和40・41?)に2回登っている
と記憶しているが、この案内板はいつ頃、建ったのであろうか?

【今は廃墟となっている「阿蘇観光ホテル跡」】
高級ホテルとして華やかな時代、先輩に連れられての
プールサイドでの水着撮影会(昭和41年?)・・・女優に興奮した
新入社員時代の懐かしい思い出が残っている。
(その時の写真・アルバムを探せば沢山残っているハズ)

 

下山後、吉岡噴気孔について調べた資料から 

(出典) 熊本学園大学 学術文化部:
    南阿蘇村吉岡地熱地帯の2007年2月~2009年4月の状況について

※今回踏査した場所は「 地熱地:B」と推定したが確定は出来ない。

              

②(出典) 阿蘇山火山防災連絡事務所
            最近の吉岡の噴気地帯の調査

③(出典) 福岡管区気象台
     阿蘇山の火山活動解説資料(令和4年10 月)

③(出典) 福岡管区気象台火山監視・情報センター
     南阿蘇村吉岡 噴気地帯の状況(10 月 23 日撮影)

(2023.12.19 加筆)

コメント

阿蘇・烏帽子岳 5月16日(火) 

2023年05月16日 22時19分37秒 | 阿蘇山系

阿蘇・烏帽子岳(1337m)   
(時計回り周回登山)

令和5年5月16日 快晴

烏帽子岳の深山霧島(ミヤマキリシマ)を観るのは昨年が初めてであった。
その素晴らしさは、
ミヤマキリシマはもちろんのことであるがピンクの花を愛でながら
眺望する阿蘇の大自然である。

「草千里ケ浜」の若草色に萌える草原・池の水面そして杵島岳・往生岳の
青々とした山肌・火口に上がる噴煙・中岳・高岳・外輪山・・・
等々の大パノラマを楽しみながらミヤマキリシマが観賞出来るコラボが
この山に惹かれる由縁でもあろう・・・

今が見頃とのネット情報を得て、好天気を狙って本日の山行となった。
昨年とは逆コ-スの時計回りで
東から西への周回ル-トを散策することとした。

(行程)「草千里展望デッキ」駐車場(発8:20)→草千里乗馬場→草千里ヶ浜東縁尾根ル-ト出合
   (着8:50~霧島散策~発9:20)→烏帽子岳頂上(着10:00~発10:10)→
   草千里ヶ浜西縁尾根・草千里分岐(着11:10~草千里散策~発11:40)→駐車場(着11:50)
     *工程時間は写真撮影を含む
     *尾根名は我流の呼称

阿蘇・烏帽子岳(1337m)のミヤマキリシマ (令和5年5月16日・登り路) 

阿蘇・烏帽子岳(1337m)のミヤマキリシマ (令和5年5月16日・下山路) 

【「草千里展望デッキ」から眼下の草千里ケ浜を望む】
池の岸辺に遊ぶ駒五頭・・・
癒しを誘う牧歌的な風景で清々しい気分に浸る。

【草千里ヶ浜分岐の道標】
草千里の取付きから10分位で草千里ヶ浜東縁尾根ル-トに上がる。

【尾根東側(火口側)斜面の花】
花もさることながら小鳥のさえずりで爽快感高揚・・・

【尾根西側(草千里側)斜面の花】

【登路から望む草千里ケ浜】

【上の画像をズームで】
花と水面の絶景コラボ

【登路から望む杵島岳】
若草の緑滴るた山肌

【彩が目立つ花】

【ピンクに染まる登路を振り返る】

【更に高度上げてル-トを振り返る】
登路は左側の尾根筋 (草千里ヶ浜東縁尾根:我流の呼称)

【烏帽子岳 山頂標識(1337m)】

【山頂から南に派生している断崖の痩せ尾根】
尾根突端の奥には御竈門山(おかまどやま)が視えている。
昨年はこの痩せ尾根にもピンクが彩りしていたが
今年はその面影が無い(烏帽子・全山的に今年は裏年のようである ? )

ここから下山路となる 

【山頂直下から往路の登路を展望する】

【登路に咲くイワカガミ(岩鏡)とミヤマキリシマ】

【下山路(頂上から5分位の歩き)からの展望】
山頂から草千里に流れ下る、幾筋の尾根上を彩るピンク。

【下山路(頂上から25分位の歩き)からの展望】

【下山路の尾根筋を確認】
此処からは、緩やかな登路に変わる。

【登路沿いに咲く今日一番の彩り】
遠景に北向山・立野火口瀬

【岸辺に咲く馬の足形(ウマノアシガタ): 別名 金鳳花(キンポウゲ)】

【春りんどう】

【逆さ烏帽子岳】

【草千里名物の野草「馬の足形」】

帰路の途中で「仙酔峡」に立ち寄る 

花酔い橋(仙酔尾根登山口)からの展望】
花の盛りが 過ぎている事は承知の上であるが・・・
「仙酔峡つつじ祭り」の期間は駐車場広場で昔し、
山野草の販売が行われていたのでその様子見と思い
立ち寄ったが店開きの面影は無い・・・
駐車場は満車状態で人波が溢れていた。

(2023.05.22 加筆)

コメント

草の道・山田坂 4月17日(月)

2023年04月17日 23時22分00秒 | 阿蘇山系

草の道・山田坂 
(阿蘇市山田)

令和5年4月17日 快晴

< 草の道とは >
阿蘇谷の集落と外輪山の上にある草原を結ぶ坂道。
その昔、人と牛馬が往来した古道で
放牧や採草に利用されていたことから「草の道」と呼ばれている。

<昨年の下見踏査>
昨年の暮れ((2022.12.27) 相棒の石ちゃんと山田坂を踏査したが、
それらしいき「草の道」は探し当らず・・・あきらめて下山。
帰路の林道ですれ違う軽トラを止めて、山田坂を尋ねると
その駄道は鞍岳さんから入ります」との返事・・・
軽トラの人(猟師)は石ちゃんの、
たまたまの顔見知りの人で現地まで道案内された。

その現地とは私たちが下って来た林道を引き返し、
当初私たちが林道路肩に駐車して出発した場所であった。
路肩木立の高みに鞍岳さんが鎮座されていたことは
全く気付かなかったのが昨年踏査時の顛末であった。

<今回の踏査>
山田坂の取付き点は、昨年の下調べで分っていたので
登るタイミングを心待ちにしていた。
野焼きの後であれば
外輪山上端に広がる原野にも、遮るものも無く、思うままに歩ける。

外輪山を遠望すれば山肌は黒から緑色を帯びつつあり、
この時機を延ばせば草が茂り藪漕ぎで苦労必死・・・
前夜に石ちゃんを誘い、石ちゃんの軽トラで一路、
山田集落の瀧水寺を目指す。

(行程)
「鞍岳さん」登山口(発11:15)→森林限界(着11:55)→外輪山縁
(着12:20~昼食~発12:50)→ミルクロ-ド出合(着13:10)
外輪山縁(発13:35)→「鞍岳さん」登山口(着14:10)

草の道・山田坂ル-ト】←地理院地図からキャプチャ

【瀧水寺(りゅうすいじ)】
阿蘇西国三十三ヶ所観音札所の 11番札所
      ←(出典:阿蘇西国三十三ヶ所巡礼ガイド)

【 寺号額(じごうがく)】

山田坂へのル-ト】←(goo地図からキャプチャ)
瀧水寺まではスムーズに着いたが、山道(車道)に入ってから
昨年の暮れに走ったル-トの記憶があやふやとなり定かでない。
石ちゃんも私も、国会答弁では無いが『記憶にございません』(笑)
そんな訳で道幅の広い方の林道に進入・・・
荒れたゴロゴロ道を5分位走り、間違いに気づき引き返す。
引き返す途中、
伐採木を作業車で運搬中の地元の方と出会う。
猟師もされているというこの方は昔の駄道にも詳しく
石畳の遺跡に案内された。

【出会った林業者・石畳の道へ案内される】
この石畳みは小野田坂にも通じるとの説明。
もしかすると林道が整備される前は、
山田坂の草の道はこの石畳みを辿っていたのでは無いのではないか ?
そんな疑問が頭を巡る。
次の機会にこの石畳みを下って踏査しよう・・・

【地元の人が「鞍岳さん」と呼ぶ登山口】
林道路肩広場に駐車してここからが歩き

【鞍岳さんに祀られている馬頭観音】

【道幅も広い安定した登路】

【「草の道」特有の九十九折】

【苔生した石垣】
城壁のような石垣が積まれ、このルート一番の景観・・
先人達が「よこい場」として一息いれた場所であろうと懐古される。
よこい場とは←(出典:阿蘇ペディア)

【苔生した石垣の正面】
正面は岩山となり、大岩が立ち並ぶ

【石垣を離れて10分の登路】
どこかで、道の選定を誤ったのであろう・・・
草の道の様相は全く無く藪に突入、
森林限界の木立を過ぎると踏み跡も消え、藪の中を右往左往。

【藪の中をひたすら登る】
天辺は視えているのでただ登るだけ(苦笑)

【藪から出ると広い牧野道が整備されていた】

【牧野の丘陵からくじゅう連峰を展望】

【像が鼻の先に阿蘇五岳を望む】

【ミルクロ-ド出合】
広い牧野道を辿り、景色を楽しみながら快適に歩く。

ミルクロ-ド出合】←(Google マップからキャプチャ)

ここから復路 

【復路での入口】
往路で出た場所は「駄道」の様相を成していなかったので
往路とは、別の場所から取り付く(単なる感で)。
何しろ藪化して判別がつかないまま下って行く。(不安)
下るに従い、駄道らしき道幅が現れ 駄道である事を確信。(安堵)

【登路沿いに咲くミツバツツジ】
登路の目安としてはこの木が目標と成る・・・

【登路選定を間違えた場所】
駄道は赤ライン
黄ラインに入ると谷筋となり、
流水による浸食道ではないだろうか ?

【今日辿った「山田坂」の天辺と思われる】
昨年、下見踏査時の撮影

登山を終えて

<猟師さんが話された「駄道」と「鞍岳さん」について>

(駄道)
これまで草の道は、10本以上は歩いているがその都度
地元の人々に尋ね尋ねして、ル-トを探すのが常である。
その際、「草の道」の文言では反応が薄い。
地元の老人達は「駄道」と呼んで来ていられるようである。

(鞍岳さん)←出典:阿蘇ペディア
馬頭観音を本尊とする畜産の神様です。
昔から畜産の盛んな菊池、鹿本、益城、阿蘇地方では
牧の神の信仰が厚い。
標高1119㍍の鞍岳の頂上直下の観音堂(菊池郡旭志村)、
山麓の菊池郡大津町御願所にある円満寺の奥の院は、
俗に「鞍岳さん」の名で親しまれ、祭りの3月18日には
地元はもとより鹿本、益城、阿蘇の村々から馬を引いて参拝が行われましたが、
最近では馬の代わりに耕うん機などに代わりました。

阿蘇地方ではあか牛の放牧が盛んで
「打越さん(打越神社=阿蘇市)」のお札が畜舎に貼ってあります。
阿蘇地方の人々は見晴らしのよい高台に牧の神を祀り
「山の神」と呼ぶこともあります。

(過去に歩いた「草の道」)
①  2011.01.14 栗の木坂
②  2011.02.22 三野坂
③  2011.03.27 古閑坂
④  2011.04.06 願成就坂
⑤  2016.03.22 木落坂~片隅坂
⑥  2016.07.07 古閑坂
⑦  2016.07.28 阿蘇品坂・磐名木坂
⑧  2020.04.10  東外輪山・願成就坂

⑨  2021.01.19 
阿蘇北外輪山・兜岩  
⑩  2021.01.31   九州自然歩道・外輪壁ル-ト
⑪  2021.02.09 阿蘇北外輪山・ようち坂
⑫  2021.03.15 阿蘇品坂
⑬  2021.12.15   北外輪山・狩尾

⑭  2022.02.28   
立山坂
⑮  2022.03.12  阿蘇東外輪山・野中坂(南坂)
⑯  2022.04.02 東外輪山・いざり坂
⑰  2022.04.09 東外輪山・いざり坂
⑱  2023.03.29 扇谷(阿蘇市小倉)

(2023.04.29  加筆)

コメント

扇谷 (阿蘇市小倉) 3月29日(水)

2023年03月29日 22時59分35秒 | 阿蘇山系

扇谷 (阿蘇市小倉)
(野焼き後の原野歩きと草の道踏査)

令和5年3月29日 穏やかな春日和

行程
大観の森(発11:40)→蛇の道(着12:20~昼食~発12:55)→ミルクロード(着13:00)
扇谷展望所(着13:10)→展望所突端に架かる吊り梯子(着13:25)→大観の森(着14:10)

扇谷と小倉坂(草の道)>
先日(3/5日)、野焼き見学をした「大観の森」からスタートして扇谷を越え
「小倉坂(草の道)」の到達地点がどこに至るかを踏査する。
*「草の道」とは、
阿蘇谷の中にある集落と外輪山の上にある 草原を結ぶ  嘗(かつ)ての坂道。

野焼き跡の原野
いつもなら藪で踏み入る事が出来ない野山にも、
野焼きの後のこの時機であれば何の遮るものも無く、
縦横無尽に野歩きを楽しむことが出来る。
今日は野焼きで焼き尽くされた
外輪壁(カルデラ壁)裾まで散策することとした。

【「大観の森」駐車場からスタート】
野焼き見学の時、草の道(小倉坂)の入り口は、
集落の女性から教えて頂いたが、入口からここまでは
その道は踏まず、草の道との合流点から出発することとした。

【登路から阿蘇五岳を振り返る】
コンクリトの車道(市道533号線)には「汚水」と記されたマンホ-ルの蓋、
何処から流れて来ているのだろうか?
その後は、車道は歩かず野焼き跡地に踏み入り、
黄スミレを観賞しながら直登気味に歩く。

【黄スミレ】

【点在する溶岩丘の美観】

【扇谷を抜ける「蛇の道」を仰ぐ】

【群生する黄スミレと遠景の根子岳・高岳】

【丘陵一面に群生する黄スミレ】

【大株のキスミレ】

【蛇の道を振り返る】

【蛇の道沿いの黄スミレ】

【蛇の道からの展望】

【柱状に並ぶ溶岩】

【ミルクロ-ド出合】
扇谷より登り上げた地点
たぶん小倉坂(草の道)の到達地点と思われるが
確証が無い・・・
(草の道の入り口は村人から教えてもらっているが
ル-トの到達地点は
村人からの確認が取れていないので今後の課題とする。)


ミルクロ-ド出合】←(Googleマップよりキャプチャー)

【扇谷展望所に向かって】
ミルクロ-ドは歩かず、野焼き跡をショートカット
相棒の石ちゃん足痛のため「ゆるゆる歩き」

【扇谷展望所へミルクロ-ドからの入り口】

【扇谷展望所からの景観】
左上の遠望は大観峰

【蛇の道をアップで】

【蛇の道とミルクロ-ド】

【扇谷展望所尾根突端からの景色】

【春リンドウと遠景の蛇の道】

【扇谷展望所尾根突端から急崖を下る】

【外輪壁に架かるロープと吊り梯子】

【外輪壁を宙吊り気味で降下】

【外輪壁基部から扇谷を抜ける蛇の道を展望】

【登路から、これから辿る急傾斜の原野を】

【大観の森駐車場付近から登路を振り返る】
正面のピークが扇谷展望所に繋がる尾根

【上の画像をアップで】

(2023.04.05加筆)

コメント

阿蘇北外輪山一斉野焼き 3月5日(日)

2023年03月05日 23時25分24秒 | 阿蘇山系

阿蘇北外輪山一斉野焼き
(阿蘇市小倉の「大観の森」一帯)

令和5年3月5日 快晴

阿蘇市の一斉野焼きは二つの日程(①阿蘇山麓2/26日 ②北外輪山一帯3/5日)で
計画されていたが先日延期になっていた
阿蘇山麓の野焼きも本日同時に行われた。
阿蘇谷は、野焼きの煙で午前中から視界も悪くどんよりとしている・・・

今日の「野焼き見学」の目的地は北外輪山「大観の森」一帯である。
この地を選んだのは
昨年(2022.12.27)、「草の道・小倉坂」の下調べで立ち寄った際、
野焼き景観に相応しいロ-ケシヨン(その時の写真)
と思っていたからである。

(ちなみに「草の道」とは、
阿蘇谷の中にある集落と外輪山の上にある草原を結ぶ坂道)

【野焼きの見学先】
外輪壁(カルデラ壁)に枯れ野の原野が露出して、
ここだけが際立って目立つ。
(昨年、草の道・小倉坂の下調べ登山の際、撮影したもの)

【野焼き見学地】←(Googleマップよりキャプチャー)

阿蘇北外輪山一斉野焼き① 令和5年3月5日

阿蘇北外輪山一斉野焼き② 令和5年3月5日

(行程) 阿蘇大観の森駐車場(着13:00)→火入れ(13:30)~野焼き見学終了(14:55)
    →その後、集落に戻り小倉坂下見踏査

野焼きの火入れはおおよそ9時から始まり、
午前中は外輪山の上の原野から開始しされ、外輪壁側は午後の時間帯
となるのが通常のパタ-ンのようである。

【「輪地切り (わちぎり)」線 (防火帯)から火入れ」
現地には13:00に着いたが野焼き隊の姿は何処にも見当たらない、
果たして野焼きは「あるのだろうか」と疑問符が付く始末・・・

稜線(外輪山の)に、人の動きを遠目に気づくのと同時に
輪地切り帯に火の手が上がった。
後で気づいたのであるが輪地切り帯には
沢山の野焼き隊が先行配置されていたのである。

【原野裾野の野焼き】
当初は阿蘇五岳を背景に写真を撮ろうと思い、
原野の上部(外輪壁際)まで登っていたが野焼き隊に注意され
早々と駐車場近くの裾野に下っての見学となった。

【カズラを編みこんで作られている】
カズラは地元自生の「つづら藤かずら」と思われる?

【駐車場に建つ看板】

【裾野に広がる炎】

【外輪壁を焼く炎】

【燃え上がる谷間の炎】

【黒地の山肌に白煙舞う】
バチバチとした、けたたましい野焼きの音が去り
湯気のような白煙が静かに舞う・・・
この一瞬は、他では味合えない燃え去った後の静かな醍醐味である。

【大観の森公園駐車場傍で憩う、野焼き隊の村人達】

野焼き隊の村人数人に「草の道」の名前を尋ねたが
昔の駄道であったことは知っているが
名前は分からないとの返事であった。

(帰路の途中)

山から下り、県道213号線と出合う角の家に立ち寄る。
野焼きから帰ったばかりという女性と出会い
草の道の名前を尋ねると・・・
「名前は分からないが、自分は歩いたことがあるので案内します」
という事となり、山付に向かってもと来た道を5~6分位引き返す。
車道の縁から石畳みの山道が延びているを確認し、
昔の駄道である事に確証を掴んだ。

【「秋葉山大権現」の石碑】
集落の近くに鎮座。
石碑には「文久4年 甲子」と刻まれているので
160年位前の1864年時代かと思われる。

【小倉坂への取付き】←(Googleマップよりキャプチャー)

【小倉坂入口の石畳】

村に戻り、さらに女性は区長さんを紹介される。
区長さんいわく
「名前は知らないが、他の部落では何本も駄道を持っていて
部落名を付けているのが多い
小倉には一本しか無いので部落名を付けていたのでは ?・・・」
私なりの決論として今後「小倉坂」と勝手に呼称することとした。

あらためてご案内頂いた、ご女性に御礼申し上げます。

(2023.03.25 加筆)

コメント