阿蘇北外輪山一斉野焼き
(阿蘇市小倉の「大観の森」一帯)
令和5年3月5日 快晴
阿蘇市の一斉野焼きは二つの日程(①阿蘇山麓2/26日 ②北外輪山一帯3/5日)で
計画されていたが先日延期になっていた
阿蘇山麓の野焼きも本日同時に行われた。
阿蘇谷は、野焼きの煙で午前中から視界も悪くどんよりとしている・・・
今日の「野焼き見学」の目的地は北外輪山「大観の森」一帯である。
この地を選んだのは
昨年(2022.12.27)、「草の道・小倉坂」の下調べで立ち寄った際、
野焼き景観に相応しいロ-ケシヨン(その時の写真①・②・③)
と思っていたからである。
(ちなみに「草の道」とは、
阿蘇谷の中にある集落と外輪山の上にある草原を結ぶ坂道)
↑【野焼きの見学先】
外輪壁(カルデラ壁)に枯れ野の原野が露出して、
ここだけが際立って目立つ。
(昨年、草の道・小倉坂の下調べ登山の際、撮影したもの)
↑【野焼き見学地】←(Googleマップよりキャプチャー)
阿蘇北外輪山一斉野焼き① 令和5年3月5日
阿蘇北外輪山一斉野焼き② 令和5年3月5日
(行程) 阿蘇大観の森駐車場(着13:00)→火入れ(13:30)~野焼き見学終了(14:55)
→その後、集落に戻り小倉坂下見踏査
野焼きの火入れはおおよそ9時から始まり、
午前中は外輪山の上の原野から開始しされ、外輪壁側は午後の時間帯
となるのが通常のパタ-ンのようである。
↑【「輪地切り (わちぎり)」線 (防火帯)から火入れ」
現地には13:00に着いたが野焼き隊の姿は何処にも見当たらない、
果たして野焼きは「あるのだろうか」と疑問符が付く始末・・・
稜線(外輪山の)に、人の動きを遠目に気づくのと同時に
輪地切り帯に火の手が上がった。
後で気づいたのであるが輪地切り帯には
沢山の野焼き隊が先行配置されていたのである。
↑【原野裾野の野焼き】
当初は阿蘇五岳を背景に写真を撮ろうと思い、
原野の上部(外輪壁際)まで登っていたが野焼き隊に注意され
早々と駐車場近くの裾野に下っての見学となった。
↑【カズラを編みこんで作られている】
カズラは地元自生の「つづら藤かずら」と思われる?
↑【駐車場に建つ看板】
↑【裾野に広がる炎】
↑【外輪壁を焼く炎】
↑【燃え上がる谷間の炎】
↑【黒地の山肌に白煙舞う】
バチバチとした、けたたましい野焼きの音が去り
湯気のような白煙が静かに舞う・・・
この一瞬は、他では味合えない燃え去った後の静かな醍醐味である。
↑【大観の森公園駐車場傍で憩う、野焼き隊の村人達】
野焼き隊の村人数人に「草の道」の名前を尋ねたが
昔の駄道であったことは知っているが
名前は分からないとの返事であった。
(帰路の途中)
山から下り、県道213号線と出合う角の家に立ち寄る。
野焼きから帰ったばかりという女性と出会い
草の道の名前を尋ねると・・・
「名前は分からないが、自分は歩いたことがあるので案内します」
という事となり、山付に向かってもと来た道を5~6分位引き返す。
車道の縁から石畳みの山道が延びているを確認し、
昔の駄道である事に確証を掴んだ。
↑【「秋葉山大権現」の石碑】
集落の近くに鎮座。
石碑には「文久4年 甲子」と刻まれているので
160年位前の1864年時代かと思われる。
↑【小倉坂への取付き】←(Googleマップよりキャプチャー)
↑【小倉坂入口の石畳】
村に戻り、さらに女性は区長さんを紹介される。
区長さんいわく
「名前は知らないが、他の部落では何本も駄道を持っていて
部落名を付けているのが多い
小倉には一本しか無いので部落名を付けていたのでは ?・・・」
私なりの決論として今後「小倉坂」と勝手に呼称することとした。
あらためてご案内頂いた、ご女性に御礼申し上げます。
(2023.03.25 加筆)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます