根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

阿蘇東外輪山・いざり坂 4月2日(土)

2022年04月02日 23時04分36秒 | 阿蘇山系

草の道・いざり坂 (村人は「えざり坂」と呼ぶ)
(その昔、北坂梨集落の人々が牛馬を引いて往還した、外輪山牧野への坂道)

令和4年4月2日 快晴

外輪山の崖をつたう坂道は、一の宮町だけでも25を数えます。(中略)
  これらの坂で最も傾斜が厳しいのは、北坂梨の「さざり坂」です。(中略)
坂の名も膝をついて登るくらい急なことから付けられました。(中略)
(出典:「阿蘇ペディア」より一部抜粋)
: 「さざり坂」との記載は、「いざり坂」が正当と思われる。
(詳細は後述する)


旧一の宮町内にある坂(草の道)のマップ 出典: 大滝先生ポジフィルム
 マップ転載は「阿蘇草原保全活動センター 草原情報館」にて了承済

二回にわたるル-ト下調べで、村人に尋ねると10人中10人が
「豪雨災害で今は登れません ! ! 」との返事であった。
今回はこの草の道「いざり坂」を踏査することとした。

(行程) 墓地横、駐車地(発10:45)→登山口(着10:50)→道探し(ロスタイム約20分)
          →草の道に取付く(着11:20)→外輪山山頂部(着12:30~散策~発13:40)
          →墓地横、駐車地(着14:50)

(今日の一枚)

阿蘇・東外輪山「いざり坂」の福寿草(令和4年4月2日) 2/1

阿蘇・東外輪山「いざり坂」の福寿草と黄スミレ(令和4年4月2日) 2/2

【許可を得て墓地横に駐車】
中央ピークが「いざり坂」の山

【登山口】

【登山口より集落を振り返る】

【砂防ダムに塞がれ引き返す】
踏み跡に従い谷筋に入ったため登路遮断。
引き返し、尾根側に移動する。
尾根に上がり、下を眺めると広い道幅が存在し
草の道であることが一見された。

【コンクリトの円筒・水溜 ?】
草の道の遺構であろうか?

【崩落した巨石】

【石垣と石畳みが繰り返して現れる草の道】

【登路から眼下の集落を望む】

【窪地の登路に沢山の倒木が横たわる】

【外輪山稜線を歩く】

【牧野への出口】

【牧野から根子岳・高岳を望む】

【根子岳】

【広大な牧野の先に九重連峰】

【牧野窪地に群生する福寿草】

【窪地斜面を彩る黄スミレ】

【カルデラ縁(外輪山縁)から望む景色】

【三野坂で見た、祠が視える】

【黄スミレと福寿草が混在して咲いている丘陵斜面】

【カルデラ縁に流れ下る福寿草の仙境】

【野焼き跡に咲き誇る福寿草】

【復路で登山口の集落を望む】

【駐車地(墓地)の上手に建つ標識板】

【いざり坂のイメージ】

坂名について登山口直下の村人に尋ねる

 1) 70代付近の人は坂名を知らない(7名)
 2) 93才のおばちゃんと90才位?の叔父さん
 「い」ではなくて「え」の「えざり坂」と呼びます。
  と二人揃って明確に話された。
 3)「阿蘇ペディア(採草と索道)」ぺ-ジには「えざり坂」と表記あり。
 「当時の索道の設置場所は願成就坂、栗の木坂、えざり坂(北坂梨)、
 象ケ鼻などでした。象ケ鼻では大収穫のワラビを索道で降ろそうとして、
 風圧のため途中で飛散してしまった事もあったそうです。」

従って、
 一の宮町坂マッブには「いざり坂」と記されているが
 地元村人は「えざり坂」と呼んでいるようである。
 「さざり坂」という坂名は誤記ではないかと思われる。

登山を終えて
登り始めの20分位は道探しに苦労したが、草の道にあがれば
安定した一本道を道なりに辿ることとなった。
狭い尾根に付けられた急峻な道であるが故に
小刻みに九十九折が重なり、
石垣や石畳みが頻繁に造られ、
先人たちの苦労を彷彿させるような草の道であった。

外輪山山頂部の牧野の広大さも目を見張るものがあり、
加えて予定外の福寿草やキスミレそしてこれから咲く
桜草とも出会え喜びの草の道踏査であった。

(2022.04.12日 加筆)

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