やあ、ほんとにアップ無理かもしれません・・ゴジラ、 じゃなくて
ラ・カンパネラ
どうしても、ほんの最初のほうでアワワに。そう?, 昨日などビデオで録音とか試そうとして、なんとか音が入ってるかもしれないのはわかったけど、出せた顔や出したい部屋じゃないからヒネクレアングルにしたものの、やり直しの手間にさらにワをかけて、削除もやったのにされてなかったり、ま、ざっとこんなもんです。(自慢?)
ここでまた、無駄だろうけど、母のこと。
私があかんぼのときは、母はとっくに車に乗る人で、それこそ当時女性が運転はけっこう珍しかったよう。
しかし、この私、あとあと、車酔いひどい人になってしまってね、、怒られました
あかんぼのときも覚えててさ、ややふくよかな車体の鼠色自動車で、トランクも大きめだったのかな、関西から九州の 母の里に帰郷するときに どこかで私をトランクの中に置いた段ボールにねかせてね、転がらないように「これでいいかな、これも・・」と言いながらタオルケットかなにかで固めて、「静かにしてるね」なんて言われて他のおっさんたちも様子を見ててさ、よほど日頃かまってもらってなかったのか、私も上機嫌のまま「いい?閉めるよ」、ゆっくりパタン、外で「・・・、」「・・・。」~途中で止まってまた様子見て、「あ。だいじょうぶね」私ウフン。着いたらおばあちゃんに怒られたんだってさ。(その雰囲気も感じ取ってアレ、いいのにナンテ思ってた。)
でもその後の記憶では、自分がそんなにみんなから気にかけてもらったことも無いどころか、マジで忘れられて置いて行かれるぅって場面が子供の頃で4回あったし、実は、大人になってからも・・・回!!?
車のトランクの中が私の人生最高の守られだったの って、どんだけー
当時は舗装されてない道路も多かったから、車オイタもいろいろありましたよ。
車とは関係ないけど、母は実家や自宅に美術品もいっぱいあって、(昔は)おじいちゃんに、「○○(母の名)は見る目があるな」って言われたって、何度か話すも、私と同じ目線で鑑賞するような機会はほとんどなく。
でも、岐阜などに遊びに行ったときとかかな、よく骨董屋さんを訪ねて見て回ってた。ふつう子供には興味がわかないような場所なんだけど、私らはたいてい店内一巡くらいはして外で待ってた。
なんにつけ、まだ小さい頃はおもに私に「ここで待ってて」は多かったな。しょうがないけど。へんに我慢強くなりすぎたかな?
がきんちょなのに、東京の超おしゃれなバーみたいなところについていったことあって、(父はいなかったかな)大人友達らで話している間、なんか食べさせてもらってか待ってて、もう行く・・なときポップな飾りを見て名残り惜しむ幼児。(けっこう真剣な話だったのか最後まで尽きない様子だった大人。)
ええ、わたし、自分でバーに行ったことないし、昭和のそこを上回る場所を見たことないわ!?
今は昔のとりとめもないこと・・
昔過ぎると言われそうw
一応、両親は方向音痴じゃないんですよ。黙ってたのかもしれぬが。
私も筋金入り。友達と先輩の車に乗ってたら、先輩が焦りだし、この私がいるから磁場がくるった~って、本気で言ってたの。友達がその先輩の事、「あんなの初めて見たー」って驚いてたから。感染力もある超筋金入り方向音痴!?
みゆきんさんと私が同行したら、どこに行っちゃううんでしょ?w
舗装されてない道路が多かった私ん地方
車はクッションが悪く ガタンゴトン
舌かむほどの悪路も珍しくない
九州か~
遠いなー
旅行に車で行ったけど行ってみれば九州は南国
ヤシの木を見て感動してた北海道出身の母
そう言えば母も方向音痴だった(笑)