ものごとを正確にとらえておくことが、その後のことや記憶にはたいせつ。
当たり前を言っているようだけど、
おそらく相当な人数が、よくわからなかったところをいいことに
偏見づくりに猛勢をかけられたかっこう。
正確にとらえるには、決めつけない事が必定。
(催眠術の入っていない)一貫した自身のことや、確かな約束事くらいしか、
決めて考えてよいものはないのです。
知らないことがあるのを知る という「無知の知」を言いかえています。
また、正確でないもの、正確な見方ができていないものは、記憶とはいえません。
仮に、見たときに正確に判断できていたのに
あとでずるい者に変えられる場合(がよく起こったわけですが)、
見たときの記憶が正しいのであって、それこそ、生かすべき記憶です。
正確でないことは、記憶として自分でつながりを持てなくなるから、
本当の記憶には残らなくなってしまうのです。
数字の羅列を覚えておく単純記憶が、人によって差があるかもしれなかった・・
私事でいえば、20歳頃のこと、初めての人たちの名字を順番に重ねて覚えていき、当てられた人ができなくなってしばらくの調べ終わったところまで完璧、いちおう人に問われる筋合いないわけだけど、
そういう単純記憶が特に無くても の話です。
同じ情報でも否定していたかたが
テレビで芸人でない人が言ってたんならそれは正しい
と言ってしまっていて驚きました。
どうも、ある年代までテレビ信仰してしまっている人が多く、
世代のあり方でか、ちょっとずつ違うものの、
ネットでもそういう影響を受けたり、意図する存在もあるわけで、
情報の捉え方を他人まかせ が、大多数なのです。
悪しき隠れ犯が、このテレビ教とでもいうべき大きな権威を見逃すはずありません
というより、最初から関与を狙っていたようにすら・・・。
テレビに映ったりするものは
中・長期的にもサブリミナル効果が含まれてきています。
催眠術でイメージ、記憶操作させられてしまったり、
情報系統は見た目経緯と違い、実質、悪しき側からすっかり占拠されているから、
影響予防策は困難・・はありますけど
でもあきらめないでほしい。
だれしも悪しき側からの誘導ごとに疑問や違和感を覚えてこなかった偏見があってもおかしくなく、そのなにげない偏見には、輪をかけた偏見(悪しき側都合の定義づけ)が、入りやすくなっていきます。
偏見があることで(、とりちがえや無理解からくる不満があることで)、
催眠術かかった状態が自ら判別しにくくなる一因とはなるでしょう。
催眠術では
犯罪者の肩代わりをすることになったり、被害者ともかく冤罪者を作るまでの
誘導を受けやすく、さらに怖しい偏見に変貌して、犯罪域の危害を及ぼしかねません。
偏見というのは ただでさえ凶器になるのに、多勢側につけられているので想像を絶します。
悪しき側に支配された(この)世というのは、
偏見づくりやそのための誤解や大間違いには、偽ヤサシイのですが、
自分の味方になるはずの相手や人間社会を破滅させるのと引き換えです。
知ってか知らでか、魂を売り渡すことにつながるのです。
打算的に悪になろうが平気 という方には、無駄な私の話ですが。
究極の選択をせまられるようなときは、優先できなくなるでしょうし。
小さい頃からかわらず偏見を作らぬよう徹底したうえ、どうもターゲットにされ、
見聞し、させられると、
人や社会の偏見の交錯が
悪しき利用段階に持ち込まれているのが、見え、迫ってしまいます。
何につけ孤立孤独でしょうけど、しかたありません。
差別、偏見がだめと口先でいう人にかぎって、根本的にやってしまってる・・
表沙汰にされなかった、各種教育へのテロが、そうまでしてしまいました。
少なくても私は偏見の塊
だって何たってデキは悪いし要領は悪い
誰がこんな私にしたーっ これって偏見じゃないか~
プライドの問題だね( *´艸`)
テロは怖いべ
私も偏見あるんだろうと思うけど、ひそかに偏見ぜったい持たないと意識高々で生きてきて、この世じゃ変わり者。
偏見で深刻なのは人に対する偏見。むしろ偏見もった方がやりやすくしてある世で、みゆきんさんは、そんなに偏見がないんじゃないかと。事件など本質が違えられていくような報道ばかりで大抵の方に偏見があってもおかしくない。私がブログ拝見できている方々は、どうしても偏見は作られていたとしても少なめだからかも。
生かさず殺さずの散々な目にむりやりあわされ、その見かけと、偏見のくくりの名称について定義を動かして合わせてきてるうえ、特殊な扱いしようと繰り返し誘導が出てる・・・。そこまでするかの1つだわ💧