昨日はまた、半年前に会った人たちに会えました。
前回で最後になるだろうだったり、最後にしたほうがよいだろう
があったのですが、お礼も伝えたいし、気がかりもあるっちゃあある
という決断で。
でも、心配の悪いほうに思いっきり傾いてしまいました。
母の事を会ってから伝えようとすると、なぜか!
誰にも言ってないのに、なくなっていることを知ってるからもうしないな話に。
さらに私に???は続きました。
あきらかに、様子が半年前と違う、
5:1の理解者が、今度は1:5になった感覚も。
無念が心中めぐりました。
いちおう、別れてその日のうちに、お世話になった1人にメールをしてみましたが、
確認とっておきたかった大部分が抜けた格好でしか伝わっていない返信、
そのうち正反対なくらいの内容でメールが返ってくる・・・
あきらめきれずに、読めたらだいたいすべてを理解される文章で送るも
その2通にはとうとう返信すら無し。(いかなかったな・・ソレトモ。)
家族の二の舞になるかもの予兆すら・・・。
まあこちらblogでも、見えている以上に事態がよくない側面があるのでしょうけど、
やはり、過去に関わってリアルタイムな人には必ずこちらの被害問題となる部分の正確なとらえが無くなっていってしまいます・・・。
また、崩壊直前かな
やられまくって、つきおとされまくらないといけない人生でしたが、
どんな人も、そう悪い人ではなかったときも存在しました。
不必要なまでに自信を失わないようにしてきたとはいえ、
自分が信じれたとはいえ、
どうにも 自分自身への過度な負担や疎外感には、いろんな意味で気になってたけど
なぜ、自分の当然が残らず、自分ではどうしようもないが多すぎたか、
その理由がはっきりしてくるにつれ、
人としてやりきった感におきかわったりしました。
だから、自分のためにはもうこれ以上生きなくても、気持ちじゅうぶんなんです。
きっと、お分かりくださっている方々もいらっしゃることです。 多謝 (トウシャ)
* * *
指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
現在、防御法は無いと考えるしかありませんが、今後は
対処を根本的に誤らないよう、社会的認知が急がれます。
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