『あなたの身近な「困った人たち」の精神分析 パーソナリティそのミクロな狂い』小此木啓吾(新潮OH!文庫) リンク先はamazon.co.jp
この手の本は随分読みましたので余り新しい発見はありませんが、「イビリ君」とか「タテマエ部長」とか具体的な事例とネーミングがグーでした。
新しい発見がゼロというわけでもなくて、筆者があとがきで書いているように「DSM-IIIRの境界パーソナリティ障害の位置づけに私は好意的でないので、むしこの項目の記述内容をすぴっつぁーの本来の不安定型パーソナリティ障害に戻して用い、境界パーソナリティ障害という用語は、不安定型、依存型、自己愛型、演技型……それぞれのパーソナリティ傾向の持ち主がパーソナリティ障害と呼べるほどのパーソナリティの機能の狂いをあらわす状態として用いることにした」という点が発見でした。やはり、説によって「境界パーソナリティ障害」の定義が違うのね。
引用したいのは236ページ。「性格は性格防衛によって成り立っている」という章からの一節。
言葉を換えれば、外部環境からの刺激に対してある程度一貫して示される適応反応や防衛反応がパーソナリティということかな……何となく納得。
この手の本は随分読みましたので余り新しい発見はありませんが、「イビリ君」とか「タテマエ部長」とか具体的な事例とネーミングがグーでした。
新しい発見がゼロというわけでもなくて、筆者があとがきで書いているように「DSM-IIIRの境界パーソナリティ障害の位置づけに私は好意的でないので、むしこの項目の記述内容をすぴっつぁーの本来の不安定型パーソナリティ障害に戻して用い、境界パーソナリティ障害という用語は、不安定型、依存型、自己愛型、演技型……それぞれのパーソナリティ傾向の持ち主がパーソナリティ障害と呼べるほどのパーソナリティの機能の狂いをあらわす状態として用いることにした」という点が発見でした。やはり、説によって「境界パーソナリティ障害」の定義が違うのね。
引用したいのは236ページ。「性格は性格防衛によって成り立っている」という章からの一節。
たとえばW.ライヒは、『性格分析』という本で「性格防衛」という考えを述べた。性格防衛というのは、心の中の超自我や欲望との葛藤について、それをうまく処理する心の働き(防衛)であると同時に、それが親子の間柄や社会生活の中での適応にも役に立つ。そのような防衛と適応が一致したのが、その人のパーソナリティの働きで、それはいつもある程度継続的に、どんな時と所でも発揮される。性格というのはこのような性格防衛によって成り立っていると言う。
言葉を換えれば、外部環境からの刺激に対してある程度一貫して示される適応反応や防衛反応がパーソナリティということかな……何となく納得。