そのコピーのインパクトに惹かれて、記事を読みに行ってしまっただよ^^;。
ほぼ日経ビジネスオンラインSpecial
ディズニーランドにキティちゃんが入ろうとしたらどうする? 俺は止めるね
「ほぼ日」サイトに掲示板がない理由という話題が中心なのに、なんて刺激的なコピーなんでしょう(笑)。
なかなか含蓄のあることを話してますね。
ほぼ日経ビジネスオンラインSpecial
ディズニーランドにキティちゃんが入ろうとしたらどうする? 俺は止めるね
「ほぼ日」サイトに掲示板がない理由という話題が中心なのに、なんて刺激的なコピーなんでしょう(笑)。
糸井 そうなんですよ。初期の頃は、もうどれだけ掲示板を作れと言われたか分からなかったですよ。なぜ、みんな掲示板を作れとあんなに言ったのかというと、アクセスが増えるからなんですよね。
じゃ、なぜアクセスが増えるのかというのも、他人の意見が読みたいからじゃないんです。意見の対立とか、1人に非難が集中するなどの事故が起こるから。火事場は人気アイドルのステージよりも、人が集まるんです。
やっぱりね、人って邪悪じゃないけれども、どう言ったらいいのかなぁ、「ああ、僕の命はあってよかった」と確認するための悲劇を見るというのは、大好きですから。特に、普段、お高く留まっているところが混乱したり、燃えたりするのは、きっとうれしいんでしょうね。みんなけしかけ合っていますもんね。
そんな仕組みはやる必要はないな、と思ったんです。「ほぼ日」の立ち上げの頃、インターネットに詳しい人に参考になるお話をいろいろ聞いたんです。ネットの世界って、聞けば聞くほど「あ、僕がやる意味がない」というところに行くんですよ。だから、「ほぼ日」はネットの流儀だけではなく、あえて自分がやりやすいものとか、楽しいものをやってきたんですよね。
例えば、今はあんまり増やしてはいないんですけれど、「ほぼ日」の「おサルさん」のマークなんかも作ったりしてね。あれだってウェブを知っていた人からは、「こんなキャラクターを作るのはウェブ的じゃない」と言われました。今だと、きっと「ほぼ日」はWeb2.0的じゃないと言われているんだ、と思うんですよ。トラックバック機能もないし、コメント欄なんかもないからね。
NBO 確かに、一読者の立場で見ると、「ほぼ日」はほかのサイトと違いますね。ネットを見ている感じがしない。
糸井 この間、ある有名なブロガーの人と初めて会ったのですが、「糸井さんのサイトはすごく孤高な気がする。どことも繋がりを断っている、離れ小島みたいな存在として、みんなが知っている」って言われまして。「え、僕はみんなのこと知らないぞ」と言ったんですけれどね(笑)。
NBO 双方向的じゃない。
糸井 ではないんでしょうね。でもね、例えば、僕が大学の総長だとして、「大学の知識はみんなのものです、皆さん、いつでもいらっしゃってください」と言ったら、大学なんて成り立たないですよ。構内で「えー、今からサンショウウオのキンタマについて研究します」とみんなが集まっている時に、「俺はキンタマを抜くのは嫌なんだ」というお客さんが入ってきたとしますよね。総長としては常に「もっともな意見だったら聞きます」というわけには、やっぱりいかないんです。
ディズニーランドにキティちゃんが遊びに行きたい、と言ったらどうします? ネコのぬいぐるみを着て、「ニャー」と言って、ディズニーランドのチケットを買うために並んでいたら? 俺は止めますよ。キティちゃんのトラックバックは。(笑)
NBO 「お客様、その格好では・・・」と。(笑)
糸井 サッカーをやっている時は絶対に手を使わないですよね。そこで、手を使えるじゃないかと言われても、我々はその不自由を楽しんでいるんです、としか言えないんですね。
NBO なるほど・・・つまり、インターネットの道具として、双方向の機能は出てきた。実は、そのツールを渡されただけなのに、ユーザーには「なんでもできる」ような万能感さえ勝手に備わってしまった。それが今のWeb論を取り巻く状況なのかもしれない。
糸井 僕も最近のWeb関連の本はいろいろ読んだんですよ。確かに、いいことがいっぱい書いてあります。いいことがいっぱい書いてあるんだけれど、みんな、有限のものと無限のものとごっちゃにしていると思うんですよ。
有限の最たるものはやっぱり人生です。確かにみんなの意見を聞けて本当にいい時代になった。でも、みんなの意見を聞いているうちに死んじゃいますよと(笑)。極端っぽく言うと。
なかなか含蓄のあることを話してますね。