以前、通っていた英会話学校GABA(吉祥寺LS)の米国人から
教わったものです。少林寺拳法の有段者で、日本の武道に興味を持ち、
さらに米国NLPコーチング・コーチャーでもあるBen先生という方
です。
意味は、「車が山に阻まれたら、どこかに必ず通路がある。
行き詰まったり、迷ってしまったり、もう、どうしようもないと感じても
必ず(よくよく考えてみると以外な)打開の道がある」あたりでしょうか。
この中国の諺が、NHKの土曜ドラマの中に登場しました。
「遥かなる絆」という題名のドラマです。中国残留孤児の父、その養母
の生きた証しを、中国に留学した娘が父の手記をもとに辿っていく・・
ストーリーでした。
残留孤児の父が自分が日本人であり、祖国である日本に帰ることを決断し、
邁進する中で、いろいろな葛藤を感じ、その度に、この諺を呟くシーン
が何度もありました。
私の目には、涙のほかに、諦めない素晴らしさ、尊さが鮮明に映りました。
必ず路がある・・それは自然にできるものではなく、必ずしも自分だけで
作る、作れるものではない・・と強く感じました。
周りの人々の有形、無形の支援と自分自身の信念があってこそ、「路が見える」
のだろうなぁーと思います。
今の自分もそうです。夢があるから、興味があり、興味があるから、同じことを
考えている人々に出会う、出会って自分のことを受け入れてくれた人が、情報を
くれる。しかーし、路は見えていませんが。
ついつい「他力本願」寺派になってしまいがちですが、この諺を思うと、やはり
自分が主役であることを思い直します。
しばらくは、この諺と深ーく付き合っていこうと思っています。
教わったものです。少林寺拳法の有段者で、日本の武道に興味を持ち、
さらに米国NLPコーチング・コーチャーでもあるBen先生という方
です。
意味は、「車が山に阻まれたら、どこかに必ず通路がある。
行き詰まったり、迷ってしまったり、もう、どうしようもないと感じても
必ず(よくよく考えてみると以外な)打開の道がある」あたりでしょうか。
この中国の諺が、NHKの土曜ドラマの中に登場しました。
「遥かなる絆」という題名のドラマです。中国残留孤児の父、その養母
の生きた証しを、中国に留学した娘が父の手記をもとに辿っていく・・
ストーリーでした。
残留孤児の父が自分が日本人であり、祖国である日本に帰ることを決断し、
邁進する中で、いろいろな葛藤を感じ、その度に、この諺を呟くシーン
が何度もありました。
私の目には、涙のほかに、諦めない素晴らしさ、尊さが鮮明に映りました。
必ず路がある・・それは自然にできるものではなく、必ずしも自分だけで
作る、作れるものではない・・と強く感じました。
周りの人々の有形、無形の支援と自分自身の信念があってこそ、「路が見える」
のだろうなぁーと思います。
今の自分もそうです。夢があるから、興味があり、興味があるから、同じことを
考えている人々に出会う、出会って自分のことを受け入れてくれた人が、情報を
くれる。しかーし、路は見えていませんが。
ついつい「他力本願」寺派になってしまいがちですが、この諺を思うと、やはり
自分が主役であることを思い直します。
しばらくは、この諺と深ーく付き合っていこうと思っています。