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一元描写

私の日常の出来事をエッセイ風に記録して行きたい。

うつせみ (空蝉)

2007-08-07 22:27:36 | Weblog
 最近よくメタセコイヤなる高木を見かける。
その根元の辺りに、一糎程の無数の穴ガ有る事に気付く。視線をその幹から上の
枝葉にやると、蝉の羽化後の、鈴なり状の抜け殻に驚く。しっかり足を固定して、
背の部分から脱出し、成虫は木の幹に這い上り、蝉一生の華やかな謳歌が始まる。 

 幼い日、古賀メロデーの「永ろうべきか空蝉の儚き影よ~」と、子供心に、蝉
の哀れを感じたものだった然し、羽化後こそ、彼ら一生の、クライマックスでは
ないかと、大人になってからの私は、蝉しぐれに歓喜の歌の終楽章を重ねること
屡であった。只私は、残念ながら、無数の穴から幼虫が地上に現れる現場に遭遇
していない。しかし昆虫の変態については、養蚕農家に生まれて、日常的に観察
の環境にあった私だった。

 卵~(毛ゴ)の1令~5令と成長し、旺盛な桑葉を食み、6令には、絹糸を
8ノ字状に吐き、美しい繭となり、その中で蛹となって、旬日の間にみずから、
繭の破風部から脱出し、カイコ蛾になり交尾後産卵し、昆虫一生の終焉となる。 

 さて、メタセコイヤの根本の穴から地上に現れた蝉はその樹幹に這い上がり謳歌
後、高木に卵管を差込み、産卵し、翌年には、幼虫が地中に潜り込み6年余の歳月を
地下で過し(この辺りは観察の方法もなく謎の成長を経て)5令に達し
真夏の夕暮れ、地上に出て、空蝉を残して、短い生涯を謳歌し炎暑の蝉しぐれを
奏で恋を成就し、命を次代に残し、自らは尽きると言う。凛々しい世代交代だ。

巣立ち

2007-08-01 16:04:15 | Weblog
 望遠レンズを取り付けたカメラの放列を感じてか、恰も最高の乱舞を演じるが如く、
青空に、巣立って往った。

 人工の鉄塔の上に、雌雄の睦まじい、コウノトリが、営巣を始めて以来、70日余り、無事を祈りつつ野生復帰のこの瞬間を、我が子の事の様に、日本中の優しさが、集中して見守ったのだ。

 恐らく彼女のすんなりした赤い足には、発信機のブレスレットが、取り付けられているに違いない。

 その後、無農薬の水田に降り立って、ドジョウの餌食に会えたのだろうか?。

 発信機による学術的な、足取りの追跡の情報も待ちたいものである。 それにつけても、”獅子は子を千尋の谷に落とす”と。鸛の鳥も又、慈しんだ我が子を惜しみな自然界に旅立たせる。親離れ・子離れに纏わる多くの悩みを経験する人間どもが、特別記念物のヒナ一羽から、多くを学んだ文月の物語である\(^o^)/。             

配食ボランティア

2007-07-28 15:07:00 | Weblog
 ”ボランティア”は、戦後から、言い古された言葉である。
私の在住区の、地域活動課の肝入で ”ちょっとした手助けが嬉しい”とこんな
キャッチフレーズが掲げられ、求人の公示がなされた。

 自宅の夕食作りに少し早過ぎる夕刻の、約一時間がお役に立つならば。と、私は
その主旨に賛同して即座に、飛び込んで、既に4年。
以来、私は、毎週火曜夕刻4:45分には、指定校(最寄り小学校)の給食室
から、愛情の詰まったランチジャーを肩に掛けて、私担当の、A さんご夫妻の待つ
お勝手元に出向き、文字通り、肩の荷を下ろしたものでした。

 既に配付されているパンフレットによって、今日のレシピに相応しい、器が
用意されている器を私は見逃さない。「中々いいじゃない」と80余歳の奥様の
センスの良さと、確かな健康感覚を、垣間見て『お元気ですね』と、褒め言葉を
\(^o^)/を交わしつつ、盛り付けのお手伝いをする日々だった。

 然し他人様の勝手元への出入りである。長居は無用にと用が済み次第帰宅。

 然し、昨暮れ、ご主人が逝去され、今は一人分の配食となって些か淋しいが、
「息子の、家族と同居しないで、頑張って見たい」と、仰る奥様に、私の将来を
重ねて、学ぶ私でもあった。そしてそこからは、ランチジャーの重みには換え難い
生活の態度と頑張りの様な「愛」を感じさせられたものだった。     

雅号

2007-07-16 18:47:04 | Weblog
 

 TV番組で「♪繋がってるからね」とテーマソングが流れて始まる’プログラムに、
”アットヒュウマン”がある。私の好みとする番組みであった。


 昔取った杵柄の(綴方)延長線上にブログを繋ぐ事を思い立った私でもあるが、
私の趣味の漢詩吟詠で、上位に昇進した私は、雅号なるものを宗家より授与される
運びとなり、漢字二文字の第一は流派の一字を、第二字は本人の希望を取り入れる
事が許された。そこで数々のテンプレート中から、迷はずに選んだ植物の「姿」
こそ、落葉高木の「欅」の凛としたイメージであった。

 建築材としても優れ、堅古に根ざした大樹が直伸し、その立派な「梢」には豊な
枝葉が織り成して(切磋琢磨する多くの師弟達)、黒い影をおとす。そして、
そよぐ風の音を奏る。そこで、私の趣味の吟詠に纏わる雅号は『野間克梢』と
決定した.

 克風流宗家を筆頭に、諸先輩の築いた大樹の幹に相応しく、梢は飽くまで天を
指して、若々しく、新参者の務めと心得、繁栄させる事を旨とせねばならない。                                            

ブログ開設に当って

2007-07-16 18:00:00 | Weblog
 ブログに入門致しますので、ご好誼の程よろしくお願い致します。 
先立って投稿内容に相応しいブログ設定となると、些か緊張が走って金縛り入力と
なりましたが、然し結構楽しみました。
  田舎育ち、子沢山の末子の私は、現代の少子化問題とは裏腹に日々多忙に農業に
いそしむ父母の背中を見て、全く天真爛漫、野草の様に育ちました。加えて春夏秋冬
農作物の現況等を、実社会で働く兄姉に便りする事を私に課せられた務めと受け止め
喜びとしていた程でした。そして学齢に達した頃には、国語教育の綴り方の時間が、
大好きな子になっていました。 

 巡るめく時は流れ、人生後半の今、想定外の拾い物として、PCに遭遇し、幼児期の
綴り方の延長線上に、ブログを繋げようと、八十二の坂道を喘いでいます。25/4/30
 

表紙挿絵について;
     此の絵がなかったら、殺風景な全くの読本です。
    実は、私の、今様で言うならば「終活」の、手助けに
    名のりを上げてくださったのは、”パソ喫茶”指導者
    S先生です。全く奇特な方と言う他ありません。
    私の、思い入れの強かった、ユリノキを選んで、一幅
    の水彩画に仕立てて下さろうとは。 幸せの極みです。
    有難うございました。 尚、此の植物はP31をどうぞ。