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一元描写

私の日常の出来事をエッセイ風に記録して行きたい。

熱い週末

2010-06-23 16:59:24 | Weblog
『竜馬さまお元気でしょうか』。加尾の切々とした呼びかけからドラマは始まった。
言わずもがな。理不尽極まりない、兄収二郎の切腹を竜馬に先ず報告したかったのだ
ろう。当に冤罪である。土佐藩上士の吉田東洋の暗殺犯の濡れ絹を、土佐勤王党
武市半平太の側近達は、避けられなかったのか?。

 竜馬の崩友は幾多だが、餅菓子屋の長男の長次郎は、可成りの事情通で、幼少期を共
に過ごした兄貴分だ。上士の理不尽さへの憤りは、彼も同感で許し難く、洞察力も、
故郷の友を思う竜馬の底知れない魅力を見抜いた彼は、黒船来航後の混乱期には
行動を共にし、勝海舟の航海術を共に学んだ青年である。

 又、土佐藩の下士の家に生まれた幼友達の岡田以蔵は、武市の道場で、文武に
秀で、勤王党に参加し、苦悩しつつも、暗殺に手を染めていく。「人斬りの以蔵」
と恐れられた。この幼友の以蔵についても、何とかせねば、と、竜馬の悩みは
募るばかり。

 一方、竜馬最大の理解者である姉の坂本乙女は、岡上樹庵と結婚はしたものの、
竜馬脱藩の後も、二人の信交は続き、叱咤激励する熱い女性であった。
他方、竜馬の姪の春猪も、陰ながら応援する女性と成長する。

 幼友達の長次郎の知り合いと言う河田小龍は、竜馬の描いた稚拙な黒船に琴線
を揺すられ、これまた稚拙ながら、一枚の設計図に仕上げて立ち去った。
かくして、竜馬の「ヌーヨーカ」への憧れは天にも駆ける想いとなった。
  参考:竜馬作 和歌を掲げる。
 ~きえやらぬ 思ひのさらに うぢ川の 川瀬にすだく 蛍のみかは~ 











 


龍馬に寄せて

2010-05-18 23:15:15 | Weblog
 メル友のグループで、西国の話題を提供してくれるOさんが、腎臓の病に憑かれ、
オペに踏み切り暫く音信を絶つと告げて来た。驚きの友々のお見舞いメールが飛び
交ったその頃、「坂本竜馬伝」は愈々佳境に入り、その舞台は、山口県の萩市に
飛んでいた。

 泣き虫の少年が武術を開花させ、両親や、良き理解者、乙女ネーヤンに見送られ、
桂浜を後に江戸に向かう。三ケ条の「修行中心得大意」を書き与えた父も立派で
あったが、嘉永の大昔に、既に「日本国」に対する帰属意識があったとすれば、
やはり彼は異相であったのだ。栴檀は双葉より芳しである。

 桂浜の片隅にひっそりと歌碑が立っているそうだが、それは旧制高知高校の十番
に及ぶ”豪気節”。其の一節に「この浜に寄する大波は~カリフォルニアの岸を打
つ~そいつあ豪気だね~」と。南に洋々の航海を擁し『けんど日本は広いぞ!』と、
高知を愛し育った.彼のスタンスは、世界を見据えるに充分な、環境的必然性が
あったのだ。 確かに維新の大業は当に君に依って成ったのである。
 
  添付:沙羅樹又は夏椿


叱咤激励

2010-05-09 23:08:12 | Weblog
 あれから、既に半世紀も過ぎている。玉の輿をドタキャンしたOLのエピソードは当時、有名を馳せた。結婚前夜に、自ら、その断りに出向いたのだから、これは只者ではない筈。自分の運命を変えてまで敢えて、難行苦行に立ち向かって発起再出発したのだ。

 その、上京の出で立ちたるや、風雨を防ぐ赤い「パラソル」と、母親の持たせた「卸し金」の一丁だったと言う。 ♪包丁一本、サラシに巻いて~♪との、板前修行の歌詞は聞いていたが当時、勝手元では、根菜類のビタミン摂取には卸し金は手軽な必需品だった。

 かくして、彼女は日日研鑽を重ね、言論活動に没念して、一流のノンフィクシン作家として、成就したのだ。上坂冬子の一喝文は、各処で認められ、私は、婦人公論の連載等で、その理屈に納得させられ、私の血肉となった次第である。


 今年春爛慢の好期に冬子女史は逝ったのだが、花への風流韻文とてもなく、ひたすら、目指すテーマの執筆だった由を、或るコラムで知った。近頃の世相の喧騒を叱るに足る、懐しい一喝文には、もう会えない。

 
   長い間の文筆活動にアセビの一枝を添え感謝したい。合掌!

寸胴切り

2008-11-07 17:33:38 | Weblog
 私の住む区民公園北口の並木の14本について、当区緑地課宛に「私の提言」
なる投書を送信したのは、20年5月の頃だった。何時もの様なデジカメ散歩の
道すがら、私は自身の目を疑い丸坊主に伐採されたユリノキの下に呆然として
立ち尽くしてしまった。素性の良い、豊な葉を湛え、春、天に向って開花する
高貴なユリノキこそ、区民の誇りで、宝物でもあったのだ。

 所が、その後緑地課の、w青年が拙宅に現れ、「課としては手が回らずに
某造園師に剪定を委託した」との釈明があった。区民への説明もなく実施し、
心配をお掛けした、とも付け加えて、立ち去った。私は不承ながら、その後
も現場を訪ね、少しづつ切り口から、芽を出し健気にもオドオドと伸びる樹
を見舞った。そして翌年の春、精一杯芽ぐむ姿に、大いなる期待を持った。

 時は巡って秋の気配を感ずる頃、例の青年が再度現れて、「伐採ではなく、
レッキとした、剪定であった」事を、彼の勉強の資料を添えて、伝えに来て
くれたのだ。それに依ると”寸胴切り剪定”と称して、長期に渡り不適切
な手入れによって、基本樹形が崩れてしまったような場合に、3・4年の時を
かけて、再生させる為の剪定方法だったのだと言う。

 幸い、ユリノキは、生長が早く、萌芽力も抜群とて、樹形再生に踏み切り
早速ロープで吊り切りがなされたと言う。『それならばいい。』 約3M程に
寸胴切りされたユリノキは専門家の剪定技術を駆使され、矯正型自然樹形に
生まれ変りつつあるのだそうだ。

 素人区民の怒りの投書を、意気に感じて追求し、私を納得させたその行為
を高く評価したいし、数年後に甘く開花するユリノキに期待したい。

 (添付:寸胴切りされたユリノキと、それから2年後の姿)

感動のゲット

2008-10-19 10:38:29 | Weblog
 私、2枚目のイエローカードを神様から頂き、些か不名誉な再入院を
余儀なくさせられ、病棟での一ヶ月を送り、既に秋の七草の旬も過ぎ、
恒例の、デジカメによる七草収録も、諦めざるを得なかった。


 然し、10月も半ばを過ぎ季節も安定して、行楽日和が続き、私めの
「蜂窩織炎」(リンパ浮腫の合併症)も快方に向かい、カメラと散歩
する気分になり、お目当ての公園の草叢に分け入った其の時だった。
威勢良く回りの木々に覆い被さる葛(かずら)が目に止まった。繁茂
する蔓を辿れば、太い根元に遅れ咲きの花が在るではないか。

                             
 諦めの花との出会い。思わず身震いした。この頑丈な茎ならば、多分
根の澱粉も多かろう。葛餅の葛粉も採取される。漢方の解熱剤カッコン、
(蔓根)も此れから精製されると聞いている。カメラのズームも、目一杯
にして、シャッターに集中する私だった。

千秋楽

2008-09-29 20:39:08 | Weblog
 満たされた心で、勝手元で夕餉の支度をした。
最近、スポーツアナの解説が懇切で、相撲知識
が身につき、一端の講釈をする私となっている。

 今日も手に汗を握る何番かがあり、満員御礼の
秋場所、千秋楽に相応しい横綱白鵬x大関琴光喜
が両国を揺るがした。白鵬は一人横綱の責任上。
方や琴光喜は大関の意地があおう。両者がっぷり
の攻防は熾烈を極め、遂に、白鵬が豪快な上手投
げで、決めた。

 張りのある姿態で勝ちっ振りが美しく品がいい。
日本人以上に、日本武道に精通の大物と見うける。
勝ち急ぎの姑息な手段は、相撲道としては見苦しい。
琢磨した、裸一貫の実力が、何としても魅力的だ。

日本の2学期

2008-09-02 08:27:22 | Weblog
 外出して、小学校の側を通った時、ざわめきから、新学期が始まったと知る。
先般、大分県の教育委員会の不祥事が明るみに出て、世の中を唖然とさせた。
思えば私などの子育ての頃は、「教育委員会!」と言えば泣く子も黙る程の
ものだったが、その権威が、全く地に落ちた。

 トップとかナンバツー達が、贈収賄に踊らされ、教員の国家試験に下駄を
履かせたり、果ては脱がせたとかの体たらくであった。結局、不正合格者
の取り消しと相成った。こんな異常事態に現場の混乱は必定。担任不在の
教室で、生徒への苦渋の説明は恥さらしそのものだろう。

 経つて生徒の学力が世界水準から、低下したとの事で、文部科学省が、慌て
ふためき、当時一般社会から、歓迎されていた”ゆとり教育”が朝令暮改的
に崩れた。教育方針の緒についた現場とそれに係わる多くの(私も)大人
達を混迷と落胆の渕に追いやった。

 何れにしても、指導者の背中を見つめて、影響を受ける子ども達が居る事を
切に感じて欲しいものだと、道すがら思う私だった。

 

フード・マイレージ

2008-06-08 12:11:58 | Weblog
 晴れ間は貴重だが、地球人にとっては地球温暖化も火急的大問題だ。

雲一つない青空の下、NHKで2日間に渡って、エコに関する特別編成による大イベントが放映され、私の心を捉えて離さない。

エネルギーを消費し続ける私達。 田舎育ちの私は一般のレベルからすると素朴な生活である筈だ。 さりながら、家内環境は、留守番電話・ファックス・勝手元の電化製品の数々・瞬間給湯器風呂・全自動洗濯機・ウォッシャブルトイレ・パソコン等と待機電力は24時間、CO2を排出し続ける。

私の身辺で何から協力すべきか?洞爺湖サミットも目前。地球規模で、地球の未来にやさしの議論を願おう。

 先だって、”世界への提言”と名打って「子ども環境サミット」が開かれ健気にも、一人一人が出来る事から、着手すべきだと結論付けていた。
日常、「スイッチを手まめに切る」「早起きして勉強する」「学校給食などでは輸入食品より、自分の土地で収穫された食品を調理してもらおう」食品の船旅やフライトの旅はCO2削減には逆行すると結論した。  当にフードマイレージだ。 


添付:エコの花(今日の花弁は明日の開花のエネルギーとして吸収される)

被災地に5月の花を贈ろう (卯の花)

2008-05-25 15:00:42 | Weblog
 節気の小満が過ぎた。薫風を胸一杯にと思ったら、何と今日は
関東内陸などは、暑い暑いの夏日である。春の次は穀雨が注ぎ、
立夏が見え隠れして、皐月へと季節の移ろいの異常さが、近年
の気象状況である。

 地球温暖化の所為だと、異口同音に言うから、私もそう思う様
になった。今日も暑い外出から帰宅すれば、主人がエアコンを
入れてくれた。地球人が今、最も考えさせられている「CO2」
の排出の片棒を担ぐ事になる「時期尚早であるから、せめて
エアコンをOFにして(我慢)微力を捧げよう」と話し合った。

 どうする事も出来ない天災と言えば、未曾有の大震災、中国大陸
の、ど真ん中の四川省のそれだ。日を追って被害は増幅され報道
は、阿鼻叫喚を極め、涙するばかり。私だったら仮設住宅を切望。
そこでしっかり眠って10年後の家庭再建を熟考する他はなかろう。

レッテル

2008-04-26 17:46:15 | Weblog
 「レッテルを貼られた」等と、言っては可笑しいかどうか?。
それは「後期高齢者」なる新語である。私は、左程にこの件に
怒ったりはしない。むしろ、「65歳のお年寄り」等とまるで
接頭語の様に使っている世の中の非常識振りに腹をたてる。

 人間、子育てを終え、立派に家庭に尽くせば、60歳に到達
する。いよいよワレに帰って遅蒔きながら、第二の青春に向う
べき人を「お年寄り」とは何事ぞ!。世の中堅層に失礼千万だ。

 或る作家が後期と言おうが、末期と言われようが、やがては
平等に死に至るのだ~~。と、否定とも肯定とも付かぬ意見を
述べていた。

 私は最近、高額医療について、役所に質問をした。手間取って
いるので、「私、後期高齢です」と加えた所、あ!そう。と℡の
向こうで、台帳を見るなり、適切な返答がスピーデーに戻った。
私は,事務方の都合が良ければ「後期」の区分も、多いに結構。
医療費問題は、己の健康管理に万全を尽くし介護不要となろう。

                      

                       
 
 


送別

2008-04-10 19:44:57 | Weblog
 悠々人生を追求したゴンさ~ん
貴方の生涯は”花蘇芳(はなずおう)の様に豊でした。
私の投稿”篤姫”にトラックバックを寄せてくださった。
『侍女菊本が何故自害したのか。遺言が気になっている』と。

 私はその後益々NHKドラマにはまり続けています。
島津家ご本家の養女と決まった施一(おかつ)が、身分の低い
菊本に養育されたとあってはと、菊本の自害は、覚悟の上で
あったとは、やはり時代の趨勢と言う他はないようです。

 その後も、おかつは菊本の教えを胸に刻みつつ、次なる老女
幾島によって、地下の訛から脱却し、お姫教育の指南の日々で
菊本の忌日も忘れたかに見受けます。そしてペリーの黒船到来で
日本の開港から、明治維新へと疾走し、益々’有職故実’に通じ
た幾島に感化され篤姫は目覚しく成長しておりますよ。ゴンさ~ん。

合掌 !!

添付:ゴンさんの懇切な指導で、目一杯のズームし撮れたユリノキの花


























女の道

2008-02-17 22:29:19 | Weblog
 今、私の好きなNHKドラマに、”篤姫”がある。私は、島津家の侍女、菊本(養育係)の一挙手一投足が気掛りでならない。時代考証がどうあろうと、普遍的な女の道がある筈である。目下、七十九歳劇団民芸生え抜きの女優、佐々木女史が、ある問いに「女、三界に家無し」の教育で育った私ですから、「全く地で行くだけです」。と、自分の役柄について発言していた。

 今、至る所で、将来に残したい物は何?。などの話し合いがされている。’篤姫養育’の理念『女の道は一本道、定めに背き引き返すは恥です。』の菊本の台詞に、脚本家の技量を只納得した私。

 しかし、時代の趨勢の中で現代人の価値観を考慮すれば、これらの言葉をそのまま残そうとは思わない。しかし残してはならないとも思わない。娘を嫁がせる両親ならば、心中に刻んで置いても悪くはない。

 中でも、十三代徳川家定の御台所と上り詰めた篤姫が、徳川を支え、江戸城最後の女主として、矜持を貫いた、あっ晴れな行為は、他ならぬ武家の養育があったればこそであろう。 

   

芭蕉翁を追って

2008-02-11 17:33:51 | Weblog
「えんぴつで奥の細道」と言うポプラ社の冊子が今静かなブームと成っている。

  時は元禄の頃、"上野谷中の花の梢"に思いを残して、前途三千里の行脚に
踏み切り,心血を注いだ紀行散文こそが、「奥の細道」で、それを観賞する為の
テキストである。

 私の記憶機能が確かな頃、特有な文体や翁の造語に至るまでが、心を虜にした。
そして、暇さえあれば、その文体の暗唱に努め、翁以上に、「未だ目に見ぬ境」
へのイメージを逞しくしたものだった。

 奥羽三関の一つ。「白川の関にかかりて、旅心さだまりぬ」とは、門出から、
十三日目の事。奇しくも、私の手術予定日と一致した。

 。
そして、早速、私の敬愛するS先生のお見舞いを頂き、鑑賞テキストをお届け
下さり、天にも昇る嬉しさだった。
そっして、術後のつれずれに鉛筆の奥の細道をトボトボと追う日々になろうとは。

 そして、松島湾の風光に癒される頃に、私の病も快方に向かい、鼠の関を越え、
越後に歩を進め、子年の正月(自宅で)を迎えたことになる。                                  

秋のななくさ

2007-08-23 23:17:28 | Weblog
 処暑!と言っても暦の上の事。
未だ残暑が厳しい筈と言いながらも涼への期待は大きい。
とりわけ今年の記録的な猛暑に辟易なれば季節の移ろいを敏感に追い求めたい。私
やはり、今年こそ、’秋の七草’を逸早くこの眼に焼き付けたいと願っている。

 食用を目的にした ’春の七草’に対して、秋のそれは、私共の生活に活かされ
ル実用的な植物である。 

「秋の野に咲きたる花を指折りて書き数うれば七草の花」のミソヒト文字を
子供の頃から、、語呂良くそらんじていたものだ。

『萩ケ花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花、また藤袴、朝貌(アサガオ)の花』と。 


 屋根を葺く材料のススキであったり、葛蔓は籠に編まれ、そして根は料理材料の
クズコに加工。又、観賞用に、漢方薬にと、広く愛用されている。

 私は今年、早々に葛花をゲットして悦に入っている。残る六種はデジカメと
共に採取しよう。        

座右の銘

2007-08-17 22:20:08 | Weblog
 記録的な猛暑の連日である。かつて、夏日の拙宅では、私が或る格言を刻んだ一号版画の額を玄関に掲げ、我が家のモットーにして、生活した子育て時代の日々があった事を懐かしく思う。

 それは、”心頭滅却せば火も亦涼し”である。 

 古来の七言絶句のこの結句は、広く人々に愛誦された。
        晩唐の詩人、杜 荀鶴(とじゅんかく)の作品である。


 彼は、僧衣を纏い仏道に精進する悟空上人に感動して、此の道に入り、
修業した人のみが知り得る境地を、四行詩に纏め、僧院に贈ったと聞いている。

 最近、テレビドラマ「風林火山」に登場した武将、織田信長は武田勝頼を、
打討すべく、甲斐攻めをし、当地の慧林寺に火を放った。
その時、当院の禅僧、快川和尚は、楼門に登り、この名句を朗誦しつつ、
焼死したと言う。かの有名なエピソードが演じられていた。

 しかし、暑ければ、クーラー三昧で過ごす世の変遷で、人間の(こらえ性)
の様なものが減って了った今、この様な逆境に遭遇して果たして、心頭を滅ぼし
得る人が、どれだけ居るか?。私は、格言の価値について、寒心に堪えない。