
流石に高山であった。酸素不足の高山病も発生し、仲間の皆さんには、心配を
掛ける羽目にも陥ったが、日帰り計画の気持ちの張りもあって、早々の下山には
支障がなかった事は幸いであった。
何しろ、60年も昔の行動を思い出すのは容易ではない。然し、「砂走り」と
云う楽しみは、かねがね聞き及んでいたので、帰りは静岡県方面の御殿場に向か
った。山懐に立てば、身の廻りは一面の砂質の瓦礫ばかりだったと記憶している。
大変な鋭角で、一歩踏み出すごとに,膝あたりまで砂に潜り、その度にズズーット、
足が3メートル位は進む。どうにも止まらない!っと言った感じで、一定のリズムで
走り下りたことになる。40っ分ぐらいおりた頃、雪渓が残っていたので、カメラを
自動にして、何とか、頂上をバックに集合の記念撮影ができ、一路、ガラガラ石の
下り道を御殿場から、相模湾方面に進み、東海道線乗車、気がつけば東京であった。
今思えばハイキングともなれば、前夜はお弁当作りで寮内は賑やかであったのに、
日帰りの強行軍の兵糧はどしたのか、何れ買ったに違いないのだが、皆目思い出せ
ないのも不思議だ。
そして無事4人は農林省の守衛に挨拶をして、男・女の遼に帰宅した。
私は、ただ達成感に浸り、疲れ切った体を寮の終い湯に浸し、泥睡したに違いない。
さて約60年の歳月が、うたかたの如くに流れ、2013年6月には、関係の多大の努力が
実を結んで、ユネスコにて、世界文科遺産と決定したのである。全く今昔の感が深い。
たしかに、独立峰としての淡麗さは日本の象徴に値し、日本列島の誇りであるが、然し
私は、登山のあの経験から心配が多々ある。銘泉と言われる伏流水と登山者のトイレの
因果関係と、此の目に焼き付いた、瓦礫とゴミ,砂走りの中に紛れ込んだ藁屑の汚れ
が、現今の登山者の意識の高まりで、私の心配を払拭する程に成長したのだろうか?
山開きを目前に、登山道の整備も進み、銀座の歩行者天国の様な心得違いのヤカラ
が殺到し、大事故を招かぬ様願いたい。勿論環境保全の為の獏大な費用の捻出の為、
有料登山は当然だ。人事を駆使した、バイオトイレの出現にも安堵する。世界の遺産だ。
三保の松原越しの、遠望する美しき富士よ、永遠なれと祈らずにはいられない。
掛ける羽目にも陥ったが、日帰り計画の気持ちの張りもあって、早々の下山には
支障がなかった事は幸いであった。
何しろ、60年も昔の行動を思い出すのは容易ではない。然し、「砂走り」と
云う楽しみは、かねがね聞き及んでいたので、帰りは静岡県方面の御殿場に向か
った。山懐に立てば、身の廻りは一面の砂質の瓦礫ばかりだったと記憶している。
大変な鋭角で、一歩踏み出すごとに,膝あたりまで砂に潜り、その度にズズーット、
足が3メートル位は進む。どうにも止まらない!っと言った感じで、一定のリズムで
走り下りたことになる。40っ分ぐらいおりた頃、雪渓が残っていたので、カメラを
自動にして、何とか、頂上をバックに集合の記念撮影ができ、一路、ガラガラ石の
下り道を御殿場から、相模湾方面に進み、東海道線乗車、気がつけば東京であった。
今思えばハイキングともなれば、前夜はお弁当作りで寮内は賑やかであったのに、
日帰りの強行軍の兵糧はどしたのか、何れ買ったに違いないのだが、皆目思い出せ
ないのも不思議だ。
そして無事4人は農林省の守衛に挨拶をして、男・女の遼に帰宅した。
私は、ただ達成感に浸り、疲れ切った体を寮の終い湯に浸し、泥睡したに違いない。
さて約60年の歳月が、うたかたの如くに流れ、2013年6月には、関係の多大の努力が
実を結んで、ユネスコにて、世界文科遺産と決定したのである。全く今昔の感が深い。
たしかに、独立峰としての淡麗さは日本の象徴に値し、日本列島の誇りであるが、然し
私は、登山のあの経験から心配が多々ある。銘泉と言われる伏流水と登山者のトイレの
因果関係と、此の目に焼き付いた、瓦礫とゴミ,砂走りの中に紛れ込んだ藁屑の汚れ
が、現今の登山者の意識の高まりで、私の心配を払拭する程に成長したのだろうか?
山開きを目前に、登山道の整備も進み、銀座の歩行者天国の様な心得違いのヤカラ
が殺到し、大事故を招かぬ様願いたい。勿論環境保全の為の獏大な費用の捻出の為、
有料登山は当然だ。人事を駆使した、バイオトイレの出現にも安堵する。世界の遺産だ。
三保の松原越しの、遠望する美しき富士よ、永遠なれと祈らずにはいられない。