パステル画は自由自在
パステル画の長所は、まずパレットで色を混ぜて作らなくて良いこと。現場合わせで色味がすぐに調整できる。下地の色がチラチラ見えるので、いわば和音で描ける。筆とかの道具類もいらない。いつでも消せることも大事、よく失敗をする人なので、消せる、前に戻れることは必須。そういえば小学校の頃、テスト中に消しゴムがコロコロっと転がって行ってしまった時の成績は最悪。仕方がないので指に唾をつけて擦るのだけれど、テスト用紙は真っ黒。その癖は今でも、車を擦ったとき、傷跡に唾をつけて擦る癖として残っている。
春を待つ町・兵庫県新温泉町
ドラマ「夢千代日記」の舞台、兵庫県新温泉町。
同じ裏日本の民の私は、自分の性質に山陰の風土を感じる。山陰の空は十一月にもなると、「うら西」という湿った風を吹かせる低い雲に覆われて、思い出す景色はどれもモノクローム。晴れの日よりもなぜか落ち着く。
人の記憶と言うものは、例えばクリスマスツリーのオーナメントみたいに、幼い原風景と抱き合わせになっている様に思える。例え新しい記憶でも、何かしらペアになっている原風景を呼び起こしてしまう。
僕「夢千代日記」がものすごー好きどすねん。下の山陰の風景を描くときにはドラマのビデオを見ながら(目は絵に落としているんで実際は聴きながら)描きますんや。ほんでも出演者のほとんどが逝ってしまはりましたどすなぁ。一番先に逝かはりそうな夢千代さんはお元気そうで、マー何よりどすわ。
もしこの町に行けたら昔に戻れる様な、ドラマの皆さんが実際に生きている様な、人恋しさがたまりませんのんや。
母の里 京都府与謝野町
名もない町で人に羨まれもせず誹られもせず平凡に生きられれば、そこも桃源郷であろうが、テレビの電波はどんな僻地へも侵入し「幸せを人と比べる文化」を押し付けた。
この里にもバイパスが通り巨大なアウトレット店が開業して、誰もがお金で幸せを買いに来る。
2月の日本海 京都府京丹後市
テレビに富をひけらかす番組が溢れて「何クソ、僕だって・・」と足下を見失う事もあるが、この風景の厳しい自然の中で生きる人々に会うと、又勇気が湧いてくる。荒海へ船をこぎ出す人、段々畑を耕す人・・、苦労をいとわぬ「若くはない人達」が居る。そして安い宿賃で、お腹一杯蟹鍋を食べさせてくれた80歳のおばさん「有難う」。
パステル画(44×33㎝)
制作過程
梅の咲く頃 京都府与謝野町
前に「母の里」で描いた村。故郷と言っても小学校区は隣で、私は機屋の地区だがここは農村。子供の頃は学区が違うともう「よそ者」。祭りで「お呼ばれ」に行くと、近所の子供達が偵察にやって来て、まるで猿が威嚇し合うような小競り合いが生じたものである。中学で同じクラスになったとき、敵は憶えていた。
パステル画(55.5×40.5㎝)
制作過程
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僕の母方のお爺さんのお爺さん、文政の百姓一揆の首謀者、吉田新兵衛の里です。「一揆」の DNAは僕にも甥っ子の新吾にも流れている筈。新兵衛様、どうかお守り下さい。