☆下に記事を追加しました。 2021,2,21
初雪の朝 京都市鞍馬
雪の降る前って、遠くで石炭が煙るような匂いがしませんか。
漆黒の夜空を見上げ思いっきり息を吸えば、鼻の奥がキューンと痛くなって、何か生まれる前の事を思い出すような、少し寂しい気持ちになりませんか。
ほんの些細なことに生きてるって感じることがあるけれど、次の瞬間には頭の中の喧騒にかき消されている。(パステル画)
★この絵は僕の一番好きな絵です。対物描写は控え目に、距離しか描いていない。(立体感モリモリに本物みたいに描くのは実は簡単。セザンヌの絵に立体感がありますか?)神経を集中させるわけでもなく、ひたすらボーッとしていて、目は手が動くのをぼんやり見ている。この精神状態が至福の時。禅定状態に近いのかも。遥か昔の情景や空気の匂いが脈絡もなく浮かんでは消え、この絵の文にある「鼻の奥がキューンと痛くなって、生まれる前のことを思い出す様な少し寂しい」感覚なのかもしれない。
小正月の頃・大江山の見える夕景 京都府与謝野町
祖母が健在だった頃、藁に5センチおき位に団子をくっつけて、餅花を作った。確か大黒柱に飾ったと思う。善哉を折敷きに少しだけ盛り、神棚や生糸の目方を量る匁秤(もんめばかり)の前に供えた。陽の落ちた玄関の間にぼんやり灯った蝋燭と、格子窓のシルエットを外の雪明かりが映し出して、幼心にも神々しく感じていた。(パステル画)
鞍馬街道 京都市
鞍馬寺山門の前。山菜の佃煮屋さんも店仕舞い。同じ左京区でも家を出た時には風花程度だったが、北山を登る電車はちょっとした登山電車で、終点鞍馬はすっかり雪国。
手や足がかじかみ、耳たぶがちぎれるように痛いのが妙に新鮮で、「雪やこんこ、あられやこんこ……」と口ずさんでいる。(パステル画)
銀閣寺のお正月 酉年の正月に描きました
義政が施せなかった銀化粧を雪が代わってくれている。屋根の上の鳳凰さん、昨年「鶏族」は散々だったけれど(鳥インフルエンザ)、干支の年こそ汚名挽回で「不死鳥」の力を発揮して欲しい。
今年は絵葉書にも登場する様な京都のメジャーな風景や風物を多く描くつもり。いくつかの号は文章をなくして絵を下へ延ばしました。皆様のそれぞれの京の思い出を綴ってご鑑賞下されば幸いです。
頌春
鎮魂の風景 京都府与謝野町 あなたはこの絵の中の悲しみを感じることができますか?
この国の労働者は奴隷なのか。過労死を遂げた甥に、縁の薄い人までも「えっ、あんな優しい子が・・・・」と絶句して涙を流してくれる。「弁理士」という超難関の資格を取り、巨大企業に転職したばかりに潰された。まだ30歳というのに。(知的財産部でその部長が有資格者でないというのはなんという会社か。部長とお局と呼ばれた女の嫉妬によるイジメで殺されました)
「執着を解け」と教える仏教であるが、どうかこの「怨」だけは許して下さい。巨象に立ち向かう蟻に何卒「知恵」をお恵み下さい。
もしも芸術に命が宿せるなら・・・。お前が子供の頃遊んでいた八幡様の下の道だよ。
☆無理をさせ無理をするなと無理を言う (新聞の川柳より)
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★糞サントリーよ、このサイト誰が見てると思う?
頂相とは、鎌倉時代に南宋(呉)より禅宗が渡来して以来続く禅僧の肖像です。禅用語は呉音読みが多く頂相もチンソウと読みます。一番ポピュラーなのは東博にある一休宗純像と思いますが、頂相は知らなくても誰でも知っている語句があります。自画自賛です。自分の絵(絵描きに描かせた)に賛(遺偈・遺言)を書いて弟子に渡し、嗣法の証としました。
この時代にモンゴルの侵略から逃れて多くの文化人が呉から渡来しました。如何に呉の影響をうけたか、証拠の一例はなぜ和服のことを呉服と呼ぶのでしょうか。(呉服:いろいろ説がありますが、十二単から呉風の筒袖に代わった説)