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金融権力の系譜1

2021年08月12日 09時30分24秒 | 金融権力、地球の戦争と悪魔教: アダムスキー氏の解説に基づく考察

金融権力の系譜1

―エルサレム神殿、十字軍・テンプル騎士団、フランス革命、構造改革、新型コロナ超限戦―

イエス・キリストがエルサレムの神殿から追い出した金貸し(今日の銀行家)の子孫のユダヤ人達は、西暦70年にエルサレムが陥落した時にヨーロッパへ脱出し貴族になったそうです。

約1000年後、彼らの子孫は十字軍とともに再びエルサレムに戻り王国を作り、一部はテンプル騎士団として軍事作戦と国際金融に従事したそうです。

テンプル騎士団は、世界最初の国際銀行家集団であり、現代社会を支配する国際金融財閥の祖先ということになります。

テンプル騎士団が弾圧された後は、彼らの一部はフリーメーソンになり、その後継者達はフランス革命に加わりました。

フランス革命は表面上はフリーメーソンにより起こされたものとされていますが、その黒幕は、ロスチャイルド財閥が世界支配のために作った秘密結社イルミナティでした。

イルミナティは、自らをテンプル騎士団であると称しています。

ロスチャイルドは、ドイツのフランクフルトのユダヤ人国際銀行家であり、黒海沿岸にいたカザール系ユダヤ人(正確にはユダヤ教徒)の子孫であると言われています。

現代世界を支配し、日本に構造改革を命令しているのがロスチャイルド財閥であることは、既に何度も述べてきました。

テンプル騎士団は、ロスチャイルド財閥の原型とも言うべき国際銀行家です。欧米のフリーメーソン系やロスチャイルド系のマスコミ・文化人は、近年テンプル騎士団を賞賛する記事を数多く書いており、日本でも最近関連する書籍が出版されています。彼らも懐古趣味を持つようです。

今回は、これらの隠された歴史を証言する文献をご紹介いたします。

 

A エルサレムとテンプル山

出典(1): ラビ・バトラ、2005~2010世界同時大恐慌、p.51-52、あ・うん、2004

 

エルサレムは古代から神秘に満ちた都市だ。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の遺跡が共存している。

 

たとえばテンプル山にある「大岩」。

今は巨大ドームに覆われて「岩のドーム」と呼ばれている。

この大岩は、ユダヤ教にとっては始祖アブラハムが息子のイサクを神に捧げようとして神に試された神聖な場所だ。

またテンプル山の下には、紀元70年にローマ帝国によって滅ぼされたユダヤ人のソロモン神殿跡が埋まっている。

唯一神ヤハウェ(エホバ)を祀るこのソロモン神殿の再建こそ、イスラエル建国に続くユダヤ人第二の悲願なのである。

 

ところがイスラム教にとって見れば、「預言者マホメットが天馬・プラークに乗ってメッカからエルサレムまで飛来し、この大岩かの上からハシゴを昇って天に向かった」(コーラン)聖なる場所なのだ。

 

さらにエルサレムはキリスト教にとっても聖地となる。

イエスが「最後の晩餐」をとったのがこのエルサレムであり、十字架にかけられたゴルゴダの丘、遺体が納められた聖墳墓教会など、イエス関係の遺跡も数多く遺されている。

 

ブログ著者補足

イエス・キリストは、このエルサレムの神殿で金貸し(今日の銀行業)をやって「やもめの家を食い物にしている」者たちを追い出しました。(2)

また、キリストはこの神殿を支配していたユダヤ教の教父たち(Talmudic phariseesタルムードのパリサイ派)は悪魔の子であると言っています。(3)

 

ここで注意すべきことは、イエス・キリストは、ユダヤ人全体を非難しているのではないということです。

キリストが非難したのは、大部分のユダヤ人庶民を騙して支配している一部の「タルムードのパリサイ派」です。

キリストは、大部分のユダヤ人を「タルムードのパリサイ派」神官の魔の手から救おうとしたのです。

現代世界を支配している国際金融財閥の支配者は、イエス・キリストが非難した「タルムードのパリサイ派」神官の子孫や後継者達です。

糾弾され責任を問われるべきは少数の国際金融財閥の支配者達であり、大多数の無力なユダヤ人ではありません。

欧米で見られるようなユダヤ人全体を敵とみなす単細胞的な反ユダヤ主義に同調してはならないのです。

 

出典:

(2)新約聖書

(3)対日 宣戦教書!―暴かれた「悪魔の選択」、米CIAレポート「JAPAN 2000」の深層を抉る、馬野周二監修、徳間書店 (1992-02-29出版), p.314-317結語

Des Griffen著、「ANTI-SEMITISM and The Babylonian Connection反セム主義とバビロニア・コネクション」、Emissary Publications, 1988の中の「Judeo-Christianity? ユダヤ-キリスト教?」の部分の訳文

(補足終わり)

 

B 西暦70年エルサレム陥落・脱出、十字軍とテンプル騎士団の祖先

1 西暦70年エルサレム陥落・脱出

 

出典(4):

原題:Fleshing out Skull & Bones 「スカル&ボーンズを肉付けする」

邦題:闇の世界権力 スカル&ボーンズ、徳間書店、2004

著者:アントニー・サットン、クレス・ミレガン

p.334-335

 

西暦70年、テトスがエルサレムを陥落させようとしているとき、それぞれの務め(ほとんどは神殿の義務に関するもの)を負った一団が、聖油や貴重品といった信仰の道具を集め、それを神殿の山の洞窟などに隠した。

さまざまな聖職者や王族から構成されていた一族団はそこで解散し、多くはヨーロッパへ逃れて「貴族」となった。

 

ブログ著者備考

当時のエルサレムの神殿は、ユダヤ教のパリサイ派神官による金融業の中心地でした。

このため、神殿には莫大な金銀・財宝が蓄積されていたと考えられます。

エルサレム陥落に際して、パリサイ派の聖職者や王族がそれらの財宝類を持ってヨーロッパに脱出すれば、移住先で土地などを購入して有力な貴族になることは容易であったとかんがえられます。

また、ユダヤ人は当時から地中海沿岸に居住地を数多く持っていたため、そのつてを頼って移住し、新しい生活を立ち上げることは容易であったと思われます。

(備考終わり)

 

ナイトとロマスによれば、レックス・デウスという一族の秘密結社があり、選ばれた息子が21歳になったときに父親から真実を明かされた。

この組織は、ダニエルとイザヤの預言に従って、十字軍とともに地上に現れたとされている。

 

以下にまず、クリストファー・ナイトとロバート・ロマスの「第二の救世主」を抜粋引用してみよう。

 

『浮かび上がってきたのは、ヨーロッパの貴族からなる一団の姿だった。

ダヴィデとアロンの血を引くユダヤの子孫で、神殿が陥落する直前、あるいはその直後にエルサレムを脱出した。

彼らは神殿の下に隠された遺物のことを、それぞれの一族で選ばれた息子(長男とは限らない)に語り継いできた。

 

一団を構成する貴族の中には、

シャンパーニュ伯爵家、ジゾール卿家、ペインズ卿家、フォンテーン伯爵家、アンジュー伯爵家、ド・ブイヨン、ロスリンのセントクレア家、ブリエンヌ、ジョワンヴィル、ショーモン、セントクレア・ド・ジゾール、

セントクレア・ド・ネグ、ハプスブルグ家などがいた。』

 

テンプル騎士団は、この組織から発展したものだ。

彼らはエルサレムに行き、神殿の山に住み、その後ヨーロッパに戻っていわば最初の国際銀行家になった。

 

ブログ著者コメント

クリストファー・ナイトとロバート・ロマスによれば、エルサレム陥落により脱出した秘密結社「レックス・デウス」を形成するソロモン神殿のパリサイ派ユダヤ人神官や王族たちがヨーロッパの貴族となり、その後、十字軍の形を借りてエルサレムに帰還しテンプル山のソロモン神殿跡に住んだそうです。

その際、テンプル山の洞窟などに隠されていたユダヤ教パリサイ派の聖具類を掘り出し、儀式を復活させたと思われます。

そして彼らは、ヨーロッパに戻り最初の国際銀行家となり、キリストの時代にソロモン神殿で行なっていた銀行業を復活させました。

しかしそれは不幸なことに、キリストにより激しく非難された反キリスト的行為でした。

クリストファー・ナイトとロバート・ロマスの記述で脅かされるのは、ヨーロッパ社会のことをあまりよく知らない私でさえも聞いたことのある貴族の名前がリストに記載され、彼らの祖先がエルサレムにいたユダヤ人であるとされていることです。

クリストファー・ナイトとロバート・ロマスの記述の信憑性を確認する術は私にはありませんが、特に驚かされるのは、ハプスブルグ家がユダヤ人の血を引いているとされている点です。

 

1914年のハプスブルグ家のフェルディナンド大公のサラエボでの暗殺が、第一次世界大戦の引き金としてユダヤ人のロスチャイルド財閥により仕組まれたことは有名です。

どうやらあの戦争は、同族同士の権力闘争の様相も含まれていたようです。

(コメント終わり)

 

 

2メロヴィング朝との関係

 

出典(31):

著者;モーリス・シャトラン(NASAのアポロ計画に関与した電子工学技術者、フリーメーソン結社員と推定される)

原題:The First Christian 最初のキリスト教徒、

邦題:キリスト教と聖書の謀略、1994、日本文芸社、p.89

 

(フランス最初の王朝である)メロヴィング朝の王たちは、モーゼの、さらにはノアの子孫を自称していた。

千年後の今でも、フリーメイソンのあいだではこの言い伝えが信じられている。

(中略)

最後のメロヴィング朝の王は、ウルススという異名を持ち、885年に自然死をとげたジゲベルト6世だった。

彼は、ゴドフロワ・ド・ブイヨンと、その弟で1100年から1118年までエルサレムを統治したキリスト教王、ボードワンの先祖にあたる。

 

ブログ著者コメント

クリストファー・ナイトとロバート・ロマスの記述によれば、第1回十字軍によりエルサレム王国を建国したゴドフロワ・ド・ブイヨンは、西暦70年のエルサレム陥落により脱出したソロモン神殿のパリサイ派ユダヤ人神官や王族の秘密結社「レックス・デウス」の子孫だそうです。

文献(31)のモーリス・シャトランによれば、ゴドフロワ・ド・ブイヨンの祖先はメロヴィング朝の王族ですから、エルサレムを脱出した「レックス・デウス」の子孫は、フランス最初の王朝であるメロヴィング朝の王族になったことになります。

どうやら「レックス・デウス」は、エルサレムからフランス北部へ移動したようです。

その移動経路は、モーリス・シャトランによれば、エルサレムからギリシャのペロポネソス半島のアルカディアを経て、ドナウ河をさかのぼりライン川上流部を経てフランス北部のロレーヌ地方に至ったと言われています。(31)

(コメント終わり)

 

C 十字軍

1 第1回十字軍(1096~99)

 

フランスと南イタリア(ノルマン系)の諸侯・騎士は、その前年まで下ロレーヌ(独ロートリンゲンLothringen)侯であり、十字軍参加のために侯位を売り払ったゴドフロワ=ド=ブイヨン(ド=ブーローニュ)の指揮下に、陸路、小アジアを経てエルサレムを占領し、エルサレム王国(1099~1291)を建てた(5)。

 

1099年の第1回十字軍にはヴェネツィアが参加した(14)。

イタリアの都市国家であるヴェネツィア、ピサ、ジェノアが、エルサレム王国とヨーロッパとの海上交通を確保するとともに、レバント(東方)貿易に従事した(15)。

 

エルサレム王国(1099~1291)の王位(6)

統治者

 

在位

ゴドフロワ・ド・ブイヨン

 

1099-1100

ボードワン1世(ブローニュ)

ゴドフロワの弟

1100-18

ボードワン2世(ブールク)

ゴドフロワとボードワン1世の従兄弟

1118-31

メリザンド

ボードワン2世の娘

1131-52

フルク(アンジュー)

メリザンドの夫

1131-43

ボードワン3世

メリザンドとフルクの息子

1143-63

アモーリー1世

ボードワン3世の弟

1163-74

ボードワン4世

アモーリー1世の息子

1174-85

ボードワン5世

ボードワン4世の甥

1185-86

シビル

アモーリー1世の娘、ボードワン5世の母

1186-90

ギイ(リュジニャン)

シビルの夫

1186-92

イザベラ1世

シビルの妹

1192-1205頃

コンラッド(モンフェラ)

イザベラの夫

1192年4月

アンリ(シャンパーニュ)

イザベラの夫(王号を称せず)

1192-97

アモーリー2世(リュジニャン)

イザベラの夫

1198-1205

マリー

イザベラとコンラッドの娘

1205-12

ジャン(ブリエンヌ)

マリーの夫

1210-25

ヨーランド(イザベラ2世)

マリーとジャンの娘

1212-28

フリードリヒ2世*

ヨーランドの夫

1225-43

*フリードリヒ2世の跡は、息子のコンラッド4世が継いだとみられる。

注:イスラムによる支配後のエルサレムの王位は、フリードリヒ系のホーエンシュタウフェン家とリュジニャン家のキプロス王とアンジュー家の三者間で争われた。

 

ブログ著者コメント

クリストファー・ナイトとロバート・ロマスの「第二の救世主」によれば、第1回十字軍(1096~99)で、フランスと南イタリア(ノルマン系)の諸侯・騎士を指揮しエルサレム王国(1099~1291)を建てたゴドフロワ=ド=ブイヨン(ド=ブーローニュ)は、西暦70年のエルサレム陥落の際にヨーロッパに脱出したパリサイ派ユダヤ人神官・王族の秘密結社「レックス・デウス」の子孫に該当します。

彼らは、キリスト教化したヨーロッパで生きてゆくために、ユダヤ教からキリスト教に偽装改宗しながら、故国に戻る日を待っていたと思われます。

 

キリスト教徒による聖地奪還作戦と言われている十字軍は、敵であるイスラム教徒を攻撃すると同時に、イエス・キリストを殺したという理由でユダヤ人をも虐殺しました。

基本的にこのような性格を持つ十字軍の一部に、ユダヤ人による故国奪還戦争が紛れ込んでいたという驚くべき事実が明らかになってきたようです。

 

また、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』は、1099年の第1回十字軍に、ユダヤ人が支配していたヴェニス(ヴェネツィア)が参加したと記載しています。

ヴェニス(ヴェネツィア)のユダヤ人商人は、エルサレム王国とヨーロッパとの海上交通を確保するとともにレバント(東方)貿易に従事し、莫大な利益を上げたはずです。

このように、第1回十字軍は、ユダヤ軍団とその戦争ビジネスの様相も一部に秘めており、ユダヤ人による故国奪還戦争にキリスト教徒を利用する陰謀的な側面も持っていたと言えるでしょう。

 

ゴドフロワ=ド=ブイヨンは、西暦70年のエルサレム陥落の際にヨーロッパに脱出したパリサイ派ユダヤ人神官・王族の秘密結社「レックス・デウス」の子孫であるため、約1000年後に建国されたエルサレム王国は、その正体はキリスト教王国ではなくユダヤ人王国の再興であり、そのユダヤ人血族により支配されたことになるようです。

その様相は、その約850年後の1948年のユダヤ人によるイスラエル建国にも相当すると思われます。

(コメント終わり)

 

出典

(5)チャート式シリーズ 新世界史 古代・中世編、p.200、数研出版社、

(6)ブリタニカ国際大百科事典9, p.301, 1973,TBSブリタニカ

(14) フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ヴェネツィア共和国

(15) フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』エルサレム王国

 

 

2十字軍とヴェネツィア

 

東地中海では、ビザンツ勢力の退潮を機にイタリア商人が活躍し始めた。東方(レヴァント)貿易の始動である(7)。

ヴェネツィアは既に早くから自治都市国家となっていたが、11世紀初めにはジェノヴァ、ピサ両市が、12世紀ごろまでには北イタリアの各地の都市が自治権を獲得した(8)。

 

ヴェネツィアは早くからビザンツ、エジプトと通商を行なっていたが、十字軍時代以降、ジェノバ、ピサ、ミラノ、フィレンツェが伸張した。

12世紀にミラノを中心にロンバルディア都市がロンバルディア同盟を結んで栄え、13世紀後半にはピサが衰えた後、ヴェネツィア、ジェノヴァ、フィレンツェが繁栄した。

特にフィレンツェは毛織物工業、絹織物工業、金融の中心地として栄え、メディチ家のようにルネサンス運動の保護者となる大資本家も現れた(9)。

 

1099年の第1回十字軍にヴェネツィアが参加した(14)。

イタリアの都市国家であるヴェネツィア、ピサ、ジェノアが、エルサレム王国とヨーロッパとの海上交通を確保するとともにレバント(東方)貿易に従事した(15)。

ヴェネツィア、ジェノヴァなどの沿岸都市は、十字軍時代には遠征の通路、兵員・資材・船舶の供給地となり、十字軍以降もますます東方貿易によって経済的に発展した(10)。

 

ブログ著者コメント

ヴェネツィアの支配者がユダヤ人であったことは有名であり、シェイクスピアの「ヴェニス(ヴェネツィア)の商人」に登場するユダヤ人金貸し(銀行家)シャイロックは、その象徴的存在です。

ヴェネツィアのユダヤ人は、ユダヤ人の故国奪還作戦の側面をも併せ持つ十字軍に兵員・資材・船舶を供給して金儲けをしてその財力を蓄えてゆきました。

いつの時代の戦争も「最大のビジネス」という側面を持っていますが、十字軍は、ユダヤ商人の金儲けもその目的の一つでした。

その中で、悪名高い第4回十字軍によるキリスト教国攻撃事件が起こりました。

(コメント終わり)

 

出典

(7)チャート式シリーズ 新世界史 古代・中世編、p.194、数研出版社、

(8)同書p.195

(9)同書p.197

(10)同書p.220

(14)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ヴェネツィア共和国

(15)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』エルサレム王国

 

 

3第4回十字軍(11)

 

シャンパーニュ伯ティボー3世その他のフランス貴族たちは、1199年に教皇インノケンチウス3世の祝福を受けて、新たに第4回十字軍に乗り出した。

 

ブログ著者コメント

クリストファー・ナイトとロバート・ロマスの「第二の救世主」によれば、第4回十字軍の中心人物であったシャンパーニュ伯ティボー3世も、西暦70年のエルサレム陥落の際にヨーロッパに脱出したパリサイ派ユダヤ人神官・王族の秘密結社「レックス・デウス」の子孫に該当します。

(コメント終わり)

 

彼らの軍はヴェネツィアに集結したが、約束した船賃が不足し、さらに食糧確保のためにただちに借金しなければならなかった。

ブログ著者コメント

第4回十字軍は、資金不足で、ヴェニス(ヴェネツィア)のユダヤ人銀行家「シャイロック」から借金をしてしまったのです。

それがどのような恐ろしい結果をもたらすかは、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」から容易に推測できることでしょう。

そして、この借金は恐らく十字軍のキリスト教徒を利用するために仕組まれた陰謀であると思われます。

(コメント終わり)

 

この借金の延払いの条件として、十字軍がヴェネツィアを助けてザラ(ザダル)を征服する協定が成立した。

ザラはダルマチア沿岸にあるキリスト教徒の町で、当時ハンガリー王の手中にあった。1202年11月、彼らはザラを占領し略奪した。

 

ブログ著者コメント

対イスラム聖戦を目的とした第4回十字軍は、借金のかたにキリスト教国のザラを攻撃・略奪することを強いられてしまいました。

ユダヤ人にとりキリスト教国は敵ですから、キリスト教徒同士を戦わせて互いに殺し合いをさせ、ユダヤ人が漁夫の利を得て金品を略奪できるのですから笑いが止まらなかったことでしょう。

(コメント終わり)

 

十字軍は、ヴェネツィアに債務やその他の援助の代価を支払う代わりに、ヴェネツィア人に同行してコンスタンチノープルに行き、1204年4月12日、十字軍はコンスタンチノープルを占領し、容赦なく略奪を行なった。

ヴェネツィアは、通商の大部分を手に入れた。

また、ヴェネツィアは、地中海交易の拠点のクレタ島も領土とした(12)。

 

ブログ著者コメント  レヴァント体制

借金によりヴェネツィアのユダヤ人銀行家の債務奴隷軍団となった第4回十字軍は、キリスト教国のビザンツ帝国の首都を攻撃して略奪しました。

これは、ザラの場合と同様に、キリスト教徒同士の同士討ちであり、漁夫の利を得て金品を略奪したのは、ヴェネツィアのユダヤ人銀行家でした。

この時ビザンツの首都の競馬場から略奪された馬の彫刻は、今もヴェネツィアのサン=マルコ大聖堂前に残されています(13)。

 

以上、見てきましたように、第4回十字軍は、その指揮官のシャンパーニュ伯ティボー3世からしてユダヤ人であり、ヴェネツィアのユダヤ人銀行家の陰謀により債務奴隷とされ、ヴェネツィアの東方貿易のライバルであったザラとビザンツの2つのキリスト教国を攻撃し略奪するのに利用されました。

その結果、ヴェネツィアによる東方貿易の支配体制はますます強化されました。

また、第4回十字軍(ユダヤ人銀行家の債務奴隷軍団)により略奪されたキリスト教徒のビザンツ帝国は、ついにその痛手から立ち直ることなく滅亡し、その文明は崩壊しました(11)。

 

ヴェネツィアとジェノアの商人による東方貿易で最大の利益をもたらしたのは、麻薬と奴隷の貿易であったと言われており、それはアラブ商人が行なっていた貿易利権を横取りしたものであると言われています。

東方貿易を支配した中核がいわゆる「黒い貴族Black Nobility」と呼ばれるファミリーです。

彼らは連合して「東方結社(会社)=Levant Company」を形成して、巨額の利益を生む国際貿易(麻薬・奴隷)の寡頭独占体制をつくりあげました。

この「東方結社(会社)」がヴェネツィアとジェノアから西ヨーロッパに引っ越して、新しい名前を採用したものが、

「イギリス東インド会社」(1600年創立)、

「オランダ東インド会社」(1602年創立)、

「デンマーク東インド会社」(1616年創立)  です。(29)

 

これらの東インド会社(「東方結社(会社)=Levant Company」)は、

・アフリカからアメリカ大陸への黒人奴隷の輸出

・中近東からヨーロッパ・アメリカへの麻薬の輸出

・インドから中国一帯の地域における麻薬貿易

・中国からアメリカへ麻薬と中国人奴隷労働者の輸出

を支配し、莫大な富を築きました。

徳川幕府と長崎の出島で貿易をしていた「オランダ東インド会社」は、もともとヴェネツィアとジェノアの「東方結社(会社)=Levant Company」でした。

「イギリス東インド会社」の麻薬貿易を支配したロスチャイルド家のサッスーン一族は、清国に対してアヘン戦争をしかけ支配力を強化しました。

日本の幕末の動乱の黒幕が、ロスチャイルド家のサッスーン一族であり、黒船以降の日本の現代史を動かしたのがロスチャイルド財閥であることは既に報告いたしました。

 

今ではこれらの東インド会社という名前は使われなくなっていますが、その支配ファミリーと資本は、欧米の巨大財閥へと姿を変えて、現代社会を支配し、グローバリズムを推し進めています。

現代世界を苦しめているのは、実はヴェネツィアとジェノアの「東方結社(会社)=Levant Company」によるレヴァント体制です。

(コメント終わり)

 

出典

(11)ブリタニカ国際大百科事典9, p.303, 1973,TBSブリタニカ

(12)チャート式シリーズ 新世界史 古代・中世編、p.200、数研出版社、

(13)新世紀図説 世界史のパサージュ、p.100、東京法令出版

(29)秘密結社がわかる、日本文芸社、1995、第4章 犯罪・事件からみた秘密結社(著者:天童竺丸)、p.131

 

4第5回十字軍(16)

 

インノケンチウス3世は、第4回十字軍の予想外の結果を黙視はしたものの、彼も後継者ホノリウス3世も別個の十字軍を呼びかけたのである。

名だけのエルサレム王ブリエンヌのジャンが率いる遠征軍は船出して、1218年6月には長期にわたるエジプトのダミエッタの包囲を開始し、また後にこの町をエルサレムと交換するという希望を抱いたのである。

 

ブログ著者コメント

第5回十字軍の指揮官となった「エルサレム王ブリエンヌのジャン」は、第1回十字軍(1096~99)で指揮しエルサレム王国(1099~1291)を建てたゴドフロワ=ド=ブイヨン(ド=ブーローニュ)の血族です(「エルサレム王国の王位」を参照)。

このため彼も、西暦70年のエルサレム陥落の際にヨーロッパに脱出したパリサイ派ユダヤ人神官・王族の秘密結社「レックス・デウス」の子孫に該当するようです。

第5回十字軍も、ユダヤ軍団の様相を秘めていたと言えると思われます。

(コメント終わり)

 

彼は1219年11月5日にダミエッタを手に入れはしたが、21ヶ月の戦闘の末、彼の軍はナイル川の洪水で身動きができなくなった。

彼は1221年8月にダミエッタを捨てて脱走した。

こうして第5回十字軍は成功を目前にしながら惨敗に終わった。

 

出典 (16)ブリタニカ国際大百科事典9, p.303, 1973,TBSブリタニカ

 

 

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