⑦
永大産業サッカー部の日本リーグ1部での試合が始まる。
初戦の相手は、釜本のいる当時の日本代表選手ばかりのヤンマーディーゼルでした。
宿舎でのミーティングの時に、監督から、スタートメンバーを発表される。
釜本マーク井上と告げられたのです。
釜本は、メキシコオリンピックの得点王であり、日本代表のCFとして得点を量産しており、なかなか抑えられないゴールゲッターでした。
仲間からは、勇気づけられ、励ましてくれます。
試合中は、釜本のプレーが分かり、自分でも相性がいいかもと思いゲームが終わり、結果は、0-0の引き分けでした。その釜本を抑えたのでした。
話は戻るのですが、1部昇格が決まってから、実行力のある監督は、ブラジルへ行きました。そして、現地で1か月近くかけ、セレクションをして、ブラジルから3人の20・21才の若い白人2人と黒人1人の選手を連れて帰って来たのです。
「これからは、ブラジル人中心のブラジルサッカーをする」という監督からの訓示がありました。
ブラジル人は、開幕から5カ月間出場できなかったので、9月までは、日本人だけでの試合でしたが、それからは、今までのサッカーではなく、中盤の3人がブラジル人というシステムです。攻めは、個人技とパスワークに、守備は、ゾーンディフェンスでの守りに急変しました。
ブラジル人を含めた感覚の違いを感じながらの練習環境や合宿所での生活と大きく変わりました。
そして、ポジション争いにコンビネーションなど、わがままなブラジル人にかき回されました。
こんな経験もなかなかできません。
日本リーグ1部に昇格した1年目には、天皇杯で、どんどん強敵を倒して勝ち進み、とうとう国立競技場の1月1日の元旦にある決勝戦に進んだのでした。
また、常勝チームであるヤンマーとの決勝戦となったのでした。
最後に釜本に決められ1-2で負けました。
元日のNHK に流れたのでした。
そして、その1年後に、ブラジルの日系人一号のプロサッカー選手として3年前から日本リーグ藤和不動産でプレーしていた、その話題のセルジオ越後が、日本リーグ1部に入って2年目の永大産業チームに、指導者としてチームに加わったのです。
つづく
永大産業サッカー部の日本リーグ1部での試合が始まる。
初戦の相手は、釜本のいる当時の日本代表選手ばかりのヤンマーディーゼルでした。
宿舎でのミーティングの時に、監督から、スタートメンバーを発表される。
釜本マーク井上と告げられたのです。
釜本は、メキシコオリンピックの得点王であり、日本代表のCFとして得点を量産しており、なかなか抑えられないゴールゲッターでした。
仲間からは、勇気づけられ、励ましてくれます。
試合中は、釜本のプレーが分かり、自分でも相性がいいかもと思いゲームが終わり、結果は、0-0の引き分けでした。その釜本を抑えたのでした。
話は戻るのですが、1部昇格が決まってから、実行力のある監督は、ブラジルへ行きました。そして、現地で1か月近くかけ、セレクションをして、ブラジルから3人の20・21才の若い白人2人と黒人1人の選手を連れて帰って来たのです。
「これからは、ブラジル人中心のブラジルサッカーをする」という監督からの訓示がありました。
ブラジル人は、開幕から5カ月間出場できなかったので、9月までは、日本人だけでの試合でしたが、それからは、今までのサッカーではなく、中盤の3人がブラジル人というシステムです。攻めは、個人技とパスワークに、守備は、ゾーンディフェンスでの守りに急変しました。
ブラジル人を含めた感覚の違いを感じながらの練習環境や合宿所での生活と大きく変わりました。
そして、ポジション争いにコンビネーションなど、わがままなブラジル人にかき回されました。
こんな経験もなかなかできません。
日本リーグ1部に昇格した1年目には、天皇杯で、どんどん強敵を倒して勝ち進み、とうとう国立競技場の1月1日の元旦にある決勝戦に進んだのでした。
また、常勝チームであるヤンマーとの決勝戦となったのでした。
最後に釜本に決められ1-2で負けました。
元日のNHK に流れたのでした。
そして、その1年後に、ブラジルの日系人一号のプロサッカー選手として3年前から日本リーグ藤和不動産でプレーしていた、その話題のセルジオ越後が、日本リーグ1部に入って2年目の永大産業チームに、指導者としてチームに加わったのです。
つづく