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私とサッカーとVAMOS 小学生チーム誕生!

2015-01-22 10:22:55 | 自分史

VAMOSの小学生チームを、1997年(平成9年)に創設することになりました。
その時に、VAMOSの小学生選手募集!を新聞記事に出したのです。
スクールの選手から移籍してくれた8人と、募集の記事を見て来ましたと言って岐阜市の北の伊自良から、入りたいので入れてくださいと言って、情熱のあるお母さんと6年生の元気そうな佐村勇樹君が来ました。
6年生9人、5年生8人、4年生5人でした。
このチームが、我が小学生(U-12)チームの始まりです。
その時の6年生が中3までプレーしてくれたのが、古田、大橋、古畑、山本、永井、横山、そして、佐村でした。
この学年は、第15回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)東海大会では、1回戦小牧サッカースポーツクラブに1-0の勝利、2回戦は、エスパルスSSには1-1PK4-3の勝利するが、準決勝に、ジュビロSS掛川に0-1で負け、3位決定戦は、清水エスパルスに敗れ、4位決定戦に回るも、グランパスにも0-1と負け、念願の夏のクラブ全国大会出場を逃すこととなりました。
秋の岐阜県選手権では、圧倒的な勝利で優勝して、第12回高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権東海大会に進み1回戦は、愛知FCに勝利、準決勝にまたしても清水エスパルスと対戦して敗れ、3位決定戦で名古屋FCにも負け、残念ながら最後の全国大会に出場できませんでしたが、本当にいい試合をしてくれました。
DFセンターのキャプテン江島を中心とした守りとGK磯谷の頑張り、中盤で動きまくりゲームを作る渡辺に牧村、岩田、FWの市原、左の村橋など闘志を出して、名古屋の港サッカー場での試合ぶりが頭に浮かんできます。
その中で、右サイドDFとして、能力の高い守りと、積極的な攻撃参加で、右サイドからの攻撃の起点となっていた佐村でした。
佐村はその後、各務原高に進み、1年で岐阜県高校選手権の決勝で優勝した岐阜工と戦い、相手のセンターFWの片桐(グランパス→FC岐阜など)をマークするという逸材でした。今後を期待される選手でしたが、東海リーグ2部の日本福祉大に進むことになり、将来性を伸ばすことができなかったのです。伸びる選手だったと思うので、もっと高いレベルでやれたらよかったと私は、思います。
大学卒業後からは、VAMOSスタッフとして活躍してくれています。これからも貴重な選手上がりのスタッフとして、選手に伝えていってほしいと思います。

佐村に聞いたのですが、VAMOS時代の時にどんな指導を受けたか、あまり覚えていないと言っていました。中学の時の年齢は、体で覚える時で、頭で考えながらプレーする時ではないと思います。楽しかった、面白かった。とはよく聞きますが、どんなアドバイスを受けたか覚えていないかもしれません。
この年代は、頭の理解力に柔軟性があるのだと思います。だからこそ、面白いと夢中になって、集中してプレーすれば、成長も早く、すぐうまくなる時です。
指導者の話を聞き、意識して体でプレーできるようになれば、直ぐ何でもできます。夢中になって、言われたことを考えながら思いっ切りプレーして体で覚えてください。できるようになれば、可能性が広がります。
サッカーがんばっている多くの皆さんに期待しています。!
 
つづく

私とサッカーとVAMOS 高円宮杯3位となる

2015-01-19 17:57:49 | 自分史
 ⑯
前回の高円宮杯第11回全日本ジュニアユースサッカー選手権大会の話の続きになります。
創立7年目のこのチームは、個性があって、大変ユニークな選手の集まりでした。VAMOSクラブにとっては、自慢のチームでもあります。
前にも書きましたが、一宮から来た人望熱い足立キャプテンという存在がありました。練習のアップの時から、力を抜いてプレーしているものなら、「誰々さぼるな、しっかりやれ」、「ボールはもっと厳しいところに投げろ」といった具合に、仲間に対していつも厳しく容赦なしに注意をする。キャプテンのお陰でみんながいつも集中力をもってトレーニングができた。そして、足の速い者がいなかったDF陣の団結も足立(筑波大→愛知県教員トレセンGKコーチ)が、いつも行動を共にして、話し合い、打ち合わせに、カバーリングやセットプレーの確認などをいつもやっていた。試合になるとその息の合った連携は、素晴らしかった。
4・4・2のシステムの中盤の中心に松井がいた。この選手は、背は小さいく大きくないが素晴らしいセンスの持ち主で読み、予測の素晴らしさもあり、相手の逆を突いたパスがうまい、インフロント、アウトフロントを使ってのミドルパスやスルーパスが得意で、シュートもうまく、ペナルティーの外からでも決めたり、フリーキックもうまかった。岐阜工へ行って、2年の時に全国選手権の決勝まで行った時のボランチとして出ていた。
もう一人の中盤の岸周吾は、スルスルとゴール前に入って、点を取る感覚があり、アシストが出せる選手だった。松井とは違った個性を放っていた。
この岸周吾だが、その後に分かったことだが、各務原高→関西大に進み、大学の時に意見交流の重要性に興味を持ち、卒業後にアメリカ留学を8か月間して、15か国以上の外国人と共同生活をして、意見交流した経験から、帰国後には、国内を一人旅をして、自書を製作して、
著書“外国人から、見た ニッポン”を出版したそうである。
ちょっと話題になったようです。よかったら買って読んでみてください。
前に戻りますが、FWの2トップは、瞬発力と得点能力のある小倉(塩釜戦は2ゴール、狭山戦のVゴールを決める。各務原高→中央大→JFL)と、スピードとヘディングの得意な白木(岐阜工)がいました。
12月24日に新幹線で東京にまた向かいました。準決勝のグランパスとの試合が、25日に西が丘サッカー場であります。
東海クラブ選手権では、強敵グランパスに勝利したが、グランパスは、高校生のように大きく、足が速く、身体能力が優れた選手揃いで、この高円宮杯では、東海大会から全国大会に入っても他を圧倒して勝ち進んで来ている。試合の前のセレモニーで選手は緊張したと言っていたが、ゲームが始まる。
スタートから、次から次へと攻め込まれ、早い時間に失点する。
しかし、ピンチはあるものの、何とか攻め合いができ、ゲームが落ちついてきた。相手の速さに着いていけなくても最後に次の者が止めている。GK羽田野の声も会場に響く。足立の声も途切れない、チームを引っ張る、そしてみんなが体を張ったプレーでゲームを盛り上げる。VAMOSの攻めもうまかった。相手に臆することなく、しっかりした攻めをする。ショートパスのつなぎに、展開、崩しのスルーパスを狙う。後半に入り、相手の攻めが単調になる。そして後15分でDFを3人にして、攻めを1人増やして、点を取る賭けに出るが、あと10分で追加点を奪われ、0-2となるが、後5分に、左ワイドの加藤が右からのクロスを鮮やかなボレーシュートを決め、1点返すが、最後の最後まで攻め続けたが、1-2で敗れました。
スカパーの放送があり、解説の戸塚さんは、グランパスのことより、我がVAMOSを大変ほめていたことが分かりました。町のクラブらしく、サッカー小僧が集まり、サッカーを楽しそうに、面白そうにやっている、サッカークラブの見本のような大変素晴らしいチームあると褒めていただき、そして、10番の小さな松井に対して絶賛のコメントをもらいました。松井は、高校でひざの半月板損傷をやり、その後のJの道には進めませんでした。
この高円宮杯の成績としては、VAMOSとして、最高峰の3位に輝いたのでした。
つづく

私とサッカーとVAMOS 高円宮杯での大活躍

2015-01-16 22:57:02 | 自分史
 ⑮
中学生・ジュニアユース(U-15)年代の国内大会としては、もう一つ大きな大会があります。
これは、クラブチーム、中学校チームの頂点を決める。高円宮杯の大会が年末に行われるのです。
以前は、全日本ジュニアユースと言っていたいましたが、平成12年度から全日本ユース(U-15)大会となりました。
この大会には、我がVAMOSとしては、今までに9回出場しています。
平成10年までは、東海枠が2チームだったので、なかなか出場できませんでしたが、クラブで優勝した時に、東海を1位が東海第一中学(FWに高原がいる中体連優勝チーム、現東海大翔洋中)、2位で出場愛媛の松山へ行き、1回戦四国代表の佐川中に勝利したことがありましたが、それから5年ぶりに、平成11年の東海3枠がある時に、3位で出場しました。この大会も思い出に残る大会になりました。
今日は、この時の話をしたいと思います。
VAMOS創立7年目、5期生の快挙でした。
調度この時に、スカパーの放映があり、東海大会のダイジェスト放映から、全国大会のダイジェストに準決勝までしっかり放送してくれたお陰で、記録がしっかり残りました。解説も元日本代表の戸塚哲也さんです。(後のFC岐阜の監督)
この大会の正式名称は、高円宮杯第11回全日本ジュニアユースサッカー選手権大会です。
東海代表は、1位東海第一中、2位、グランパスです。
久しぶりにこの大会に出場でき、チームのみんなが、わくわくしていました。
全国の16チームがトーナメントで12月11・12日から1・2回戦が始まり、準決勝12月25日に東京の西が丘サッカー場で、27日決勝国立競技場という日本サッカー協会主催の豪華な大会です。
VAMOSは、1回戦は、東北1位代表の塩釜FCです。会場は、素晴らしいピッチの埼玉県大宮公園サッカー場です。
 何年後かに、塩釜の当時の小幡監督から、この時の塩釜チームは、自慢のチームだったという事を聞きました。
その年代の代表がいるという、そのチームに、我がチーム初めての大量点を奪い、4対2の勝利をしました。
 勝ったので、明日も試合ができます。明日の2回戦は、関東1位代表の狭山FCです。
 1回戦の塩釜との試合の後に、アビスパ福岡との試合を観ましたが、アビスパに代表のでかい選手が2人もいる相手に、とんでもないスピードと身体能力のある総合力を見せて驚異的な7-3という怒涛の攻めで圧倒的な破壊力で勝利を飾った狭山FCでした。
 今年のVAMOSは、キャプテンの足立の統率力によるチームワークは素晴らしいが、FW以外は、足は速くないし、身体能力の高い選手が少ない。チームの良さを最大にするために考え出した戦法が、3トップにマンマークに2人のスイーパーと、10番のゲームメーカーに、2年の能力のあるFWの選手のマンツーマンに、攻めの選手を3人という、考えられない6・2・2システムにしたのです。
ところが、試合が始まり、狭山の強力な3人は、何回抜いても、スイーパーに止められる。GK代表候補の羽田野が体を張ってゴールを死守する。相手中盤の10番がいつものように機能しない。そんな中でVAMOSの3人が奇襲をかけシュートまで行く。
狭山にとっては、いつものゲームではない。ハーフタイムに、後半から攻めの人数を増やしていく予定だったが、選手から今のこのシステムの手ごたえを感じて、このままでやりたい発言が飛び出すほど、ちょうどマッチしていた。
35分×35分の70分間、0-0である。延長に入り20分のVゴール方式。そして、FW小倉のVゴールが決まり、長い激闘の末に感激の勝利をしたのでした。
そして、また1週間後に東京に来て、今度はグランパスとの準決勝である。
またこの続きは、次の機会にします。

私とサッカーとVAMOS 全国大会で快進撃!

2015-01-10 17:41:42 | 自分史
 ⑭
創立から3年間は、1学年のメンバーが少なく、集まってくれるか心配でした。
初めの年は、我々スタッフが、紅白ゲームの対戦相手です。必死になってゲームをしたことを思い出します。
強くなると、いろんなチームから練習試合の声がかかります。
県内の強豪高校チームともできました。
エスパルスの当時のジュニアユース大石監督から電話が入り、藤枝でグランド取れた、裾野グランドでどうかと言われては、試合をしました。

第9回日本クラブジュニアユース選手権で優勝した時です。
1994年、平成6年8月14日~21日 会場:長野県白馬村、大町市運動公園(準決、決勝)
32チーム、4チーム8ブロックの1次ブロックを行い、上位2チームが決勝トーナメントに進む
東海代表は、1位エスパルス、2位ジュビロ磐田、3位VAMOS
VAMOSの対戦は、
1次リーグ 1位通過
    8/15 VS 日産追浜(関東B1位) 3-1  
    8/16 VS OGセントラル(関西4位) 6-2
    8/17 VS リミットレス(九州3位) 1-0 
決勝トーナメント
1回戦  8/18 VS 三菱養和(関東A3位) 3-0
準々決勝 8/19 VS 横浜フリューゲルス(関東B3位) 3-1
準決勝  8/20 VS 日産マリノス(関東B2位) 2-0
決勝   8/21 VS ジェフユナイテッド(関東D1位) 2-1 
この時には、決勝の前日に前夜祭があり、日本サッカー協会・大会関係者・審判の方々から、嬉しいお褒めの言葉をいっぱい頂きました。
VAMOSのサッカーが素晴らしいことを知っていただきました。

次の年は、クラブの東海大会で、4位決定戦で大逆転されて出場できなく、
そして、3年目のチームは、人数が少なく、VAMOSに入ってからサッカーするものがその中に3人いました。それから2人のDF と2年の終わりにFWの松田(現スタッフ)の3人が加わり、3年生が16人になったチームだったのですが、すごい活躍をしてくれました。
第11回日本クラブジュニアユースサッカー選手権大会(会場は、同様の白馬、大町)
 東海代表 1位エスパルス、2位グランパス、3位VAMOS
 1次リーグ  8/8 VS ガンバ大阪 2-0 
       8/9 VS 久留米Jr 2-0 
       8/10 VS 札幌SSS 0-0  1位
 決勝トーナメント
       8/11 1回戦 VS アビスパ福岡 5-0 
       8/13 準々決勝 VS 柏レイソル 1-0
       8/14 準決勝 VS 横浜マリノス 2-0
       8/15 決勝 VS 清水エスパルス 0-2
 このチームは、大会関係者から1戦1戦強くなりますねと言われたぐらいに、この大会で変わりました。
 2年前になかった、メニコンカップ選抜選手の東西対抗が開かれ、西軍の監督を務める名誉も与えられました。
 この大会の結果が、岐阜VAMOS の名前が本格的に全国に知られたのです。
 次の年からJビレッジに会場が変わりました。 つづく

私とサッカーとVAMOS VAMOSのスタート

2015-01-09 12:26:20 | 自分史

 何年間か、少年団の指導をしていて、岐阜の指導者の考えの狭さを感じました。
「ひょいと外から来て何ができる」「苦労して少しづつ築き上げてやっとできた、この少年団の組織の事が何が分かる」「成り上がりの者が何にも苦労せずに、良い指導ができるわけない」というような、頭の固い人ばっかりで、私が活動していて結果を出してもやっかみを感じる人ばかりで、いろんな活動をつぶされました。まず、この人たちと摩擦を起こさないようにしながら、岐阜県の中学生レベルアップを目指し、後はスクールとして「VAMOS」という私の活動場所ができました。協会絡みの人や指導者に話をした時に、大野聖吾は、大賛成してくれた!
スポーツクラブ岐阜VAMOSの発足説明会を開いた時には、大変多くの方々に集まっていただきました。大変感謝と感激と緊張をしました。
 
 私は、大学の時に、コーチングスクールを受けて、興味を持ち、永大の時も、選手間で若手に指導していたことがあり、指導することは大好きでした。
 県外に9年間県外にいたことで、岐阜のサッカーの低さをいつも嘆いていましたので、岐阜に帰ったら、自分の経験を伝えたいと思っていました。
 少年団の指導者は、昔岐阜県の高校でサッカーをして、地域の少年団を立ち上げた指導者ばかりです。
 指導者が変わらないと岐阜のサッカーは変わらない。選手が悪いのではないと思っていました。
 私は、それをVAMOSで証明したいと思っていました。
 
VAMOSクラブのコンセプトは、
 サッカーの楽しさを伝えること。
 個性豊かな選手を育てること。
 選手の特徴を生かした、攻撃的なサッカーをすること。
 全国をあっと驚かすサッカーをすること。
 全国で優勝することを目標にしました。
 
 創立の時は、小・中学生スクール生と選抜で5年生から教えていた後藤、小原、川島、氏原、新井、仲井、古田、浅野、木之本、可児、坂脇、森下の12人と宇野、仙石の2人に2年生が佐藤、石井の2人の16人の1、2年の中学生チームでのスタートでした。
 チームとして、1年目の冬には、東海新人大会で優勝です。2年目にクラブ選手権の東海で優勝して、全国でベスト8入り、3年目は、東海でエスパルスに準決延長で負け3位になるものの、全国では、絶賛を受け、堂々の優勝を飾りました。創立3年目にして、全国大会優勝の快挙でした。
 その時も残念ながら、岐阜の人は、冷ややかでした。県協会の人は、応援もお祝いもなく、少年団関係は、良い選手集めれば優勝できるだろうという意見が聞こえました。
 岐阜の新聞には、毎日結果報告をしていましたが、岐阜の人には、クラブチームへの認めがまだ無かった時でした。
 ところが、世間では、Jリーグ発足で盛り上がり、3年目という事で、将来のJリーガー特集で、全国ネットのニュースでの特集があり、VAMOS特集のように報道してもらいました。大変感謝でした。
 我が家には、優勝した時の賞状、カップ、盾などが、事務所に掲げて次の目標にしています。

つづく