人生模様

あさこが見かけた素敵なサムスィンを紹介する、半端情報メモ系ブログ。

ファ○通レビュ。

2005-01-23 22:54:56 | Weblog
なんか日記サイトのはずなのにまったく日記書いてないことに今気づいたので、
今日はまじめに日記書きます。

起床…時計を見てみると、昼過ぎ。予定していたサイン会にも行けそうにないので、
のそのそ起きだしプレステ立ち上げ。あとはゲームゲーム時折ネットネット!!

……うん、イイ感じだ。

そんな感じで飯も食わず今にいたるわけなんですが、そういえば不思議と空腹感がない!
やっべ、そろそろキマってきましたか!

明日、テスト三つもあるし、明後日はレポートだし、明々後日は魔の統計学。
勿論何もやっておりません!ぴんち!

っつーわけで今から軽く一夜漬けなんぞやってみるわけなんですが…きっと無理!

まあそんなことは置いておいて、kumaが最近ハマっているこのゲームなのですが、
ついに今日全キャラフルコンプ完了してしまいまして…

もうなにを支えに生きていけば良いのかわからない

そんな脱力感、寂寥感と伴に感じる、清々しいまでの達成感。きっと錯覚でしょうけど。

とにもかくにも、この作品は名作と呼ぶに十分値するものでした。
どうせなんで、オタクらしくレビューなんぞ書いてみましょう。勿論ネタバレなしです。


件の作品…Toheart2ですが、
これはオタク達の間ではカリスマ的存在となったゲーム・Toheartの2代目にあたります。
といっても前作との繋がりは舞台設定くらいで、
ほとんど新規作品的な作りになっています。その為、前作未プレイの私でも十分楽しめました。
このゲームは典型的なギャルゲー。
売りは、やはり超一流クリエイター達による美麗グラフィックの一言に尽きます。
ところがこの長所だけでは、それはただの「キャラゲー」でしかありません。
表面的記号的な部分が先に立ちすぎてしまっては名作には成り得ないのです。
では、なぜこれは前述のそれと成り得たのか。
一言で言うならば、「とても丁寧に作ってある」からでしょう。

キャラ絵や音楽についてのレビューは、他のレビューサイトを見ていただくとして…まずシナリオ。このゲームはノベルゲームというジャンルですから、
その根幹たる部分がしっかりしていなければ意味がありません。
…キャラクター別にちゃんとシナリオが作りこまれ、
比較的カブりがちな分岐前パートも大まかに3つに分けるなどの「飽き」への配慮も完璧です。
攻略可能キャラ7人と膨大なため絵師もライターも複数人制であるので、
粗い部分が見え隠れするのも事実。
しかしそれを補って余りある魅力的なシナリオとなっているので、
それらにほとんど気付くことはありません。
そこに苦言を呈すことがナンセンス、そう思わせられてしまうのです。
具体的な話をすれば――キャラごとの話ではない――
まず、話が「抑揚の小さな波」でできていることでしょうか。
毎日決められた時間に学校に行き、授業を適当に流しつつ友達と騒いで、
帰りがけにマックにでも寄って、7時くらいに帰宅する。
そういう日常のメインストリームを崩さないキャラづけ、ストーリー設計が上手いのです。
キャラクターの中にはトンでもない者もいます。電波なのも。
だとしても「杯争って殺しあったり」「拳銃振り回したり」
「ヒロインが謎の病気にかかって高熱を出したり」…そういうことがないのです。
しかもそれでいて、個性がしっかりしたキャラクターたちが、
魅力的な声優と伴にキッチリと「世界」を作り上げている。
メインキャラクターだけじゃなく、
随所に登場するサブキャラクター達の名演がさらに物語を熱く美しく彩る。
そう、大局的に見たときそのストリームは常に一方向に、かつ穏やかに流れているのです。
舞台設定が20世紀の高校というだけあって、
感情移入はもとより「ああ、懐かしいなあ」なんて思えるのもポイントでしょう。

またゲーム内の期間は3~5月となりますが、
背景の細かな入れ替わり(例:サクラの蕾→満開→散り始め→新緑へ)も評価すべき点です。
「ああ、もうこんな季節なんだなあ」と、プレイヤーを「世界」に引き込む役割を果たしています。

そしてシステム面。
これが他のレビューで評価されてるのをあまり見ていませんが(そも、その論述すらない)、
評価されてしかるべき点ではないでしょうか。
私はオタクなため、パソコンで俗に言う「エロゲー」をやることが多いです。
いつもプレイする前は「おもしろそうだ!」と思って画面に向かうのですが、
どうもグダグダなテンポの悪さ(画面三分の一程度のテキスト領域をちまちまクリックでめくり続ける)が性に合わないのか…よっぽどのことがない限りすぐスキップし、流してしまいます。
そのため物語の内容をつかむことができず、駄作扱いしてしまうこともしばしばです。
このようなワンページワンクリックワンボイス、みたいなシステムは確かに臨場感があります。
しかし果たして、ピクリとも動かない立ち絵のキャラクターをずっと眺めてひたすらクリックを続けることがいいテンポを作るのでしょうか?
適当にキャラクターを数回表示して、テキストをしっかり読ませる。
そのほうが読み手としてスムーズに「世界」へ入れるのではないかと私は考えています(無論、それはいわゆる「純愛ゲー」に代表されるものに適用されるべきであり、「陵辱ゲー」のようなまずビジュアルありき、には不向きなのも付け加えておく。要するに、適時適応せよということです)。
Toheart2はワンボタンで表示される量がちゃんと加減されているので、
読み手のペース、声優のペース(コレが実はとても大切になってくる)が合いやすいのは勿論、
キャラが会話する…よりもキャラが言ったことが表示されている、そんな「臨場感が比較的少ない」ことも重要な長所でしょう。
「臨場感が少ない」とは、いってみれば「A→Bまでに空白がある」ということなのです。
それはつまりそこに「想像の――創造の余地があることを意味します」。
東浩紀の”動物化するポストモダン”の言葉を借りるなら、
このToheart2はこの手のゲームとして大切な「シミュラークル製作へのアプローチの多様化」が非常に徹底しており、別方向としての「ありえた物語を受容しようとする」二元的消費構造を容易にしていることがポイントなのです。



なんだか…ファミ通のレビューみたいになってきたんでもうやめます(笑)