「どんな人もその気になれば友達は見つけられる。現実生活に友達がいない人にも、唯一友人を準備してくれるものがあるとすれば、それは書籍だ」とは、幸田露伴の言葉です。
長田弘氏は、その著「読書から始まる」(日本放送出版協会)で、「現実生活の友人はその人が生きているということが前提ですが、本は死んだ人すべてのなかから、自由に自分で友人を見つけることができる。何千年もの昔に友人を求めることもできる。読むとは、そうした友人と遊ぶということです」と述べています。しかし、人々が本を読まない時代になり、そうした友人を見つける能力が失われたと嘆いています。
本の文化の中で、人間が本から得てきたものは、「本を通して、本に書かれていないものを想像する力、あるいはその本によって表されているものではないものを考える力」だといいます。
さらにこう続けます。「書かれていないものを想像する力、表されているものではないものを考える力を伝えることができるという本の力に思いをこらすことなく、本を表現の道具やメディアの媒体にすぎないとしてしまうと、長い歴史をかけて、本が私たちの間に生み出し、もたらしてきているものが何か、見えなくなってしまいます。あるいは、そうした見えないものへの想像力に対して、およそ傲慢な人間になってしまいます」
「本当に大事なものは目に見えない」という言葉がありますが、本を読む機会が減るということは、人間として大切な想像力をを失うことかもしれません。忙しい毎日ですが、常に本を読む姿勢を持ちつづけたいものですね。
長田弘氏は、その著「読書から始まる」(日本放送出版協会)で、「現実生活の友人はその人が生きているということが前提ですが、本は死んだ人すべてのなかから、自由に自分で友人を見つけることができる。何千年もの昔に友人を求めることもできる。読むとは、そうした友人と遊ぶということです」と述べています。しかし、人々が本を読まない時代になり、そうした友人を見つける能力が失われたと嘆いています。
本の文化の中で、人間が本から得てきたものは、「本を通して、本に書かれていないものを想像する力、あるいはその本によって表されているものではないものを考える力」だといいます。
さらにこう続けます。「書かれていないものを想像する力、表されているものではないものを考える力を伝えることができるという本の力に思いをこらすことなく、本を表現の道具やメディアの媒体にすぎないとしてしまうと、長い歴史をかけて、本が私たちの間に生み出し、もたらしてきているものが何か、見えなくなってしまいます。あるいは、そうした見えないものへの想像力に対して、およそ傲慢な人間になってしまいます」
「本当に大事なものは目に見えない」という言葉がありますが、本を読む機会が減るということは、人間として大切な想像力をを失うことかもしれません。忙しい毎日ですが、常に本を読む姿勢を持ちつづけたいものですね。