
2010年3月31日、自分が住んで来た「町」が住所録上、消えてしまう。
その事実を考える時なんともいえない気分になる。
このガッペイに関わった人びとにはどれほどの思いがあったのかは知らない。
だけど、僕自身としては、正直、
本当は必要がなかったのに周りからの圧力で迎合させられてしまった
という気持ちが残る。
それでも、住所を書く時、その違いに居心地の悪さを始めは感じるが、
そのうち慣れてしまうだろう。
否応無しに、歴史は動く。
とどまるわけにはいかない。
自分も動かなくてはならない。
20年後、「町」に住む自分から「市」に住む自分へ送られてくるという手紙を書いた。
自分はどうしているだろう。
考えたことがなかったが、
未来をイメージしながら生きるということは
大切と感じた。
その事実を考える時なんともいえない気分になる。
このガッペイに関わった人びとにはどれほどの思いがあったのかは知らない。
だけど、僕自身としては、正直、
本当は必要がなかったのに周りからの圧力で迎合させられてしまった
という気持ちが残る。
それでも、住所を書く時、その違いに居心地の悪さを始めは感じるが、
そのうち慣れてしまうだろう。
否応無しに、歴史は動く。
とどまるわけにはいかない。
自分も動かなくてはならない。
20年後、「町」に住む自分から「市」に住む自分へ送られてくるという手紙を書いた。
自分はどうしているだろう。
考えたことがなかったが、
未来をイメージしながら生きるということは
大切と感じた。