世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。----------2017年7月2日の東京都議選の開票速報を見ながらの私の心象である。と言ってもこの「世界は~~不安である」は私の作文ではありません。100年も前の1908年(明治41年)9月1日から「朝日新聞」に連載された、夏目漱石の小説「三四郎」の1節であります。
そして、また、私は、この1節を記憶する程の文学青年でもありませんでしたし、記憶力もありません。実は、少し前に、梅田の某書店での割引価格(50%)で、買い求めた、逸見庸「抵抗論‐国家からの自由へ‐」に引用されていたものであります。
大阪・橋下劇場以上に、アベ自公政権へのインパクトはあるのだろうが、少しの遠回りをしているだけで、限りなく奈落の世界への思いの諦観から、「世界は~~不安である」に感銘いたすところであります。
そして、また、私は、この1節を記憶する程の文学青年でもありませんでしたし、記憶力もありません。実は、少し前に、梅田の某書店での割引価格(50%)で、買い求めた、逸見庸「抵抗論‐国家からの自由へ‐」に引用されていたものであります。
大阪・橋下劇場以上に、アベ自公政権へのインパクトはあるのだろうが、少しの遠回りをしているだけで、限りなく奈落の世界への思いの諦観から、「世界は~~不安である」に感銘いたすところであります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます