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[南北朝から戦国時代、諸勢力攻防]
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[医王山城跡の縄張り図(山形省吾さん作成)]
医王山城跡 津山市吉見
山名、赤松、尼子、浦上、毛利氏支配
平成9年、市史跡に指定
堅城ぶりを伝える遺構現存
美作から因幡に抜ける街道の要衝に築く
眼下に広がる壮大な眺め
標高343メートルの医王山に築かれた中世の山城で、祝山城、岩尾山城とも呼ばれる。
美作から因幡に抜ける街道の要衝にあり、南北朝期以前に上道是次が築城したとも言われる。
南北朝から戦国時代にかけて、山名、赤松、尼子、浦上、毛利などの諸勢力が相次いで美作国に侵攻、医王山城を支配した。
中でも注目されるのは、織田信長の命を受けて進軍してきた秀吉・宇喜多勢と、これを迎え撃つ毛利勢との激戦。
毛利勢は約2年にわたって城を死守し、宇喜多勢は撤退した。
堅城ぶりを伝える遺構が現存する。
北の峰都通期は堀切で遮断し、三の丸南斜面には連続畝状堅堀と大堀切で、防備を固めている。
城郭の北端にある本丸跡には、石垣が気疲れ、瓦も散乱しており、かつて瓦葺きの建物があったことが確認できる。
眼下に広がる眺めは壮大だ。
平成7年に地元の青壮年が中心となって整備をはじめ、保存会の結成、登山道の整備を行い、9年に市の史跡に。
毎年4月には登山会が開かれている。
<上記は、2018年6月5日付、津山朝日新聞「美作 古きを訪ねて(35)」より転載>
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中世の山城は岡山県北部にも多数残っており、この医王山城跡もその一つ。
私は10数年前に登ったきりなので、歴々の将が支配してきた遺構に思いを寄せつつ、また登ってみようかなと思います。
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