▼いよいよ春場所(大坂場所)--2月24日に番付が発表されました
【百年続けば立派な興行ではあるまいか
~ 「伝統」「神聖」「女性」を巡る不可解
~ 春の嵐はあるのかの巻】
■江戸時代、趣味や娯楽が今日ほど豊富でなく、
当時の興行主たちはアタマをひねりまくり、
さまざまな見世物を考えた。
現代の人権感覚からするとトンデモナイことだが、
<「女性」と「目の不自由な人」との相撲>を考え出した者がいる。
これが大当たり、なかなかの評判となった。
怪しげな文献によると、
女力士は腰巻一枚、目の不自由な人は六尺褌一枚。
勝負としてはいい加減だが、物珍しさも手伝って、
興行は大いに賑わった、とのことである。
■文政9(1826)年春、江戸・上野山下での相撲大会。
連日大入り満員の盛況で、11人ずつの力士が出場した。
女の相撲取りの四股名といえば、
としの甲、花の山、乳ケ張、玉の輿、姥ケ里
腹やぐら、かひケ里、色気島、美人草、姉ケ淵、智慧の海。
片や、
向見ず、杖ケ嶽、佐栗手、杖の音、辻の音、
足駄山、もみおろし、武者振、笛の梅、夏嬉し、うば玉。
なんともヒトをおちょくったような話だが、
興行は大成功で、給金はよろしかったため、
転業組がそこそこあったという。
だが、誰でもやれるというものではなく、
女力士の体格は、四股名から想像できる様に、
本物の関取に迫る堂々としたものだったようだ。
■大人気の「女相撲興行」は、
「女同士」などに形を変えながらも、
大正時代まで続いたそうだ。
では「女は神聖な土俵に一切上がらせない」など、
誰がいつ言い出し、どうして約束事の様になったのだろうか。
こうしてみると、何とも怪しい話ではないか、と思う。
◇
まもなく春場所。
女性の知事や市長を土俵に上げるのを拒んだ
いわくつき?由緒ある?伝統の大坂場所である。
さて今回、
春の嵐があるや、なしや
「年の功」じゃなくて「年の甲」?😄
「傑作ですね」に対する「でしょ」でした。
言葉足らずで失礼いたしました。
bikoさんが引用されていたのは、こちらの記事だったんですね!
たしかに女性を土俵に云々がナンセンスに思えて来ます(笑)
全てを疑う、という「へそ曲がり」です。
bikoさんブログのファンクラブに入っています
(ホント?ウソ?)