囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

親の死に目に遇えない

2021年01月08日 | 雑観の森/芸術・スポーツ

 

文壇本因坊の著書を孫引きとして その19 の巻】

 

 

昔の碁は時間無制限だった。

何日もかかる入念局は珍しくなかった。

日本一決定戦の御城碁(おしろご)で

徳川中期ごろ、小さな変化が起きた。

事前に碁を打つ「下打ち」が採用された。

毎年11月11日から16日までの6日間、

家元四家が輪番に席を設け、定めた対局を打ち上げる。

それを17日に盤に並べ、将軍のご覧に供するのである。

将軍の目前で、1手を何時間も考えるワケにはいかなかったのである。

 

「下打ち」の6日間は、棋士は面会を許されず、外出も禁じられた。

碁は、親の死に目にも遇えないというのは、

ここから出た言葉と言われている。

だが碁に溺れる街のザル碁にも、似たようなことが起きた。

親爺が危ないと迎えがあっても、碁の生き死にの境とあれば

すぐ帰ると口では言いながら、ちょっと席を立てない。

そう早く息を引き取ることもあるまい、と

高をくくって盤面に熱中しているうち、

親があの世にいってしまったということはよくあった。

封建時代、親の死に目に遇えないのは、最大の不孝である。

昔は親不孝碁とでもいったのだろうか。

 


石は生きたが死に目にはあわぬなり 古川柳

 

 

 

おしろご 江戸時代に囲碁家元四家の七段以上の棋士により、徳川将軍の御前にて行われた対局。寛永3(1626)年ごろに始まり、毎年一度、御城将棋とともに2~3局が行われた。幕末の元治元(1864)年に中止になるまでの230年余りに渡って続いた。出仕棋士は計67人。本因坊秀策が記録した1849~61年の19戦19勝無敗が有名。

 

 

緊急事態を声高に叫ぶ

その口が何を言っても

説得力を持たない悲しさ

伝家の宝刀も抜きっぱなしでは……

 

 



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