囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

歴史は知っている 13

2020年09月01日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

才と徳とを兼ね備へたるをといひ

才ありて徳のたらざるをといひ

徳ありて才のたらざるを君子といひ

才ありて徳なきを小人といひ

才も徳もなきものを愚人といふ

 

 

「国家百年の大計」 これは おとぎ話か ~ 政権争奪の渦中にあって思うこと の巻】

 


「愚公山を移す(ぐこうやまをうつす)」は、

中国・戦国時代の典籍「列子」にみえる説話。

あの毛沢東が演説の中で取り上げてから

広く知られるようになった。

 

 

■次のような話である。

 

太行山・王屋山が、現在の位置にあるのは、

愚公という老人が自宅近くの山を邪魔に思い、

家族総出で山を崩し始めたのが始まりだった。

 

愚公の行為を見ていた智叟(ちそう)という人物が、

「山を人力で崩せるはずなどない。

あなたのようなバカなことをするヒトは珍しい。

齢90を過ぎては、死ぬまでに

山の万分の一も崩せるものではないではないか」

と、あざけった。

 

すると、愚公は

「キミは名前に似合わず、

実に話の分からない頭の固い男である。

山は増えないのだから、

子々孫々この事業を続ければ、

小さくなっていくばかりであろう。

いつかは山を移動することができる。

どうして努力を惜しむことがあろうか」

と自信満々に答えた。

 

      


さて、毛沢東は1945年6月の演説で

「日本」と「中国国民党政権」を二つのに、

「中国共産党」を愚公に たとえて、

「どんなに敵が強力に見えても、

我々が山を崩し続ければ、

天帝にあたる中国人民は

我々を支持してくれるのだ」

と唱えた。

 

そして訪ソ時、

スターリンに この伝説を紹介すると

かの独裁者は いたく興味を示し

「私たちが手を組めば、

山を移す以上のこと

必ずできますよ」

と答えたものである。

 

         ◇

 

政治弾圧と冷戦のイデオロギーの時代。

記憶から消え去ってしまうほどの

遠い日の昔ばなしではない。

混迷と不安な世情のなか、

さて、麒麟が来るや、否や。

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。