勝ち負けにこだわり過ぎる者は
碁を目的化しているワケだから
「待った」「論難」などのクセが抜けない
つい下品(げぼん)に至る道に分け入る
これに対し碁をツールと見るならばどうか
たかが囲碁、されど囲碁
なのである
【政治 ➡ ついには「指揮者不在のオーケストラ」になってしまった ~ 親睦碁会 ➡ この際に意図的反則を絶滅させる ~ 自称・マナー警察の独り言 の巻】
赦されざるものは危険度Sランクのみ。
「待った」を始めとするいくつかの反則である。
そのほかのマナー違反などカワイイもの。
このためハガシ常習の高段・有段者とは
これからも打つことはありませぬ。
だからといって
所作・マナーにこだわり過ぎもよろしくない。
碁は交流の手段であり、道具に過ぎないのだから。
少なくとも世話人をやっている二つの碁会で
意図的反則だけは絶滅させるよう
あの手この手で誘導するつもりである。
清々しい空気感のなかで愉しみましょう。
◇
“マナー警察”の項は、これぐらいにしておく。
ところで賭けマージャンで情けなくクビになり
しかし切腹どころか退職金がっぽりの
“マネー検察”は今、どうしておられるのか。
「とりあえず判例主義」の弊害がここにある。
社会的地位が高く法を守るべき職業の者にアマアマ処分。
賢明な国民の信頼が得られるとお思いか。
いったい任命責任はどうなっているのか、お尋ねしたい。
また、この組織も身内に甘くては期待できそうにもない。
できるものなら、とことんやってみなされ。
遺憾ながら、もはや失政の時代に入りつつあるのだから。
日本人は水に流すことを美徳にしているようだが
格好よさげながら、果たしてどうだか。
おめでたいというか、無思想というか。
わたしは、
わたしに一度でも無礼を働いた者を
無条件で赦すのは絶対マズイと信じ、
堅く堅く守るように心掛けている。
なぜなら、それは
「もう一度やってくれ」
と頼んだも同然だからである。
人間とは、そういう生き物。