私のブログにお越しいただいてありがとうございます。新型コロナウイルスによってお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、罹患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
また、日々新型コロナウイルスと戦っている医療関係など、私たちの命と生活を守るために働いてくださっている関係者の方々に、心からの敬意と感謝いたします。
どうか、みなさまとご家族、関係者の方がご健康であっていただければと思っております。1日でも早く流行が終息の方向に向かうことを願っております。
2020年は戦争が終わってから75年目になります。
6月23日。
沖縄は、無数の住民を巻き込んだ悲惨な地上戦で約20万人の犠牲者を出した沖縄戦から75年の「慰霊の日」を迎えました。
糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園にある平和の礎(いしじ)には、国籍を問わず沖縄戦などの戦没者の名を刻まれており、2020年には新たに30人(沖縄県出身20人、県外出身9人、米国出身1人)が追加刻銘され、計24万1593人となります。
新型コロナウイルスの感染拡大防止で、沖縄全戦没者追悼式に一般県民は参列できず、シャトルバスの運行や式典終了後の焼香台設置はありません。また、沖縄県内各地での犠牲者を悼む催しの多くが大幅な規模縮小や中止になりました。
75年前の1945年、米軍は3月26日に沖縄本島西の慶良間(けらま)諸島に、4月1日に沖縄本島中部の西海岸に上陸しました。旧日本軍は本土防衛の時間を稼ぐために持久戦を展開して抵抗。約3ヶ月にわたる地上戦となり、6月23日に組織的戦闘が終わったとされています。
約9万4000人の住民が巻き込まれ、旧日本軍9万4136人、米軍1万2520人を合わせて計約20万人の尊い命が失われました。中でも、兵士よりも非戦闘員である住民のが亡くなったのは、一般住民が旧日本軍の方針によって戦場に駆り出され、戦闘に動員されたことによるものです。
そして、逃げ場のない住民は、壕の中で、畑のあぜで、屋根の下で、米軍の攻撃にさらされたり、旧日本軍によって壕を追い出されたり、なけなしの食料を奪われたり、スパイの疑いをかけられてするなどの事例も多かったそうです。
私は戦争というものを直接体験した世代ではありません。さまざまな記録の中でしか知りません。戦後75年となり、戦争の体験者が少なくなる中、戦争の記憶をいかに後世に伝えていくかが問題となっています。
戦争は災害と違って人が起こすものなので、止めることが出来ると思います。でも、現実の世界では、いろいろな争いごとが終わりません。戦争のことだけではなく、人が人を傷つけあうような行為もなくすことが出来ると思います。
こういう時期だからこそ、戦争の中で命をつなぎ、戦後の日本を復興させた先人の方々に対して、「命の大切さ(二度と戦争を起こさない)」という誓いを確かなものにしなければならないと考えます。
また、明日、ここで、お会いしましょう。