11年ぶり6度目の夏の甲子園出場の金足農高。最速150km/hの“みちのくのドクターK”と呼ばれている吉田輝星選手の登場です。秋田大会では5試合43イニングを1人で投げきり、投球回を大きく上回る57奪三振をマークしています。聖地でも、自慢の速球で9回1失点14奪三振の快投で大観衆を沸かしてくれました。
さて、秋田県には青森県、山形県と並んで、夏の甲子園13年連続初戦敗退という黒い歴史があります。最高順位は準優勝ですが、1915年(大正4年)の話で参加校数も少なく比較どころではありませんが。
金足農高は1928年(昭和3年)に県立金足農業学校として創立し、1948年(昭和23年)から現校名となりました。甲子園初出場だった1984年(昭和59年)の夏に「金農(かなのう)旋風」を巻き起こして、ベスト4入りし、準決勝で桑田真澄さん、清原和博さんを擁する大阪・PL学園高を準決勝で2-3と追い詰め、金足農高の名は一気に全国区になりました。
1984年夏の金足農高は選抜大会に初出場し、春夏連続出場しています。
金足農高は一回戦を6-3で勝利。二回戦を5-3、三回戦を6-4、準々決勝は6-0と圧勝して金足農高はベスト4に進出します。準決勝の相手は、KKコンビを擁するPL学園高となりました。
戦前の予想はPL学園高の圧倒的優位。絶対的な四番清原さんに、エースながら五番を打つ桑田さんが中心のPL学園高相手に、金足農高は、甲子園の名勝負に数えられるゲームを演出していきます。当時の金足農メンバーはPL学園高と違って、無名選手ばかりでしたが、練習量だけは負けておらず、雑草軍団と呼ばれていました。
PL学園高の猛打を期待していた観客は、おとなしい試合展開にどよめき始めます。試合は2-1と金足農高がリードしたまま終盤を迎えました。8回表、金足農高は追加点のチャンスでしたが、得点を奪えません。8回裏のPL学園高三番からの攻撃をしのげば、金足農高が大番狂わせを起こすという状況となります。
1アウト後、四番・清原さんがフォアボールで歩き、五番・桑田さんを打席に迎えます。金足農高バッテリーが選択した2球目のカーブを桑田さんがフルスイングすると、打球はレフトスタンドに消えていく逆転2ランホームランとなりました。結局、このまま金足農高は2-3で敗戦となりました。
あと5アウトまで迫った大金星は、一瞬で黒星に変わってしまいましたが、KKコンビを追い詰めた金足農高ナインには、全観客からの拍手が待っていました。
1984年(昭和59年)甲子園大会の戦績
一回戦 金足農高 6-3 広島商高
二回戦 金足農高 5-3 別府商高
三回戦 金足農高 6-4 唐津商高
準々決勝 金足農高 6-0 新潟南高
準決勝 金足農高 2-3 PL学園高
第2試合
鹿児島実000000010|1
金足農 00300002x|5
今年は1995年のベスト8以来の初戦突破です。どこまで勝ち進むか注目です。
(画像は画面キャプチャ)
第1試合
日南学園001000010|2
丸亀城西000000000|0
第3試合
東海大星翔201000000|3
大垣日大 01040130x|9
第4試合
花咲徳栄010100033|8
鳴門 220000001|5
前年度優勝の北埼玉・花咲徳栄高が2年ぶり12回目出場の徳島・鳴門高を8回に4本の長短打を集め逆転、9回にも得点を重ねて、8-5で逆転勝ちとし、夏連覇へ初戦を突破しました。
(画像は画面キャプチャ)