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「戒名」に料金は発生しない!?

2010年03月24日 12時28分56秒 | 葬儀&戒名&寺院運営

けっこう同じ僧侶の立場の方から反感を買いそうなタイトルです

しかし、読み進めて頂ければ健全な問題提起だと解釈してもらえるものと信じます。

要は、前回の議論の続きです。

これから述べることは前回の議論を踏まえた話なので、興味のある方は前回の記事を一読されてからご覧になっていただければと思います

もともとここでの議論は、

「高額な戒名料や寺院からの寄付が、いま全国で社会問題に

というテレビ・新聞等で見られるコピーをきっかけに始めたものです。

立場上、最近この種の問題に対して意見を求められたり、勉強会の講師に招かれるようになりました。

それが背景にあっての今回の記事であるということを、まずはご理解願います

--------------------------------------------------------------------------------

「たった数文字の戒名に、なぜあれだけ高額な料金がつくのか

最近声がかかる勉強会(日本の葬式仏教に関する研究)において、上のような質問を必ずといって良いほど一般の方から受けます。

中には、

「○文字で○○万円だったら、一文字○○万円の世界なんですか

とするどく突っ込む方もいたりして...... 

そこに悪意があるか否かは別にして、恐らく殆どの方が「戒名料」に対してそういう意識をお持ちなのでしょう。

話が少し脱線しますが、うちのお寺では「戒名料」なるものを一切いただいておりません。

あ、誤解しないで下さいね  私は何も自分だけが良い子になろうと思ってこの種の発言をしている訳ではないのです。

このようなことを言うと、よく同じ僧侶の仲間からは

「あなたのお寺はそれで良いかもしれないけど、うちのような小さい寺だと中々そうはいかないよ

と苦言を呈されます。

中には怒気を込めて、

「大きな寺ならそれで良いかもしれないが、うちのような小さい寺ではそれではやってけないよ。無責任なことを言ってもらっちゃ困る
と一渇されることもたまにあります

「いやいや うちの寺もそれにも勝る小さな寺ですから......

私は、いつもそのように返答しています。 実際にそうなのですから

では、本当に今の時代「戒名料なし」という条件で、うちのような地方の小規模寺院は成り立つのでしょうか

厳しい現実を申せば、今のお寺でその理屈が通用するのは、檀信徒数の多い一部の大寺院か、大きな収益事業(駐車場経営などの不動産収入)が見込める一部の都市寺院だけに限られるかと思います。

それ以外の寺院は、致し方なく兼職(教員や地方公務員など)をしたりとか、限られた浄財を頼りに寺院の運営を切り盛りしているのが現状かと思います。

しかし、お寺の維持管理って結構出ていくものが多いんですよ。殆どの寺が、時に自分達の生活を二の次にして、寺の維持管理に経費を当てているところが多いと思います(うちの寺も例外ではありません)。

ましてや寺の普請(本堂建替えなどの事業)が必要になったら尚更です。前回の記事で述べたように、殆どの寺が特別事業として寄付を勧募し、一世一代の事業として責任を果たす場合が殆どかと思われます。

また、こういう社会の目が厳しい時代ですから、僧侶の兼職もままならない時代に突入してきました。私が知る地方公務員のご住職は、急な葬儀で有給休暇を申請しようとしたところ、「そんなに大変だったらお寺のことに専念していただいていいですよ」とやんわり肩叩きにあったといいます。

以前「地方公務員法の絡みから、公務員と住職の両立は可能なのでしょうか?」(厳密には、営利企業等従事の許可を任命権者から得る必要があるみたいですね)という質問も出たくらいですから、昔は周囲の理解があって両立可能だったことも、こういう時代だからこそ納税者の目が厳しくなってきた感はどうしても否めません。

そのような時代背景も手伝い、お寺の跡を継ぐ立場であれば、戒名料を含めた浄財を頼りに寺を切り盛りするしか道はないのだと思います。

で、私がここで本当に問題としたいのは、実はこの「戒名料」という言葉そのものなんですね。

そもそも「戒名」というのは、仏弟子としての証、つまり仏の戒法(宗門で言えば大乗菩薩戒)を受けた証として結果的に付与されるもので、もともとそこに「料金」が介在する余地はないものと考えます。

いわゆる葬儀の際に菩提寺住職からいただく「戒名」とは、


「院号」 + 「道号+戒名」 + 「位号」
(○○院 + ○○○○ + 居士・大姉など)


という構成になっております(地域・宗派により例外あり)。

参考までに「院号」とは、生前に寺院や宗派、または社会的に高い貢献をした人に対して授けられたものとされています。その当時、皇族や武士が「寺院」などを寄進した場合、その徳を称えて「院号」(院殿号)が寄贈されたのが起源と言えます。

例えば、室町幕府と江戸幕府の歴代将軍の大半は、当時の菩提寺より「院殿号」が贈られており、将軍は死後の『古文書』(古記録)では「戒名」で呼ばれることが多いです。これは、貴人の実名を呼称することを忌む習俗によるものだと言われています。

また、生前から「戒名」の上に「院号」を付けて名乗る例もあり、これは「寺号」・「院号」がもともと僧侶の住坊名・開基となった寺院名から来ていると言われています(因みに律宗では院号を用いない)。

次に「道号」とは、「戒名」の上に付けるもう一種の名前とされ、号や字(あざな)に相当するものとされています(諸説あり)。中国で生まれ、それが禅僧によって日本に伝えられ、戒名の上に付けられるようになったのが道号の起源らしいです。

かの有名な一休宗純のように、生前から「戒名」の上に「道号」を付けて名乗る例もあり、日本の多くの宗派で「戒名」と言う場合には、この「道号」とセットで呼称される場合が多いと言えましょう(因みに、律宗・浄土真宗〈但し、高田派を除く〉では用いない)。

最後に「位号」とは、戒名の下に付けられる文字を言い、性別や年齢などによってもその称号が異なります(信士・信女、居士・大姉など)。

上に述べたように、「戒名」とは本来二文字(もしくは「道号」を含めた四文字)を指すもので、それは仏弟子である以上は無条件に付与されるものでなければなりません。

ここでも以前取り上げた「授戒会」とは、生前にその戒法を授かる儀式を指して言いますが、そこで重視されるのは「いくら納めたか」ではなく「戒法を受けたか否か」でしかありません。

もちろん約1週間にわたる修行期間となるため、それにかかる必要経費(食事代などの諸経費)は「戒金」という形でお納めいただきます。しかしそれは、テレビや新聞等で批判を浴びるような高額なものでは決してありません。

では、お葬式の時に菩提寺の住職からいただく「戒名」との違いは一体どこにあるのでしょうか。

それは先ほど図に示した「道号」・「戒名」の四文字以外の部分、つまり「院号」と「位号」に対する理解が必要になってきます。

例えば、「戒名」の下につく「位号」とは、法の上での師弟関係はもとより、菩提寺住職(師)と檀信徒(弟子)の関係において大きな役割を果たしてきました。つまり、菩提寺住職の責任として、亡き故人(檀信徒)に仏戒を授けてきた歴史を見れば非常に分かり易いかと思います。

ご存知ない方も多いと思いますが、我が宗門の葬儀は亡き故人に滅後の授戒を施す「没後作僧」を基軸に成り立つものです。

つまり、亡き故人は「葬儀」(没後作僧)を通して、仏戒を授ける立場にある菩提寺の住職と、法の上での師弟関係を結ぶことになります。それは菩提寺の住職に葬儀を勤めていただく以上、仏弟子として見送られるのと同時に、これまで以上に菩提寺と檀家の関係を深めるひとつの機縁ともなるのです。ゆえに、四文字の戒名の下に「位号」を付すということは、その菩提寺の住職と師弟としての縁(仏縁)を深めたひとつの証ともなります。

縁あって貴家の先祖が今の菩提寺と関係を保ち、歴代の住職が宗門伝来の作法に則りその家の先祖(故人)を見送ってきた歴史を重んじれば、「葬儀」(没後作僧)を通してその菩提寺の檀信徒である自覚をさらに深める機会にすべきでありましょう。

私は、それが「戒名」の下に「位号」を付すひとつの意味だと考えます。つまり、菩提寺の住職から新たに仏縁を与えて頂いたひとつの証として重視すべきだと思うのです。それはいわゆる菩提寺と檀家の関係における三世にわたる結縁の証と言えましょう。

つまり、四文字の「戒名」が仏弟子としての証であるならば、その下に付される「位号」は菩提寺と檀信徒の関係を結んだひとつの証となるのです。

では、戒名の上に付される「院号」はどのように捉えられるべきでしょうか。

「院号」の概略については既述した通りですが、「院号」の持つ機能はまた別な解釈が成り立つものと考えます。

例えば、うちの寺ではこの「院号」の付与をあくまでも施主家の意向によって決定しています。確かに「院号」そのものの意味を考慮しても、もともとは「寺院を寄進した証」として篤志者に与えられる称号であります。

要は、それが物心両面にわたる寄進(貢献)であることを前提に、「寄進(貢献)があったか否か」がひとつの判断基準になることは言うまでもありません。その意味において、「院号」は施主家(もしくは故人)の意向、つまり亡き故人(ご家族)をどのような形で見送りたいかで決まる部分であると思うのです。

話を総括すると、いわゆる四文字部分の「戒名」(含道号)とは、仏弟子である以上は皆平等に師僧(菩提寺住職)から弟子(亡き檀信徒)に付与されるものです。まさにそれは教義の根幹に関わる話ですから、決して前後左右上下があるものではなく、皆平等に与えられるものでなければなりません。ましてやそこに料金が発生したり、その料金によって差異が生じるものではないと思うのです。

もし差異が生じる部分があれば、それはあくまでも施主家の意向で決定される「院号」や「位号」の部分(総称して「位階」と呼称)でありましょう。

それは、それぞれの施主が亡き故人に対する「想い」の部分で決定されるものであり、菩提寺が敢えて介入する余地があるものではありません。あくまでも施主家の故人に対する気持ち、つまりプライバシーが保たれて然りの部分です。

要は、私が言いたいのは「戒名」(含道号)と「位階」(院号と位号)は元来性質が異なるものであり、両者は一線を画して捉える必要があるということです。「戒名」は法の上での平等性が保たれて然りですが、「位階」においては施主家の想いによって如何様な形でも成り立つのです。

たとえば、亡き故人のお墓参りに出向く際、供養の気持ちとして一本の野草を供えるのか、それとも高価な胡蝶蘭を供えるのかは、それは施主家の「想い」により決定されるものです。菩提寺の立場でどのような花を供えるかまでは口出しできる問題ではありません。しかし、どのような花を供えようとも、それが供養(墓参)であることに変わりはありません。

どちらも故人に対する尊い「想い」の表れであり、道端で摘み取った野草であろうと、花屋で購入した高価な胡蝶蘭であろうと、故人に対する「想い」からなる供養であることに変わりはないのです。

私は「院号」という名の供花は、まさに施主がどのような「想い」で故人を見送りたいかという部分の話だと思うのです。むしろ「料」という概念が発生する余地があるのはこの部分ではないでしょうか。

要は、歴史的な経緯を踏まえた教義の面、また故人に対する遺族の心情を推し量っても、「戒名料」という言葉に象徴される「戒名」に「料金」が付随するかの考えが話をおかしくしているのです。それを言うなら、せめて自責の念を込めて「戒名料」と言わず「位階料」と言うべきでありましょう。

既述もしたように、「戒名」は仏弟子であれば皆平等に付与されるものですが、「院号」(位号)は施主家の故人に対する「想い」によって決定されるものです。また、「位号」は菩提寺と檀信徒との関係を更に深めるひとつの証として付与されるものです。供養の「想い」に差はなくとも、供える花は人それぞれであって良いはずです。どちらも同じ供養であることに変わりはない訳ですから。

ですから私は、冒頭申し上げたように「戒名料」なるものは檀信徒の方から一切いただいておりません。その代わりに「位階恩金」(院号・位号に付随する料金)なるものを総代役員会にて協議決定し、菩提寺の護持運営のために檀信徒の方に納めていただくことにしています。

そのそれぞれの額に関しては、あくまでも法人の護持運営の財源となるものですので、毎年の収支決算書と照らし合わせて、既述もしたように檀信徒の代表である総代役員会にて協議設定し、その決定した額と議論の過程を適宜檀信徒の方々に説明するうようにしています。

ゆえに、冒頭述べたようにうちの寺では「戒名料」をいただかなくとも、法人(寺院)の護持運営が成り立つ現実があるのです。

「そんなの呼び方を変えただけで中身は何も変わっちゃいない、ある意味詭弁じゃないか

との声も聞こえてきそうです

しかし私は、その言葉の言い換え作業が非常に大切だと思うのです。きちんと意味を説明すれば、それが単に「詭弁」の一言で済む問題でないことは分かっていただけるものと思います。

なぜなら、葬儀において「没後作僧」の形態を取る以上は、亡き人と言えども「戒名」は皆平等に付与されなければならないし、その仏弟子の証としての「戒名」に料金が付随する余地は決してないからです。菩提寺に対する檀家の義理の部分において「位号」をいただき、「院号」に関してはあくまでも施主の故人に対する「想い」の部分にてお決めいただく。そこに「戒名」が世俗の論理に振り回される余地はありません。

あくまでも、仏弟子として見送る部分(戒名)は菩提寺が責任を以て請け負い、どのような供花(院号)を供えるかは檀信徒側(遺族側)の「想い」で決めていただくというのが、私は最も理解が得られる形であると思います。

また、前回の記事述べたように、檀信徒としての自覚を新たにしていただくのであれば、菩提寺の護持運営にはそれ相応の責任を果たしていただきたいものです。なぜなら、菩提寺とは住職個人の私財ではなく、あくまでも檀信徒の皆さま方の共有財産である訳ですから。その歴代の檀信徒の方々の「想い」に支えられて、皆さまの菩提寺は今の時代まで存続してきたのであります。

ゆえに私は、いわゆる「俗名」の葬儀というものを一切行っておりません。それは既述もしてきたように、曹洞宗の菩提寺の住職としての責任に関わる部分だと思うからです。

今までの菩提寺と檀家の歴史を重んじた時、また宗門伝来の葬儀法の歴史を鑑みた時、私個人はその歴史と伝統を踏まえずして葬儀を勤めることにある種の抵抗を感じます。また、その歴史と伝統があるからこそ、私は安心して故人に引導を渡すことができるのだと思います。

私の言う「言葉の言い換え作業」の意味とは、畢竟その部分に全てが集約されます。まずは「戒名」と「位階」の違いをきちんと分けて考え、その併せ持つ機能の意味をも檀信徒の方々には適宜説明をし、僧侶としての「法の敷衍」と住職としての「法人施設(共有財産)の維持」といった責任を両立させていくべきだと思うのです。そのどちらの一方が欠けても、私はある意味「僧侶」として、または「住職」としての責任が果たせないような気がします。

そういう意味で、私は菩提寺と檀家の関係(絆)をさらに深める意味でも、宗門伝来の葬儀法を私の代で変えるつもりはありません。まず、その私個人の「想い」の部分に共感していただくことから、私の代での菩提寺と檀家の関係は再構築されるべきだと考えています。

今回のタイトル「戒名に料金は発生しない」という言葉の意味は、日本のこれまでの葬式仏教の歴史と伝統を尊び、僧侶として、そして住職として、今後の法の敷衍と寺院運営にある種の責任を持ちたいがゆえに掲げた、私個人の決意と覚悟の表明でもあります。あとは日進月歩、着実に歩を前に進めていくだけです。 合掌


※今回述べた内容は、あくまでも個人的な見解(私見)であり、宗門の公的見解とは何ら与するところはありません
また、仏教の教義を可能な限り寺院運営の現実と擦り合わせることを意図した書き込みであることをご理解願います


【 参考文献 】(著者名敬称略)

『戒名・法名・神号・洗礼名大事典』(鎌倉新書 1981年2月)
『ものがたり戒名』(原勝文 琵琶書房 1984年7月)
『差別戒名の歴史』(小林大二 雄山閣 1987年7月)
『わかりやすい仏教用語辞典』(大法輪閣 1998年5月) など多数


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8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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菩提寺と檀家の融合 (ひぐま)
2010-03-25 10:02:06
前回のエントリーといい、今回のエントリーといい、こういう問題を檀家とオープンに議論できる雰囲気はいいですね。
こういう努力ってこれから必要だと思います。
仏教原理主義者、アンチ仏教派の溝を埋める作業がこれからの時代求められていると思います。
こういう一歩からはじめていきましょ!
返信する
Unknown (市堀玉宗)
2010-03-25 11:39:17
大変分かりやすく、参考になりました。
社会がお金に敏感になっている現代です。僧は筋を通して理解を得るべきでしょうね。
私も努力してみようと思います。合掌
返信する
コメントありがとうございますm(__)m (布教師@Net)
2010-03-25 13:47:03
> ひぐまさん

ご無沙汰しております

今回は良いきっかけをいただいた気がします。

北海道は信仰が篤いところで、このような心配とは無縁なのではないでしょうか?

先人たちが積み重ねた遺産がある場所もあれば、逆に負の遺産に苦しむところもあるということですかね。

ともに参学していきましょう!

> 市堀玉宗さん

ご無沙汰しております

せっかく良い問題提起をいただいたので、これを機に思うところを縷々述べました。

ご承知のように、私のやり方が全てのお寺に通じる訳ではありませんが、要はお互いの誤解をなくす努力が必要だと思います。
返信する
失礼いたします。 (tenjin95)
2010-03-25 16:33:25
> 管理人様

戒名の位階の違い・・・ランク付けと評されることが多い一件ではありますが、これまで行われてきた理由もありますし、地域共同体に於ける寺院の「位置」を考えますと、仏教の出世間的な道理だけで済む話でございません。その意味でも、この記事は参考になりました。
返信する
助化師さま (布教師@Net)
2010-03-25 17:04:12

逆にご指導いただきたいぐらいですよ

今回の私見も当該地域の共同体の論理ぬきにして成り立ちません。

ゆえに、普遍的な普及には敢えて期待せず意見しました。

もう少し内容を整理してから載せれば良かったのですがね
返信する
参考になりましたm(__)m (鐘司長)
2010-03-25 17:47:56

とても参考になりました。
ありがとうございます。
高額な戒名料というテーマで本を出すと、そのタイトルだけでかなりの売り上げが期待できるそうです。
一種のガス抜きとなるのでしょうか。

さて、しかし布教師さんの理屈でいくと、「高額な戒名料が社会問題に!」とうたわれる内容が、今度は「高額な位階料が社会問題に!」と変わるだけなのではないでしょうか?

そうなると、名前を挿げ替えただけで問題は解決してないみたいな・・・そういう状況って起こらないですかね?
返信する
コメントありがとうございますm(__)m (布教師@Net)
2010-03-25 19:13:55
> 鐘司長さん

鋭いご指摘ですね......

まさに仰る通りです。この議論を「名前の挿げ替え」だけで終わらせてしまったら元も子もありません。

要は、菩提寺の護持運営に寺檀一体となって取り組もうという私なりの提案の形なのです。

それぞれの寺の事情を与した上で、決して住職一人ではなく、責任役員会を含めた全ての檀信徒の方々に参画意識を持っていただくことが今回の目的でもあります。

それには、その寺に合った運営法を見出す必要が出てくるでしょう。現状のままですと、お互いが微妙な距離感を保ちつつ寺檀関係を構築しているような気がしてなりません。

寺とは、それこそ先祖を介して菩提寺と檀家の関係を保っているようなものです。言うなれば、その家の先祖を守ることが寺檀関係の礎になるものと思います。

その礎があって初めて運営基盤も強固なものとなり、今の時代に生きる我々への法の還元も可能になるのでしょう。

記事でも触れましたが、大きな収益事情が見込めない地方の寺院などは、檀務による浄財を財源としないと運営自体が成り立たない事情があります。

となると、仏事(葬儀)本来の意味を残しつつも、それを法人運営のための潤滑油として機能させる術をも持ち合わせてなければなりません。

そこには檀信徒の皆さま方のご理解とご協力が必要なのです。

菩提寺と檀家という関係を踏まえれば、寺の護持運営にある程度のご協力を賜ることは、ある意味檀家としての責務だろうかと思われます。

要は、その協力に納得していただけるだけの提案が私たちの側からできるかどうかという問題です。

その議論の第一歩となる提案を、今回はさせていただいたつもりであります。我々の側の都合のみを押し付けるのでは決してなく、寺檀が協力して菩提寺の護持運営に携われるような環境作りに今後も邁進していく所存です。
返信する
追記 (布教師@Net)
2010-03-25 19:27:02

ゆえに、記事に述べた「位階恩金」に関しても、あくまでも「菩提寺の護持運営」が目的となりますから、その決定に関しては檀信徒の総意に相応しいものとならなければなりません。

よって、役員会での協議内容に関しては説明責任が生じるもので、透明性も可能な限り高められなければならないものと思います。
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