14日東京講演の原稿と合わせて、こちらも八尋光秀弁護士作成による福岡事件についてのレジメをいただいているので、謹んで掲載させてもらいます。
福岡事件および再審運動の大まかな軌跡については、すでに「福岡事件とは何か」と題する解説記事を掲載しましたが、より厳密・正確で、法学的見地からも詳細なこちらのレジメの方が、資料価値の高いことは言うまでもありません。
冤罪再審 福岡事件
第1 「福岡事件」のあらまし
1 事件の発生
戦後直後の混乱期にあった昭和22年5月20日夕刻、福岡市堅粕の空き地で、日本人1名と中国人1名が射殺された。
死体には、現金約5430円(当時の国会議員の月給は3500円)や、金側懐中時計などがそのまま残されていた。「強盗」ではありえず、また「共謀」も全く存在しない、本来は、極めて単純な事件であった。
2 誤った捜査方針・内容
再審請求人である石井健治郎さん(死刑判決確定後恩赦により無期懲役に減刑され仮釈放中)は、本件被害者らを誤って射殺してしまった。この被害者らは西武雄さん(死刑執行)が関与していた軍服取引の売主と買主であった。さらには、肝心の軍服の存在は確認されず、取引はそもそも詐欺まがいの架空取引であるともされた。西さんと石井さんとは、この日、事件の直前に、初めて顔を合わせただけのかかわりであったが、拳銃貸借の話し合いまで及んでいた。
このような状況から、捜査機関は、当初より、本件殺人は軍服取引をめぐる「強盗殺人」であり、しかも、その首謀者は、西さんであるとの見込み捜査を開始した。西さん、石井さん、そして各々の弟分(請求人藤永清喜さんもその一人)計7名を「強盗殺人」の容疑で順次逮捕し、厳しく自白を追及した。
その背景には、①被害者であり軍服の買主は、戦勝国である中国国籍を持つ華僑の重鎮であったこと、②使用された拳銃が日本軍将校の所有するものであったこと、③石井さんも西さんも軍人としての位は高かったこと等の背景がある。これらの事情からGHQは本件殺人は戦勝国であり、占領軍に対する反攻であるとの疑いを持った。それゆえ当初から本件には重大な関心を寄せており、その捜査を指揮し、裁判を監視し続けることとなった。
仮に強盗事犯でないとすれば日本の警察権、司法権の及ぶところではなく占領軍の捜査権、裁判権に服することとなるなどの事情もあった。
強盗と共謀の客観的証拠はなかった。そこで取調べは専ら自白獲得を目的としてなされ、凄惨を極めた。否認を続けた西さんは、逆さ吊りで頭を水に沈められるなど、激しい拷問を受け続けた。その他の者は、西さんらが受けている拷問を目の当たりにし、自身も正座した足の間に棒を挟まれ、上から踏みつけられる等の拷問を受けた。当初、関係者のすべてが事実を否認したが、西さんを除き、次々に「西さんが強盗を首謀した」ことを「自白」したとする、捜査官作成の調書に署名及び指印の押捺を強いられた。
3 誤った裁判
(1)第1審
同年6月8日、西さん、石井さん、藤永さんら7名は、福岡地方裁判所に、「強盗殺人」罪で起訴された。本件直前の5月3日、日本国憲法が施行されたが、第1審の審理は、旧刑事訴訟法、応急措置法によりなされた。
被告人全員が、「強盗」「共謀」について否認した。しかし、予断に基づく糾問的な審理や、弁護の不存在(有罪前提の情状弁護のみ)の下、昭和23年2月27日、西さんと石井さんは死刑、藤永さんは懲役5年、他4名も懲役3年~15年の刑を宣告された。
(2)控訴審
福岡高等裁判所における控訴審の審理は、新刑訴法施行後に開始されたが、新刑訴法は一切適用されず、旧刑訴法、応急措置法(刑訴法施行法2条により旧法が適用)により、裁判手続きが執り行われた。
結局、第1審をそのまま引き継ぎ、ほぼ同様の糾問的な審理がなされた結果、同26年4月30日、判決(=確定判決)が下された。「共犯者」のうち1名は無罪、もう一名は刑が減軽されたが、西さん、石井さん、藤永さんを含む5名については、第一審と同じ結果であった。
(3)上告審
西さん、石井さん、藤永さん他1名は上告したが、棄却された(昭和31年4月17日)。
4 これまでの再審請求
以下のように、5度に亘り再審請求がなされてきたが、いずれも「白鳥決定」(昭和50年5月20日最高裁決定)前であり、門前払い同様に棄却された。なお、過去の再審請求は、いずれも西さん、石井さん自身、そして彼らの冤罪を確信じていた故古川泰龍氏(宗教教誨師)の手によってなされたものであり、弁護人による再審請求は今回の第6次再審請求が初めてである。
①第1次再審請求(by石井さん)→棄却(昭和31年12月3日)
②第2次再審請求(by石井さん)→棄却(昭和32年10月7日)
③第3次再審請求(by西さん、石井さん)→棄却(昭和39年11月28日)
④第4次再審請求(by西さん)→棄却(昭和40年7月5日)
⑤第5次再審請求(by石井さん)→棄却(昭和41年4月19日)
5 西さんに対する死刑執行
「白鳥決定」から約1か月後の昭和50年6月17日、事前に本人に告げられることすらないまま、突然西さんの死刑が執行された。同日、石井さんは恩赦で無期懲役となり、その後仮釈放を受けた。
第2 再審請求の今
1 弁護団の結成
冤罪再審福岡事件弁護団は、西さんらの宗教教誨師であって、再審請求および助命嘆願に奔走しておられた故古川泰龍氏の依頼をきっかけに、平成11年に結成された。
その後、弁護団は、事件の確定記録の整理や新証拠の発見および収集にあたった。しかし、膨大な刑事記録は、その殆どが手書きの草書(と言えば聞こえがいいがその実は判読困難)で記載されており、事案の整理は容易ではなかった。また、事件から50年近くが経過しており、当時の関係者の殆どは、既に故人となっているか、あるいは消息不明であり、新証拠の収集の壁も厚かった。
2 (第6次)再審請求
平成17年5月23日、福岡地裁に再審請求書を提出した。請求人は、石井さん、藤永さん、そして西さんの遺族である。他の「共犯者」らは既に亡くなられ、石井さん、藤永さん(昨年亡くなられご遺族が再審請求された)も、それぞれ88歳、80歳となっていた。
新証拠は、結局、石井さんと藤永さんの新供述(ビデオテープ)および内田博文教授、浜田寿美男教授らの鑑定意見書である。
新供述の内容は、事件の真相、調書の作成状況、拷問等についてである。請求時の新供述には、審理の状況や弁護のあり方等、重要な点が含まれていなかった。請求後、改めて石井さん、藤永さんにの供述をビデオに録画・録音し、これを新証拠として追加提出した。
内田意見書は刑事訴訟法の立場から確定裁判における裁判手続の違憲性と適正手続に違反する審理の実態が無罪の新証拠足りうるとする。新供述からすれば、第1審のみならず、控訴審の審理にも著しい問題があった(糾問的な審理、黙秘権の告知すらなし)。その結果、拷問による自白が証拠排除されることなく有罪とされたことについて、確定判決の審理には憲法違反があり、ここに光を当てたものである。
浜田意見書は供述心理分析の立場から、確定判決の証拠の核とされた関係者らの「自白供述」を精密かつ客観的に分析した。その結果、「自白供述」のいずれにも虚偽を含む合理的な疑いが存し、任意性および信用性をも欠いていることを明らかにした。
3 調書のデジタル化
本事件の調書は膨大である上、判読も非常に困難である。そこで、裁判所との協議の上、調書をデジタル化することとした。福岡事件弁護団と研究者および学生らのボランティア30人程度の協力を得て、デジタル化を終えた。
4 まとめ
昨年はシスター・へレン・プレジャンを迎え、学生を中心として福岡事件を題材とした模擬裁判を実施するなど大きな成果を得た。運動を更に飛躍させる段階へと進んできた。
我が国では、これまで数多くの再審請求がなされてきたが、福岡事件は、すでに死刑が執行されたという点に大きな特徴がある。冤罪のまま命を絶たれた西さんの無念を晴らすため、また自身の汚名を雪ぐために、西さんのご遺族、石井さん、藤永さんが立ち上がられ、あるいは、そのご遺族がその遺志を受け継がれた。高齢の石井さんは病を抱えながらも再審を求め続けられている。
今年3月、デジタル化を終えた捜査段階での供述調書及び公判調書をもとに、供述の形成過程を探り、その捜査及び公判廷における裁判官の尋問方法などの問題点を洗い出しながら、任意性、信用性について検討をし、最終的な意見書を作成し提出した。
石井さんほか請求人の方々、古川泰龍氏のご遺族、学生ほかの支援とともにできるだけ早期の再審開始決定を期待している。
以上
福岡事件および再審運動の大まかな軌跡については、すでに「福岡事件とは何か」と題する解説記事を掲載しましたが、より厳密・正確で、法学的見地からも詳細なこちらのレジメの方が、資料価値の高いことは言うまでもありません。
弁 護 士 八 尋 光 秀
第1 「福岡事件」のあらまし
1 事件の発生
戦後直後の混乱期にあった昭和22年5月20日夕刻、福岡市堅粕の空き地で、日本人1名と中国人1名が射殺された。
死体には、現金約5430円(当時の国会議員の月給は3500円)や、金側懐中時計などがそのまま残されていた。「強盗」ではありえず、また「共謀」も全く存在しない、本来は、極めて単純な事件であった。
2 誤った捜査方針・内容
再審請求人である石井健治郎さん(死刑判決確定後恩赦により無期懲役に減刑され仮釈放中)は、本件被害者らを誤って射殺してしまった。この被害者らは西武雄さん(死刑執行)が関与していた軍服取引の売主と買主であった。さらには、肝心の軍服の存在は確認されず、取引はそもそも詐欺まがいの架空取引であるともされた。西さんと石井さんとは、この日、事件の直前に、初めて顔を合わせただけのかかわりであったが、拳銃貸借の話し合いまで及んでいた。
このような状況から、捜査機関は、当初より、本件殺人は軍服取引をめぐる「強盗殺人」であり、しかも、その首謀者は、西さんであるとの見込み捜査を開始した。西さん、石井さん、そして各々の弟分(請求人藤永清喜さんもその一人)計7名を「強盗殺人」の容疑で順次逮捕し、厳しく自白を追及した。
その背景には、①被害者であり軍服の買主は、戦勝国である中国国籍を持つ華僑の重鎮であったこと、②使用された拳銃が日本軍将校の所有するものであったこと、③石井さんも西さんも軍人としての位は高かったこと等の背景がある。これらの事情からGHQは本件殺人は戦勝国であり、占領軍に対する反攻であるとの疑いを持った。それゆえ当初から本件には重大な関心を寄せており、その捜査を指揮し、裁判を監視し続けることとなった。
仮に強盗事犯でないとすれば日本の警察権、司法権の及ぶところではなく占領軍の捜査権、裁判権に服することとなるなどの事情もあった。
強盗と共謀の客観的証拠はなかった。そこで取調べは専ら自白獲得を目的としてなされ、凄惨を極めた。否認を続けた西さんは、逆さ吊りで頭を水に沈められるなど、激しい拷問を受け続けた。その他の者は、西さんらが受けている拷問を目の当たりにし、自身も正座した足の間に棒を挟まれ、上から踏みつけられる等の拷問を受けた。当初、関係者のすべてが事実を否認したが、西さんを除き、次々に「西さんが強盗を首謀した」ことを「自白」したとする、捜査官作成の調書に署名及び指印の押捺を強いられた。
3 誤った裁判
(1)第1審
同年6月8日、西さん、石井さん、藤永さんら7名は、福岡地方裁判所に、「強盗殺人」罪で起訴された。本件直前の5月3日、日本国憲法が施行されたが、第1審の審理は、旧刑事訴訟法、応急措置法によりなされた。
被告人全員が、「強盗」「共謀」について否認した。しかし、予断に基づく糾問的な審理や、弁護の不存在(有罪前提の情状弁護のみ)の下、昭和23年2月27日、西さんと石井さんは死刑、藤永さんは懲役5年、他4名も懲役3年~15年の刑を宣告された。
(2)控訴審
福岡高等裁判所における控訴審の審理は、新刑訴法施行後に開始されたが、新刑訴法は一切適用されず、旧刑訴法、応急措置法(刑訴法施行法2条により旧法が適用)により、裁判手続きが執り行われた。
結局、第1審をそのまま引き継ぎ、ほぼ同様の糾問的な審理がなされた結果、同26年4月30日、判決(=確定判決)が下された。「共犯者」のうち1名は無罪、もう一名は刑が減軽されたが、西さん、石井さん、藤永さんを含む5名については、第一審と同じ結果であった。
(3)上告審
西さん、石井さん、藤永さん他1名は上告したが、棄却された(昭和31年4月17日)。
4 これまでの再審請求
以下のように、5度に亘り再審請求がなされてきたが、いずれも「白鳥決定」(昭和50年5月20日最高裁決定)前であり、門前払い同様に棄却された。なお、過去の再審請求は、いずれも西さん、石井さん自身、そして彼らの冤罪を確信じていた故古川泰龍氏(宗教教誨師)の手によってなされたものであり、弁護人による再審請求は今回の第6次再審請求が初めてである。
①第1次再審請求(by石井さん)→棄却(昭和31年12月3日)
②第2次再審請求(by石井さん)→棄却(昭和32年10月7日)
③第3次再審請求(by西さん、石井さん)→棄却(昭和39年11月28日)
④第4次再審請求(by西さん)→棄却(昭和40年7月5日)
⑤第5次再審請求(by石井さん)→棄却(昭和41年4月19日)
5 西さんに対する死刑執行
「白鳥決定」から約1か月後の昭和50年6月17日、事前に本人に告げられることすらないまま、突然西さんの死刑が執行された。同日、石井さんは恩赦で無期懲役となり、その後仮釈放を受けた。
第2 再審請求の今
1 弁護団の結成
冤罪再審福岡事件弁護団は、西さんらの宗教教誨師であって、再審請求および助命嘆願に奔走しておられた故古川泰龍氏の依頼をきっかけに、平成11年に結成された。
その後、弁護団は、事件の確定記録の整理や新証拠の発見および収集にあたった。しかし、膨大な刑事記録は、その殆どが手書きの草書(と言えば聞こえがいいがその実は判読困難)で記載されており、事案の整理は容易ではなかった。また、事件から50年近くが経過しており、当時の関係者の殆どは、既に故人となっているか、あるいは消息不明であり、新証拠の収集の壁も厚かった。
2 (第6次)再審請求
平成17年5月23日、福岡地裁に再審請求書を提出した。請求人は、石井さん、藤永さん、そして西さんの遺族である。他の「共犯者」らは既に亡くなられ、石井さん、藤永さん(昨年亡くなられご遺族が再審請求された)も、それぞれ88歳、80歳となっていた。
新証拠は、結局、石井さんと藤永さんの新供述(ビデオテープ)および内田博文教授、浜田寿美男教授らの鑑定意見書である。
新供述の内容は、事件の真相、調書の作成状況、拷問等についてである。請求時の新供述には、審理の状況や弁護のあり方等、重要な点が含まれていなかった。請求後、改めて石井さん、藤永さんにの供述をビデオに録画・録音し、これを新証拠として追加提出した。
内田意見書は刑事訴訟法の立場から確定裁判における裁判手続の違憲性と適正手続に違反する審理の実態が無罪の新証拠足りうるとする。新供述からすれば、第1審のみならず、控訴審の審理にも著しい問題があった(糾問的な審理、黙秘権の告知すらなし)。その結果、拷問による自白が証拠排除されることなく有罪とされたことについて、確定判決の審理には憲法違反があり、ここに光を当てたものである。
浜田意見書は供述心理分析の立場から、確定判決の証拠の核とされた関係者らの「自白供述」を精密かつ客観的に分析した。その結果、「自白供述」のいずれにも虚偽を含む合理的な疑いが存し、任意性および信用性をも欠いていることを明らかにした。
3 調書のデジタル化
本事件の調書は膨大である上、判読も非常に困難である。そこで、裁判所との協議の上、調書をデジタル化することとした。福岡事件弁護団と研究者および学生らのボランティア30人程度の協力を得て、デジタル化を終えた。
4 まとめ
昨年はシスター・へレン・プレジャンを迎え、学生を中心として福岡事件を題材とした模擬裁判を実施するなど大きな成果を得た。運動を更に飛躍させる段階へと進んできた。
我が国では、これまで数多くの再審請求がなされてきたが、福岡事件は、すでに死刑が執行されたという点に大きな特徴がある。冤罪のまま命を絶たれた西さんの無念を晴らすため、また自身の汚名を雪ぐために、西さんのご遺族、石井さん、藤永さんが立ち上がられ、あるいは、そのご遺族がその遺志を受け継がれた。高齢の石井さんは病を抱えながらも再審を求め続けられている。
今年3月、デジタル化を終えた捜査段階での供述調書及び公判調書をもとに、供述の形成過程を探り、その捜査及び公判廷における裁判官の尋問方法などの問題点を洗い出しながら、任意性、信用性について検討をし、最終的な意見書を作成し提出した。
石井さんほか請求人の方々、古川泰龍氏のご遺族、学生ほかの支援とともにできるだけ早期の再審開始決定を期待している。
以上