福岡写真倶楽部

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精機光学研究所

2009-05-21 22:43:38 | ミニミニ写真塾
1933年(昭和8年)
内田五郎、内田三郎、前田武男の3名が
「精機光学研究所」を設立し、日本初のカメラを作ろうと
研究開発に取り組んでいました。
当時、ドイツ製の「ライカ」や「コンタックス」が
世界市場を独占していたので、三人の研究は「世界への挑戦」でした。

1935年(昭和10年)
国産初のライカ型レンジファインダーカメラが製造されました。
製造台数、わずか1000台 (現存するものは131台)

近江屋写真用品株式会社を販売ルートとし
その商標名から「ハンザ」と名付け、
ボディーは精機光学研究所、距離計とレンズは日本光学としました。
(画像参照)

精機光学研究所は社名を「Canon」に変更し
日本光学は「Nikon」となりました。
現在は、このふたつの大企業が世界シェアを占めて
ライバル関係にありますが
日本でのカメラ歴史草創期では、
両者は協力関係にありました。



町の小さな研究所からはじまったカメラ作りは
世界の総合精密機器メーカー「Canon」として
新しいデジタル映像表現のありかたを
提案、開発するまでに至りました。









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