goo

紺屋の白袴

トンボ玉を作り始めて数年は、お金を頂いて販売するような物は作れませんので、まず自分や身内の者が身につける為の玉を楽しみで作っていたように思います。
プロとしてこれで食べていくようになってからは、自分が日頃に身につけるのは失敗作、身内にすら「欲しかったら、展示会に来て買って~。」というような有様です。
日々販売する事を目的として作りますので、よっぽと気に入った玉が出来ても、「手元に残して置こう。」などという気にはなりません。一点でも多く、納得のいく作品を次の売り場に並べたい、喜んで買って下さるお客様の為に作りたい、という気持ちで制作しています。

『紺屋の白袴』ということわざが在りますが、
1.他人のためにばかり忙しく、自分のことには手が回らないこと。
2.いつでもできるにも拘(かか)わらず、放置しておくようなことを指摘する言葉。
という意味に使われているようです。
私にとっては少し意味が違っていまして・・・

まだ十台の頃にふと雑誌で目にした記事がありました。30年ほど前の曖昧な記憶ですが、着物に携わる工芸作家に関する記事で、「私の娘が『お嫁に行くときにはお父さんの着物を纏いたい』と言ったけど、冗談じゃぁない、私の着物を身に着けるのは良家のお嬢様、お前は高々職人の娘なんだから・・・」
というような記述がありまして、いまだに心に強く残っています。
自分が丹精を込めて作る物が、次第に自分には買えない金額の物になりました。悲しむよりもそこまでは来られてようやく「職人」と名乗っても許されるかと、喜びを覚えます。
伝統工芸作家を保護する必要性を唱える方も居られますが、私はむしろ工芸品を買う立場の人を守る必要性を感じます。工芸品の制作に携わる者は、国に保護を訴えるのではなく、買える立場の方々の目に留まるように、己の美意識や技を磨くことにこそ、心を砕くべきなのではないでしょうか。

まっ、このような言い訳で、私は自分の身の回りにはあまり構わずに、「紺屋の白袴~♪」と唱えつつ、化粧もせずにくたびれたTシャツとジーンズ、手拭を巻いた頭で日々、制作に勤しむのでありました。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 富山大和移転... お散歩 »
 
コメント
 
 
 
Unknown (GURE)
2007-09-23 23:58:48
とか言いながら、あたしのぐい飲みを撫で回して
「買おうかなー。どうしようかなー・・・」
なんて言うの、やめて卓袱台(笑)。
 
 
 
Unknown (ふちこま)
2007-09-25 03:51:41
だってとーちゃん、
あのぐい飲みは、ホントに好きだった・・・TT
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。