落合氏側から現代音楽作曲家が音楽を聴く上での耳(感覚)と通常一般的に感じるだろうそれ等について興味深いお話がありました。
それらについて下記に要約してお伝えさせて頂きます。
8割から9割位は下記のような内容だったとも付け加えてお伝えさせて頂きます。
<作曲家の耳と通常あるべき人間の耳について>
今から30年以上も前の話になります。
落合氏が作曲を勉強している学生の頃の話です。
その頃先生のつてでヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を取った映画の音楽を作曲した外国人の作曲家と米国のボストンにて会う事があったそうです。
その作曲家もボストンで音楽を勉強した事があったらしく、過去を非常に懐かしがりながら、話をしていたそうです。
中略
その話の中で、「一般の聴衆が好む音楽とは何であるのか…」という問題についての話になったそうです。
その作曲家がいうには「一般の聴衆は非常にシンプルな音楽を好み、それは和音であれば三和音の進行だ…」という事でした。
落合氏はこれに非常にびっくりしたそうです。
通常、現代音楽の作曲家やそれに類する人達は、例えば、現代音楽作曲家のストラビンスキーのほとんど全ての作品やシェーンベルグの中期頃までの音楽作品は非常にシンプルにしか聴こえないと思われるからです。
落合氏自身もそうであったので、その作曲家の意見を聴き、、、。
それに、一般の者の耳は過去に聴いた音楽に似たものを見つけ良いと感じるらしく、、、。
それに対して、現代音楽家は、今まで聴いた事のない新しい音楽のテクスチャー等でクオリティが高いものに良さを感じる、、、。
処々については、いまだに疑問は止まらない所もある様です。
中略
一般的に軽音楽と純粋音楽の両方の要素を持つかもしれないJAZZについてですが、落合氏は米国にいることが多いので、考えはあるらしいのですが、疑問は止まらないようです。
はじめはJAZZの即興の自由さに憧れ処々を試み考え、勉強などもした様です。でも結局の所、JAZZの即興はそのパフォーマーの肉体的な訓練からくる癖等(得手不得手などからくる等)に大きくかかわっているという事です。
俗に言う、フリージャズにはいまだに非常に興味はある様ですが、、、。
あと、最後に、落合氏はジャズのミュージシャンには友達は多いらしいのですが、ニューヨークでよく聴く当たり前のスウィングリズムに日本では出会った事はない、、、と言われる事が非常に多いらしいのです。
落合氏も日本でもですが、ニューヨークにいる時に当たり前に感じるようなジャズを常に探しているという事です。
うーん、、、。
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