馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

能島城に登ってきました

2023-10-08 00:09:54 | 城攻め

2023年10月7日能島城に登ってきました。

能島城は続100名城の178番目、結構行きにくいお城の一つです。

かねてから能島城には登城したいけれども海の上ということもあり、足が向いておりませんでした。

しかし様々なサイトさんや体験記から能島城上陸&潮流クルーズのツアーがあることを知り、トライすることにしてみました。

能島城上陸&潮流クルーズはこちら。

 

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土日祝日に決行、大人一人2,500円とお手頃、しかも御城印付きと言えば、是非参加したいものです。

ただし集合場所は、【今治市村上水軍ミュージアム】となっており、同施設は瀬戸内海、愛媛県今治市北部の大島にあるのです。結構手強そうです( ;∀;)

調べてみると、福山市から高速バスが出ており、しまなみ街道を向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島と結んでくれていました。

この高速バスとローカルバスを使って、挑戦することにしました。

で、当日、朝7時10分新大阪発の新幹線に乗ります。早朝ですが三連休初日で混んでいます。

それでもJR福山駅に8時13分着。

先日登城できなかった福山城に後ろ髪を引かれながら、荷物をコインロッカーに預け、バスターミナルを探します。

何故か「鋼の錬金術師」アルフォンス・エルリックの鎧の頭が展示してありました。

詳しくはこちらをどうぞ。

 

「ハガレン」アルの鎧を本物の鋼で作ってみた!?お値段165,000円(税込)、頭部の重さ11kg - アニメ情報サイトにじめん

TVアニメ「鋼の錬金術師FULLMETALALCHEMIST(ハガレン)」のアルフォンス・エルリック(通称・アル)の鎧が本物の鋼且つ1/1スケールで完全再現され、この度商品化が決定しま...

にじめん

 

福山の会社さんが手掛けているそうです。お値段はそれなりにしますので、入手したい方は等価交換でお願いします。

 

閑話休題、私は福山駅南側3番9時発の高速バスに乗って、出発です。このバスもほぼ満員でした。

10時11分、伯方島バス停に到着です、予定より10分遅れ。2,200円でした。

続いて瀬戸内海交通さん。同バス停から10時25分発のバスに乗って、大島営業所を目指します。

10分で大島営業所に到着。180円でした。

ここから村上水軍ミュージアムまでバスが出ているのですが、時間が空くので大島の島内を歩いてみました。

宮窪地区のマンホール、村上水軍が描かれています。

何やら地面に夢中の猫さん。

私に近づいてくれましたキタ━(゚∀゚)━!

おっといけません、1.6キロの道のりを歩かねば!猫ちゃん、また。

あ、防波堤の向こうに、何か見えますよ!!

アレは恐らく目的地の能島城址では?

もうすぐ水軍ミュージアムです。

物騒な名の村上海賊通り。

到着です!大島営業所から約20分でした。

結構立派な建物なんですね。

村上水軍の説明書きです。

村上元吉さんの像。能島城主にして村上水軍の長、村上武吉の嫡男。

織田家水軍と第一次木津川河口戦で活躍したそうですよ、ただし関ケ原の前哨戦では西軍として戦い、加藤嘉明の部下に負けて戦死しています。

村上武吉さんの像。

毛利元就の巌島の戦いから織田家との木津川河口の戦い、朝鮮半島出兵、関ケ原の戦いに参加しています。

村上景親の像。

武吉さんの次男で元吉さんの弟。

ミュージアムには小早船が展示されています。

これで鉄甲船と戦うとか恐過ぎですね。

ミュージアムの中に入るとジオラマがありました。

マンホールのカラー版まであるのです。

ミュージアムの入口の玄関マット。足で踏むには勿体ない感じ。

ううむ、11時45分に出港予定ですが、ミュージアムのどこにいけば良いのでしょうか。

ミュージアム内にも上陸ツアーのチラシがあったので読んでいると、出港15分前に【能島水軍】というレストランで受付を済ませて欲しいという記述があるのを見つけました。

慌ててミュージアムを出ると、目の前にレストラン能島水軍がありました。

店内にどうぞ、と招いてくれています。

受付係に氏名を申出て出港準備完了。

御城印をいただきました。100名城スタンプはミュージアムでGETです。

事前に説明を聞いてライフジャケット着用後船に乗込みます。

島内に上陸しますが飲料水もないので、気分が悪くなったらすぐに休んで下さいと注意を促されます。

参加者はざっと40名くらいでした。

では出発!!

ものの5分で能島です。波は穏やか、天気も晴朗です。

軽く一周してくれます、島の一部に社があるのですね。

島の全景。小高いところが昔の本丸です。

近づくと潮の流れが案外早いことに気づきます。

穴が見当たります、船を係留するピットとのことでした。

また離れて全体をパシャリ。

桟橋目指して、いざ上陸します。

石碑能島城址。これを見ると落ち着きます。

桟橋から社が見えます、そうです、鯛崎島として独立しているのです。

先ほどのピット跡が見えます。階段を登っているのですよ。

伯方・大島大橋が見えるのです。

眼が良いと、橋の向うからも能島が見えたりします。

帯曲輪だそうです。すぐに海側が崩れるので補強が大変だそうです。

潮流体験の船が入ってきました。

船を停めると、船体が強い流れで持っていかれるのが分かりました。

本丸!!

でも何もありません。地面を掘ると、食器や中国のお皿の破片が見つかるとガイドさんは仰っていました。

一部橋が崩れており、渡ることが不可能になっています。

鯛崎島方面からミュージアムのある南方を見てみました。

45分ほど島内を探索したら港へ帰ります。

お世話になった能島荒神丸です。

13時になりましたので、能島水軍でお昼をいただきます。

鯛のつけ麺としらす付きで850円。美味しいのです。

帰りのバスが来るまで村上水軍ミュージアムを見学します。ほとんど撮影禁止ですので要注意。

在りし日の能島と村上水軍。

3階の展望室から見えた能島城址。

こちらはミュージアムで求めた御城印。

水軍過所旗(通行書みたいなものです)、陣羽織、小早、焙烙玉、鎧と村上と来島の紋付きの華やかな一品。

では瀬戸内海の島々に別れを告げて、福山に戻ります。

今晩は福山に泊まって、福山城登城にリベンジを果たすつもりですが、如何に?

でわ!

コメント (2)
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京都探訪(京都霊山護国神社、粟田神社、三条京阪周辺)

2023-10-06 18:24:31 | 日記

2023年10月6日またも京都周辺を探訪してきました。

快晴で探索するにはちょうど良いので、京阪電車で祇園四条から三条界隈を歩いてきました。

 

①霊山歴史博物館・京都霊山護国神社

維新関連です、こんなところ。

京都霊山護国神社

祇園四条駅で下車。6番出口を外に上がると京都南座です。

東に向かうと八坂神社。人出が多いのです。

右に折れて南に向かって歩くこと10分、高台寺付近を更に東上します。

京都霊山護国神社が見えてきましたよ。

翠紅館という建物の跡です。

土佐藩武市半平太、長州藩井上馨、久坂玄瑞が集まったり、後に長州藩桂小五郎と久留米藩真木和泉がお話したりと、後の維新に関わる会合が行われた場所です。

数多くの志士たちの御霊が眠っているそうです。

維新の道と呼ばれる急な坂を登ると、霊山歴史館。

入口には軍装の徳川慶喜さん、龍馬さんがお出迎え。900円の入場料をお支払いして中に入りますよ。

中には様々な資料がありました。撮影しても良いのが以下三点の刀です。

龍馬を斬った男、桂早之介の刀で越前国住人兼則。

桂さんは小太刀の達人で京都見廻組の隊士。龍馬暗殺の近江屋事件に関わるも、鳥羽伏見の戦いで戦死したそうです。

続いて新選組副長土方歳三の大和守源秀國。

一般に土方の刀としては和泉守兼定が有名ですが、複数の刀を所有しているとされ、そのうちの一振りとされています。

最後に新選組局長近藤勇の阿州吉川六郎源祐芳。

近藤勇処刑後に近藤の下僕が持ち出したそうです。

これ以外は一切撮影禁止です。

他には木戸孝允や新撰組側の資料が豊富でしたよ。興味ある方は是非行ってみて下さいな。

資料見学後は京都霊山護国神社のお墓参りへ向かいました。

京都霊山護国神社の本殿です。先にお墓参りへ。

お墓参りには300円の入園(?)料が必要ですよ。

維新志士1,356柱の御霊と明治以降の対外戦争戦死者が眠っています。

志士たちのお墓については、以下の様な地図があります。どこに誰が眠っているのか丸わかりですよ。

こんな階段を登っていくのです。

すぐに海援隊と陸援隊の隊長たちのお姿が。

その奥に坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓がありました。左が坂本、右が中岡です。

一番奥が桂小五郎こと木戸孝允のお墓。

ご立派なお墓。

隣には奥さんの幾松こと木戸松子。一緒に葬ってあげればよいのに、と思ってしまうのです。

戻ってくる途中には、長州藩のトリックスターいや破壊神かな、高杉晋作が眠っています。本物のお墓は下関の東行庵にあるんですよ。

来島又兵衛、久坂玄瑞も仲良くご一緒です。

下に戻って本殿にお参りします。

お昼ごはんを食べに高台寺辺りまで戻ると、凄い人出です。

何故か着物の男女が多いのですが、足はブーツだったりスニーカーだったりサンダル。きっと外国人が着物レンタルしているんですね。

混んでてお話にならないので、高台寺、二寧坂近辺を脱出、八坂神社近くのカレーうどん屋さんにしました。

味味香さんです。

 

【公式】京のカレーうどん 味味香|だし文化の京都で愛され続ける京のカレーうどん味味香のサイト

京のカレーうどん味味香 1969年京都木屋町にて創業。味味香創業(現在は八坂神社南隣)より半世紀も愛され続ける京のカレーうどん

【公式】京のカレーうどん 味味香|だし文化の京都で愛され続ける京のカレーうどん味味香のサイト

 

角煮カレーうどんをお願いしました。ちと辛めでしたが美味しいのです、1,350円でした。

食べ終わって15時。次には刀鍛冶の聖地(?)粟田神社へ。

②粟田神社

粟田神社はこんなところ。

粟田神社

由緒は古く清和天皇の貞観18年、876年。名を取った粟田口派の刀鍛冶たちとその刀が有名ですね。

八坂神社を抜けて、北側の知恩院に沿ってしばらく歩いてから、青蓮院の先を右折すると粟田神社です。

八坂神社から歩いて10分も掛かりませんでした。

神社に入ってすぐ左に加治神社。

主祭神は加治の神様の天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、他に三条宗近や粟田口藤四郎の実在した鍛冶が祀られています。

左に見える絵馬には、刀剣ギャルズの熱い思いが日本語やタイ語(?)で綴れられていましたよ。

加治神社から失礼して上に登ります。

お手水。アヒルちゃんがたくさんいますね。

本殿が見えました。

お参りしてから宝物殿に入ります。撮影可です。

無銘の刀が飾ってありました。

③三条京阪周辺

粟田神社を後にして三条京阪駅方面に歩きます。とあるところに写真の様な石碑がありました。

この辺りはかつて青蓮院の境内で建物があったそうです。その中で龍馬とお龍が内々の結婚式を挙げたというのです。

信じるか信じないかはあなたと私次第、です。

もう少し歩くと地下鉄東西線の東山駅、そこを南下すると、一澤帆布工業さんのお店があります。

入ってみましたが、お値段が大分お高くなっておりまして、私ごときには買えそうもありません( ;∀;)

あのスキャンダル、骨肉の争いは終息したんでしょうねえ。

お店の中は賑わっておりました。

再び三条通を西へ。三条大橋を渡って少しのところに、池田屋の跡があるのです。

今は居酒屋はなの舞さんのお店になっていますよ。金曜の夕方ですので人通りが多いです。

その近くには、佐久間象山と大村益次郎が遭難した旨の石碑がありました。

高瀬川沿いです。京都にはいろいろありますねえ。

でわ、そろそろ失礼します、また。

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