中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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奥州街道(白河の道);第5回;2日目(3);関川寺館跡から妙閑寺へ

2017年07月28日 06時37分51秒 | 奥州街道

                             <妙閑寺の典座教訓の像>

  奥州街道(白河の道);第5回;2日目(3);関川寺館跡から妙閑寺へ
            (クラブツーリズム)
        2017年7月12日(水)~18日(木)

2日目;2017年7月13日(木) (つづき) 曇後雨

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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/69355517584d506cb77388a71da6c424

<ルート地図>

■白河宿

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白河詳細図

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<セブンイレブンで一休み>

■山木屋菓子店
 11時28分,山木屋菓子店に到着する.
 講師が,
 「…ここの饅頭が美味しいですよ…」
と私たちに紹介する.
 それほど広くはない店内は,たちまちの内に買い物をする同行者の長いキューができる.私は饅頭には興味がないので,講師にお断りしてから,山本菓子店前交差点のはす向かいにあるセブンイレブン白河天神町店へ向かう.

<山木屋菓子店>

セブンイレブン白河天神町店で休憩
 とにかく蒸し暑いのには閉口する.
 早速,涼しいセブンイレブンの店内に入る.直ぐに目に付いたのがペットボトル入りの「はちみつレモン」.衝動買いをする.
 ところが私はうっかりキンキンに冷凍されているもの購入してしまう.えらく冷たくてカチカチに凍っているので,直ぐに飲むわけにはいかない.これにはマイッタナ.
 ”まあ,いいか…その内に溶けるサ…”
 私は手持ちの生ぬるい水道水を代わりに飲む.
 そうこうしている内に,無事饅頭を購入し終えた方々が,三々五々,セブンイレブンの方に移動してくる.
 ここで休憩中に,私は飲めないカチカチのペットボトルを自分のおでこや首筋に当てて涼をとる.
 
<セブンイレブン白河天神町店>                                  <冷凍のはちみつレモン>

■石畳の路
 11時34分,セブンイレブンでの休憩を終えて,街中を歩き出す.
 11時46分,白河郵便局の前に到着する.
 11時47分,右折して石畳の道に入る.ちょっとオシャレな雰囲気が漂っている.

<石畳の路>

<関川寺館跡から妙閑寺へ>

■関川寺館跡

 11時50分,関川寺館(かんせんじたて)跡に到着する.白河市役所の直ぐ近くである.
 資料1によると,「
関川寺館跡は現在の関川寺と白河市役所の位置にあった中世城館跡である。関川寺自体は中世には別の場所にあり、「白河風土記」によれば天正9年(19年の誤りか)、白河が会津領になった際に小峰城代を務めた関長門守により現在地に移されたとする。
 
現在関川寺の西側から北西部分に中世の城郭遺構である土塁と空堀が現存している。館跡の形態としては、文化5年(1808)の「奥州白河城下全図」の記載から、谷津田川の河岸段丘を利用した、東西に長い方形居館であったと判断される。規模については絵図からの推定値で東西約220メートル、南北約180メートルほどと推定される。
 
構形態や規模から、その始まりは鎌倉時代後期の白河結城氏の居城であった可能性が高く、残存する土塁が際立って高いことから、戦国時代の16世紀後半頃にも使用された可能性が考えられる。白河の中世史を解明する上で重要な城郭遺構である。」(以上コピペ).
 現地に少々古い案内板が立っている.
 余りよく読めないが,念のため撮影したのが下の写真である.
 この案内板に掲載されている地図で,付近のおよその感じを読み取ることができる.

<関川寺館跡>

■戦死者供養塔
 11時50分,戦死者供養塔に詣でる.
 ここは戊辰戦争白川口の戦いで戦死した奥羽越藩同盟軍の戦死者を供養したところのようである.


<戦死者供養塔>

<妙閑寺>

■妙閑寺山門
 11時51分,妙閑寺山門前に到着する.朱色の山門は印象的である.
 この山門はなかなかの任期である.参加者の大半が立ち止まってこの山門の写真を撮る.もちろん,私も…

<派手な色の山門>

■乙姫桜
 境内には有名な乙姫桜がある.
 山門近くに乙姫桜の案内板があるので,写真を撮る…が,見事にブレていて,殆ど解読できない.でもこんな醜い写真でも雰囲気ぐらいは分かるので,ここに収録することにしよう.
 ”それにしても,こんな出来損ないの写真を軽さするなんて…とんだ恥さらしだな…”
と綿井の体内に巣喰っているもう一人の私が,私にクレームを付ける.
 ”まあ,そう言いなさんなよ.こんな写真でも雰囲気ぐらいは分かるだろう…”
と私はもう一人の私に抗弁する.
 何れにしても,今は桜のオフシーズン,結果的にこの桜の写真は撮らなかった.

<乙姫桜の案内板>

結城宗広の墓
 境内を一周する.境内の山地に入り込む.そして,五輪塔など沢山の石塔が並んでいるところに到着する.
 近くにある案内板の記事によると結城宗広の墓があるらしい.案内板の文字は半ば消えかけていて判読しにくいが,どうやら彼は白河城の祖,祐広の子で,南北朝時代に活躍した人物らしい.後醍醐天皇の命で鎌倉幕府討伐に参加したとのこと.
 資料2には,「
当初は鎌倉幕府の忠実な家臣として陸奥国南部方面の政務を任された。鎌倉時代末期、の元弘元年(1331年)9月、元弘の乱に際して、北条高時の命によって畿内へ派遣された.
 元弘3年
(正慶2年、1333年)に後醍醐天皇から討幕の諭旨を受けると後醍醐天皇側に寝返って、新田義貞と共に鎌倉に攻め入り、幕府を滅ぼした。その功績により、後醍醐天皇から厚い信任を受けて北畠顕家が多賀城に入ると、諸郡奉行に任じられて共に奥州方面の統治を任された]。建武3年(1336年)、足利尊氏が京都に攻め入り一時支配下に置くと、顕家と共に軍を率いて足利軍を攻め、朝廷軍の京都奪還で大功を挙げた。
 九州
に逃れた尊氏が再起を果たして東上して来ると、顕家と共に足利軍と懸命に戦ったが、延元3年(曆応元年、1338年)に顕家が高師直と戦って敗死したために軍は壊滅し、宗広は命からがら後醍醐天皇がいる吉野へと逃れた。その後、宗広は南朝方再起のために、北畠親房と共に海路から奥州へ向かおうとしたが、海上で遭難して伊勢国安濃津で立往生し、間もなく同地で発病して病死した.」(以上コピペ,一部省略). 


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■本堂
 境内山地を一回りして,11時50分,本堂前に降りる.日蓮宗の寺である.
 荘厳な感じがする大きな本堂である.
 資料3によると.「白河藩主松平大和守家(入封:1692~1742)の位牌所を祀っていた永寿寺が大和守家の転封にともなって姫路へと去った後、その跡地に留まった永寿寺の僧が創建したと伝えられます。 明治初年に火災に遭い、記録などを失ったため、詳しい事は分かっていません。 」とのこと(コピペ).

<妙閑寺本堂>

■典座教訓の像
 本堂近くに典座教訓の像がある(冒頭の写真).
 近くにこの像の説明が刻字された石の案内板がおかれている.この案内板の記事によると.道元が中国の天童寺で修行をしたときに老典座から教えを受けたというようなことがかいてある.

<典座教訓の像> 

<白河市役所へ>

■棚倉藩小池理八供養碑(関川寺)
 11時57分,関川寺跡にある棚倉藩小池理八供養碑の前を通過する.
 近くに立っている案内板の文章によると,小池理八は白川口の戦いで足に重傷を負って,自決した人物のようである(下の写真参照).


<棚倉藩小池理八供養碑>

■白河市役所
 11時59分,白河市役所前に到着する.
 ここで,専用バスが,私たちの到着を待っている.直ぐに専用バスに乗車する.
 12時01分,私たちを乗せた専用バスは,これから昼食を摂る「新駒本店」に向けて発車する.

<白河市役所>

<新駒本店で昼食>

■新駒本店に到着
 専用バスは,先ほど私たちが歩いてきた道を逆戻りする方向に走って,12時13分,新駒本店に到着する.
 ここはご当地では有名なそば屋らしくて,なかなか立派な構えの店である.
 添乗員に誘導されて,お店に入る.またもや要領の悪い私は随分と後ろの方からお店に入る.誘導されるままに,空いている席に座る.
 この奥州街道の旅もまだ5回…といっても今回が最終回.まだ5回程度ではお互いに本当のお馴染みさんにはなれない.何となく顔を覚え始めたところで,この旅も終わりである.その意味でも,全員一緒に食事をするのも,この昼食が最後である.


<新駒本店に到着>

■豪勢な蕎麦
 少々待たされた時間が長いなと思ったが,出てきた蕎麦を見てビックリする.
 蕎麦が5段重ねの器に盛られている.ネーベンも天ぷら,茗荷とネギ,納豆など5種類5段重ねである.それにお新香,デザート付きである.
 蕎麦一段ごとに,それぞれ違った添え物を乗せて賞味するという嗜好である.蕎麦は適当なこしがあって中々美味しい.
 ”毎食,こんなに贅沢をしていて良いんだろうか…”
と思いながら,美味しく頂戴する.
 5段重ねの蕎麦はさすがに量が多すぎる.もちろん残すのは勿体ないので全部食べてしまうが,
 ”もう,だめ…!”
という感じである.
 でも,蕎麦湯は別腹.蕎麦湯を何杯もお代わりして,結局,タレを全部飲んでしまった計算になる.
 ”塩分,ちょっと撮りすぎたかな…”
と少々気になる.

<新駒本店の蕎麦>

資料1;http://www.city.shirakawa.fukushima.jp/sp/page/page001775.html
資料2;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%9F%8E%E5%AE%97%E5%BA%83
                                      (つづく)
つづきの記事
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「奥州街道」の索引
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