中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第14回);第2日目(3);梓河内を行く

2012年10月09日 05時40分07秒 | 中山道六十九宿

<柏原一里塚付近の松並木を行く>

  歩いて巡る中山道六十九宿(第14回);第2日目(3);梓河内を行く
           (五十三次洛遊会)

    2012年9月15日(土)~17日(月・敬老の日)

第2日目;2012年9月16日(日) (つづき)

<柏原宿地図>

■柏原宿周辺地図
(再掲)




<緑陰の旧街道>

■小川の関所
 9時43分,歩道道路から右側に分岐する砂利道に入る.この砂利道が本来の中山道である.
 砂利道に入ると直ぐに「小川の関」という案内板が立っている.それほど古い案内板ではないが,文字が半分消えかかっていて,大変読みにくい.我慢しながら読んでみると,継ぎのようなことが書いてある(■は判読できない).
 「坂田郡志■■■毛利の守り■関屋(関所の施設■現存しないと書かれ,大字柏原小字小■河内小黒谷大字梓河内小字小■に辺りに■定,小川,古川,椿川または横川の■北せし地名としている.一面どこも植林され,あるいは原野となっているが,戦時中は食料増産のため開墾,■となっていたところである.したがって,往時を偲ぶよすがもないが,古道の山側には整然と区画された屋敷跡,(■跡)を■認することができる」
 案内板を読んでも,結局,何のことか良く分からない.要するに,昔,この辺りに小川の関所があったらしいが,今は殆ど痕跡もの持っていないと言うことだろう.

<舗装道路から旧道に入る>

■柏原宿枝郷長沢の石碑
 旧道に入って直ぐの所に「歴史街道柏原宿枝郷長沢」と白い字が彫ってある石碑が置かれている.その後ろにはかなり古そうな石杭が立っている.石杭には小川関跡と刻字されている.

<小川の関所跡>

■杉林の中の古道
 石碑を過ぎると,古道は鬱蒼とした杉林に続いている.なだらかな登り坂である.路面には,微かに轍が付いているが,夏草が繁茂している.鳥の鳴き声もなく静まり返っている.
 私達は野趣豊かな古道をノンビリと歩き続ける.

<緑陰の旧街道>

■再び舗装道路に合流
 9時51分,再び舗装道路と合流する.合流点には「歴史街道旗本西郷氏領梓河内村(東地先)」と刻字してある案内柱が立っている.

<再び舗装道路に合流する>

<梓の松並木>

■石仏群
 舗装道路に出てから2分ほど歩いて,9時53分に石仏群が安置されているお堂に到着する.小さなお堂に沢山の石仏が安置されている.

<お堂の中の石仏群>

■中山道の碑
 9時54分,中山道の碑に到着する.ここから左に行けば東山道横河駅跡,右に行けば江戸後期大和郡山領に通じているようである.

<中山道の碑>

■花いっぱいのまち
 9時55分,「米原市梓区花いっぱいのまち国道景観事業」と墨書された木製の案内板を見付ける.
 事業内容は全く分からないが「花いっぱい」とは羨ましい限りである.

<「花いっぱい」の案内板>

■慈圓寺
 9時56分,慈圓寺の前を通過する.参道の奥に立派な本堂が見えている.ここは真宗大谷派の寺院で,山号は歓喜山.
 この寺の由来などは,手許にある資料では不明.


<慈圓寺>

■八王子神社
 小川沿いの道を歩く.やがて静か集落に入る.梓というところである.
 9時59分,八王子神社に到着する.大きな石柱に八王子神社と書いてある.道路からは神社の建物は見えない.
 手許の資料では,この神社の由来などは良く分からない.そのまま通過する.
 やがて,進行方向左手に,突然,立派で大きな建物が見えてくる.この建物は一体何だろうと訝る.間もなくこの建物がある種のホテルだと分かる(有り体に言えば連れ込みホテル).中山道には何となく似つかわしくないなと思いながら,建物の前を通過する.

<八王子神社参道>

■推定横川の駅家道
 10時を過ぎた頃,私達は小川沿いの静かな道を歩いている.
 道端に案内板が立っている.案内板には「推定横川の駅家跡」と題して,継ぎのような説明が書かれている.
 「古代律令国家は,畿内から全国に,東海道,東山道,北陸道,山陰道,山陽道,南海道,西街道の七道と,30里(約16km)ごとに駅家を設けました.近江の東山道には勢多(大津市),篠原(野洲市),清水(東近江市),鳥籠(彦根市)と横川(米原市)に駅屋が置かれました.米原市内にあった横川駅の位置は,醒井と梓河内の二説があり,梓河内には小字「馬屋ノ宿」「馬屋ノ谷目」や,横川に略称とされる「小川」などの地名があることから,古代東山道の横川の駅家跡と推定されています.」
 この案内板の記事を読んだ私の感想は「結局,横川の駅家」って,どこなの?である.

<横川の駅道らしいところを行く>

■中山道松並木
 10時06分,中山道松並木という樺が掲げられている家屋の前を通過する.
 長閑な雰囲気の道は,大きな建物に突き当たって終わりになる.建物の敷地に沿って道なりに歩くと,道幅がとても広い自動車道に突き当たる.国道21号線である.この建物もある種のホテルである.

<中山道松並木の看板>

中山道道標
 半ばウンザリしながら自動車道を歩く.
 10時14分,車道と歩道の間に「中山道」と大書した案内板の脇を通過する.この案内板の少し先で右折して旧道に入る.途端に自動車の騒音が聞こえなくなり閑静な雰囲気になる.

<中山道道標>

■八幡社
 10時12分,八幡社に到着する.立派な鳥居の奥に社殿が見えている.
 軽く会釈をして通過する.

<八幡社>

■一色の一里塚跡
 10時21分,一色の一里塚跡を通過する.石碑があるだけで,往時を偲ぶものは何もない.江戸日本橋から116里目の一里塚である.

<一色の一里塚跡>
                                   (つづく)

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://travel.biglobe.ne.jp/tguide/spot/s11397.html
資料6;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E5%85%B7%E8%A1%8C

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/cb0ef93c8ab532e87dfd17b6693eb9c5
「中山道六十九宿」の次回の記事

http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b5700d7929b9a43d172912bbc22a88b5



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