
<源義家旗立の松:元八幡>
鎌倉:大町・材木座の古刹・史跡を一回り(2)
(単独散策)
2009年3月17日(火)
<地図は前回の記事を参照>
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/dd4260f5aca31ca05a4a241ab87894c5
(つづき)
■安養院から近くのコンビニへ
12時42分に上行寺を出発する.上行寺の境内に沿って,路地を南に歩きたかったが,丁度この時,メモ用のボールペンが書けなくなった.迂闊にも,代替のボールペンを持参していない.何時も必ずバックアップのボールペンを持っているのに,今日は油断した.
<上行寺の龍:左甚五郎作>
仕方がない.安養院の先にあるコンビニに立ち寄って,ボールペンを買うしかない.
横断歩道はないが,ひとり旅だから「まあいいか」で,車の合間を見て,国道134号線を横断する.そして,すぐに祇園山安養院田代寺(通称:安養院)の前に到着する.開山は良弁尊観.開基は北条政子.ちなみに安養院は北条政子の法名である.
ここは参観料が必要である.ケチな私は,参観料が惜しいので敬遠する・・・のではなく,つい数日前,ここを訪れたばかりだから,今日は割愛する.
12時45分,次の信号の手前にあるコンビニに到着する.ここで,1本105円也のボールペンを購入し,ついでに,5分ほど店内を見て歩く.
<安養院>
■本興寺
12時50分,コンビニを出る.再び上行寺まで戻る.上行寺境内の東側の路地に入る.狭い路地で道路工事をしている.私は恐縮しながら,工事現場の脇を通り過ぎる.最初の三叉路を右折する.路地の道幅はますます狭くなる.そして,夷堂橋から南下するバス通りに出る.
左折してバス通りを南に歩く.人通りは殆どないが,ときどき自動車が通過する.狭い道なので,自動車が通るたびに緊張する.
12時57分,法華山本興寺に到着する.ここは観光寺ではないので,境内には全く人気がない.気の小さい私は,そっと境内に入って,おずおずと写真を撮る.本興寺は,1336年(建武3年,延元元年),天目上人によって開基された,ここに「日蓮辻説法碑」が建てられているが,難しい漢字が苦手な私には,全く読めない.
<本興寺>
<日蓮辻説法碑>
■辻ノ薬師堂
道路の反対側に渡る.南へほんの少々歩くと,横須賀線の踏切になる.その踏切のすぐ手前に辻ノ薬師堂がある.一見,何の変哲もない小さなお堂である.
724~729年頃(神亀年間),染谷太郎時忠が名越に長善寺を創建した.この長善寺がここに移され,薬師堂だけが残った.道内には薬師如来像,日光,月光の両脇侍像,十二神像が安置されているという(小林,1994,pp.109-110).残念ながら非公開である.
私は,なぜか分からないが,この「辻ノ薬師堂」という素敵な名前にとても惹かれてしまう.なお,ご本尊の薬師如来像は,平安時代の作だというから,ますます凄いなと思う.
<辻ノ薬師堂>
■石清水の井
横須賀線の下り電車が踏切を通過する.私は遮断機が上がるのを待って,踏切を渡る.私の直ぐ前を,若い二人連れの観光客が,カメラを片手に,案内書を見ながら,踏切を渡る.この辺りの勝手が分からないらしくて,しきりに首をひねっている.私は,踏切脇の路地を右折して,元鶴岡八幡宮(略称:元八幡)をお参りしようと思っている.
このお二人に元八幡を紹介しようかと思ったが,何だか「余計なお世話だよ」と言われたらイヤだなと思って,迷っているお二人を無視する.
路地に入る.すぐに「石清水の井」がある.残念ながら私の手許にある資料では,この石清水ノ井の曰く因縁は分からない.ここを訪れるたびに,何時かきっと調べようと思うのだが,まだ調べが付いていない.
<石清水の井>
■元鶴岡八幡宮
閑静な住宅地の中の路地を奥へ進む.すると直ぐに向かって右手に元鶴岡八幡宮(元八幡)が見えてくる.そして,13時01分,元八幡に到着する.境内は静まりかえっている.それほど大きな神社ではないが,立派である.境内には誰も居ない.
ここは国指定史跡である.前九年の役(1051~1062年)のとき,相模守源頼義は石清水八幡宮に戦勝祈願して奥州に下向,凱旋してから石清水八幡宮の祭神を勧請した.その後,1180年,源頼朝が社殿を小林郷松ヶ岡に移した.それ以来,ここは元八幡あるいは由比若宮と呼ばれるようになった(小林,1994,p.118).
私は,暫くの間,境内の静かな雰囲気に浸ったままでいた.
<元鶴岡八幡宮>
■啓運寺
ふたたび,往路を戻ってバス通りに出る.そして,引き続き南へ向かう.
13時05分,水道道を横断する.そして,13時06分,松光山啓運寺に到着する.日蓮宗の寺である.元は京都本国寺の末寺であった.開山は啓運日澄.1483年(文明15年),松葉ヶ谷に創建,その後,当地に移された.本堂には本尊の曼陀羅,日蓮上人読経像,木像舟守稲荷が安置されている.舟守稲荷は海難除けの守護神である(小林,1994,p.117;鎌倉市史編纂委員会,1959,p.445).
<啓運寺>
■妙長寺
13時07分,バス通りの反対側にある海潮山妙長寺に到着する.元は妙本寺の末寺である.開山は日実と伝えられる(鎌倉市史編纂委員会,1959,p.454).
山門の真ん中に「見学お断り」と書いた案内板が置かれている.境内には入れないので,山門から本堂の写真を撮る.立派なお寺である.1299年(正安元年),日実上人が創建(小林,1994,p.118).
境内が参観できないのでは仕方がない.早々に立ち去る.
<妙長寺>
■乱橋
道路を挟んで反対側に,鎌倉青年団が建てた乱橋の石碑が建っている.道路の反対側から,この石碑の写真を撮ろうとする.丁度そのとき,石碑の前を通過しようとしていた買い物帰りの主婦が,私が写真を撮ろうとしているのに気が付いて,「すみません」と立ち止まる.私は,「どうぞ,どうぞ・・」といって,先に通り過ぎて貰う.
乱橋は,道路と一体に舗装されているので,余程,気を付けていないと見過ごしてしまいそうになる小さな橋である.
新田義貞が鎌倉に攻め入ったときに,幕府の防衛線が,この辺りで乱れてしまった.この史実から,乱橋という名前が付いたと言われている.
<乱橋>
■向福寺
13時10分,円龍山向福寺の前を通過する.この寺は,藤沢山浄光明寺(遊行寺)の末寺である.1282年(弘安5年)創建.開山は一向上人.ご本尊は阿弥陀三尊像で南北朝時代の作だといわれている(鎌倉商工会議所,2007,p.101).
境内入口から写真を一枚撮っただけで通過する.
■五所神社
バス道路から左折する.住宅地の中の路地を進む.路地の四つ角を渡って突き当たるまで歩く.そして,13時14分,五所神社に到着する.後に山を背負った閑静な所である.石段を何段か登って,境内に入る.
1908年(明治41年),鎌倉町内の八雲神社,三島神社,諏訪神社,金比羅社,視女(みるめ)八坂神社を合祀した(小林,1994,p.117).
石段下の社務所は,一般の民家風である.参道に面した引き戸が開け放たれていて,春の陽ざしが部屋の中まで射し込んでいる.
道路を挟んで社務所の反対側の植え込みの中で,近所の飼い猫が,気持ち良さそうに香箱を作っている.猫に近寄って,写真を撮るが,人馴れのしている猫は微動もしない.
<五所神社>
<五所神社のノンビリねこ>
■来迎寺
再び往路を辿って,四つ角まで戻る.ここを右折すると,直ぐに随我山来迎寺だが,今日は時間が押してきたので,来迎寺を訪れるのは諦める.来迎寺は,遊行寺の末寺である.この寺の前身は,源頼朝が三浦大介義明の菩提を弔うために,1194年(研究5年)に建立した真言宗の寺,能蔵寺である.その後,開山の音阿が時宗に帰依してから改宗,来迎寺となった.
もう,ここ2年ほど,私は,この寺を訪れていない.寺の裏手にあった三浦一族ゆかりの五輪塔群は,今もちゃんと残っているか,この眼で確かめたかったが,今日の所は諦める.
■実相寺
四つ角を左折して,ほんの少し南に下って,13時18分に,五所神社の南にある弘延山実(正式には「實」)相寺に到着する.ここは曾我兄弟の仇討ちで討たれた工藤祐経の屋敷跡だといわれている.工藤祐経の娘が,この寺を開山した日照の母親だという.
1284年(弘安7年),法華堂を寺にして,法華寺と称したのが,実相寺の始まりだといわれる(鎌倉商工会議所,2007,p.104).
墓地の奥の石段を登ると日昭の御廟がある.寺の裏手に廻って,墓地まで行ってみる.でも,墓地に入るのが,何となく気後れがして,そのまま引き返す.
<実相寺>
■向福寺
実相寺の前の路地を西に向かう.そして,再びバス通りに出る.四つ角のすぐ側にある円龍山向福寺に立ち寄る.ここも藤沢の遊行寺の末寺である.時宗の寺.1282年(弘安5年)に創建.開山は一向上人.ご本尊は間三尊像.南北朝時代の作だといわれている(鎌倉商工会議所,2007,p.101).
境内入口から,本堂を覗いただけで,先を急ぐ.
<向福寺>
■九品寺
往来する自動車が煩いが,バス通りを南へ進む.そして,13時32分に内裏山九品寺(たいりさんくほんじ)に到着する.新田義貞が1336年(建武3年・延元元年)に創建した寺である.風航順西(ふうこうじゅんさい)が開山.
私は,今日中に,是非とも本覚寺から住吉城趾付近まで一回りしたかった.そこで,度々,訪れている九品寺は境内を一巡しただけで済ませ,再びバス通りに出る.
<九品寺>
(つづき)
[参考文献]
鎌倉市史編纂委員会(編),1959『鎌倉市史社寺編』吉川弘文館
鎌倉商工会議所(編),2007『鎌倉観光文化検定公式テキストブック』かまくら書房
小林伸男,1996『神奈川ぶらりーウオーキング鎌倉・江ノ島・藤沢編』神奈川図書
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/dd4260f5aca31ca05a4a241ab87894c5
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b61c4045b00cf9213357fa12b79aa08e