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シナリオを考えること_3

2024-11-04 17:41:40 | ゲーム

前回の投稿で①結末 ②世界観 ③過去 ④テーマを決めることが重要だと書いた。考えることはまだ必要だ。今回はシナリオの構成について記述したい。まずシナリオの構成はよく言われる起承転結に区切って分けると作りやすい。

「起」は物語の導入から序盤の一山を終えるまで。通し30時間程度のプレイ時間であれば4.5時間程度がここにあたるかと。ここでは世界観であったり主人公の旅立ちとなる理由付けをプレイヤーに落とし込むシナリオを考える。また初期の仲間キャラがINするのもこのタイミングだ。物語としては大きな動きはなく退屈なシーンが多くなりがちである。この時点で退屈を押し切ってでも ぬるい展開とするのか、序盤から波乱の展開を見せるのかは作り手次第ではあるが、小難しい情報を張り巡らせてもプレイヤーが置いてけぼりになるので、無難に世界観と主人公キャラをプレイヤーに知ってもらう程度で済ましておけばよい。ただしこの時点でラストにおける伏線を張っておくと非常にgoodである。とは言えども「起」の終盤シーンではある程度含みを持たせたイベントを作った方が良い。序盤からパーティーINしていたお世話役のキャラの離脱であったり、故郷を追われる等。もう後戻りできないと思わせる何かである。「show mast go on」の感覚を植え付けさせることだ。

「承」で前半部を終わらせるイメージだ。15/30時間程度となるボリューム感か。ここのパートではとにかく色々なことを巻き起こすことが大事。敵勢力の刺客を出すとか、物語の根幹とも言える不可思議なイベントを提起するであったり、主人公キャラのライバルの出現等。このパートではプレイヤーへの情報過多と言っても良いほどの謎めいた何かをばらまくことである。ただし無作為にイベントをまき散らすと、これもプレイヤーが置いてけぼりになる。だからこそ「起」の段階で退屈ながらでもシナリオに紐づく世界観の落とし込みが必要なのだ。「この世界観の中でなぜこんなことが巻き起こっているのだろうか?」とプレイヤーに思わせたら成功である。極端な言い方かかもしれないが伏線を張りまくる、という言い方だと わかりやすいかもしれない。またこの辺りで仲間キャラのほぼ全てをINさせることも重要だ。これ以上遅くなってしまうとキャラクターへの愛着が湧かなくなってしまう上に、仲間キャラ自体がシナリオと紐づく個別ストーリーも入れ込むべきパートであるからだ。もちろん この後に続くパートで仲間キャラをINさせても良いが、この手法はどちらかというとストーリーの盛り上げに使うための演出という見方が強い。仲間キャラにも相応のシナリオを用意するなら早めにINさせるべきだろう。そして「承」の終盤となるシーンでは物語の根幹を揺るがすようなイベントを作るべきだ。FF6で言うと魔大陸→世界崩壊であったり、DQ6でいう目下のラスボス的な立ち位置のムドーとの対決など。ここの激震っぷりが「転」の出来につながると言っても過言ではない。

そして「転」である。ここをキュッと絞って、ラストの「結」でボリュームを手厚くするか、逆に「転」である程度厚くさせ、「結」でラストを飾らせるか。ここは作り手の好みによるところが大きい。全体的な演出を考え適切な手法にすればよいが、個人的には「転」を厚くさせる方が好きなので それで述べる。いずれにしても「転」はシナリオ上で一番重要な役割を担っていると考えている。ここで盛り上がらなければ駄作。23/30時間程度要すれば良いと思うが、どのような演出を施すかはしっかり考えて欲しい。「転」という位だから事態が一転するのである。例えば主人公キャラの長期離脱であったり、仲間キャラの一時的解散、作戦失敗など。手っ取り早いのは見方サイドを一旦どん底に突き落とす仕掛けが良い。FF7でいうクラウドの精神崩壊などがわかり易いか。ゲームではないが大河ドラマ「鎌倉殿の13人」なんかはこの辺りから謀殺や仲間の反乱などが頻発しパワーゲームが目まぐるしく繰り広げられ、主役が闇落ちするという、手に汗握る展開がみられた。もちろんここまでプロの脚本チックなものは難しいが良い見本となるだろう。興味があれば見て欲しい。いずれにしても絶望→希望という流れを汲むことが肝要であり、その他にも物語の根幹となる謎をある程度解明させるという張った伏線の回収も徐々に行っていかなければならない。また上述した「転」で最重要仲間キャラINさせるという手法も悪くない。敵キャラであったりライバルとの決着をつけるなど、この辺のことをこなしていくと盛り上がること請け合いだろう。本当にやることが多くて忙しいのだ。

最後は「結」である。言わずもがな ここで物語の結末を迎える。30時間の作品であれば、ラスダン前哨戦→ラスダン→ラスボスが良いだろう。プレイ時間が長い作品であればイベント数が増加するかもしれないが、ここでガチャガチャさせてもしょうがない。とにかく伏線を全て回収させることに集中し、構想時に考えた結末にシナリオを誘導させるだけである。これまで張り巡らせた伏線を綺麗に回収させた暁には作り手もプレイヤーも圧巻の一言であろう。ぜひ目指してほしい。

ここまでを読み返してみて、自分自身でも当たり前のことばかり書いているなと思うが やはり基本は大事だと思う。参考にしてもらえると嬉しい。ちなみに以下は補足となる。もう少々付き合い願いたい。

上述でも簡単に伏線 伏線と言っているが張り方も回収も存外難しいものだ。明らかな匂わせ伏線の乱発はプレイヤーのうんざりを誘発する。仲間キャラの(まさか…)とか(考えすぎか…)などは作るだけ無駄である。個人的に思う美しい伏線というのは、あたかもプレイヤーに当たり前と思わせていたことが違っていた。ということだったりする。ミスリードという表現が正しいかは わからないがそういったニュアンスである。「Ever17」というアドベンチャー作品があるが、まさにこのゲームこそが伏線のお手本のようなゲームであった。興味があればプレイして欲しい。伏線を伏線と思わせない仕掛けが必要なのである。
また伏線回収もこれまた難しい。回収した時点でプレイヤーに「あっ!」と思わせないといけないのである。プレイヤーが伏線回収だと気付かずにスルーされてしまったとあっては泣けてくるだろう。伏線を仕掛けた時点で何気なくプレイヤーに記憶させることが必要である。

ではどの時点から回収を始めればよいか?小さな伏線であれば「承」の時点から少しずつ回収すれば良いだろう。しかし物語の根幹となる大きな事実の判明は「転」であると考える。「結」でも良いが個人的に「結」は結末なので回収するパートでふさわしいかと言われるとちょっと違う気がする。しかし「転」の時点で全ての回収をしてしまうと「結」はラスボス戦だけとなってしまうので、「転」の時点で、ほぼある程度の謎が解明されたが、最も重要な謎は残しておく。「結」でそれを回収するのが理想的かと考える。

最後にラスボスはどの段階で登場させるべきか、である。これについてはこうした方が良い。というセオリーはないと思うが、極端な場所での出現は避けた方が良い。例えば序盤から因縁の敵として出した場合、目標が最初から定まっている為主人公達の行動原理は設定しやすいが、驚きの展開を演出させるには少々無理がある。逆に終盤に出す場合、因縁めいたものは希薄になるし何かとご都合主義と思われやすい。やはり中盤あたりから黒幕と思われる存在を匂わし徐々に現していくのが無難かと思われる。序盤から見方サイドのキャラクターと見せかけて最後に実はラスボスでしたというのも手法としては珍しくないが工夫して伏線を仕掛けていかなければ「あー…やっぱり」と思われてしまい興ざめしてしまうので注意だ。ただしラスボスの存在意義について個人的に考えるのは、無理してプレイヤーに衝撃を与える必要性はないということ。そういった衝撃な事実などはシナリオ自体で構成できるよう取り組めば良い。ラスボスが事前にある程度予測されても良いではないか。大事なのは「なぜ そこにラスボスとして君臨しているか」この理由さえ明確となっていれば、後はラスボスらしいバトル演出を行えば良いと思う。

以上だ。ここまででシナリオについて3つのパートに分割して投稿したが、読んでいただいて方はわかると思うが、ツクールのソフトを使わずに出来る作業である。いよいよ次回はこのシナリオをイベントに落とし込み消化していく作業になる。つづく。
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シナリオを考えること_2

2024-10-08 08:38:28 | ゲーム

前回はシナリオについて書こうと思ったが脱線に脱線し結局のところ「歴史を学べ」という結論で終わってしまった。実際のところコレに尽きるのだがそれでは身も蓋もないので嚙み砕いていこう。偉そうなことは言えないが、一つのゲームを作り終えた人間として伝えられることは伝えておきたい。

作る前に決めることがいくつかある。①結末 ②世界観 ③過去 ④テーマ が少なくとも必要かと思う。

①結末・・・ゲームのエンディングである。世界(物語の舞台)が平和になるのか破滅するのか。主人公は英雄となるのか、旅に出るのか、死ぬ(消滅する)のか。もちろん これらの結末が全てではなく色々な物語の終え方はあるだろう。自分自身がどのような終わり方が一番達成感があるか、まずはそこに注視すれば良いと思う。無難なのはやはりハッピーエンドだ。プレイヤー自身も悪い気はしないしエンディングまでたどり着いたご褒美として最も相応しいラストであろう。しかし個人的には単なるハッピーエンドは好きではない。何故なら単純につまらないからだ。エンディングに至るまでに主人公が想像を絶するほどの苦労・苦痛・絶望を味わせないとハッピーエンドの美しさが際立たないと考えている。例えば 「FF9」、「幻想水滸伝2」、「シュタインズゲート」。この辺りが個人的に絶賛したいハッピーエンドであった。(もちろん他の名作も多々あるがキリがないので)どの作品も主人公に定められた宿命や逆境が物語の随所に散りばめられ、苦難を乗り越えられた末に手に入れたハッピーエンドであった。ここまでの逆境シナリオを自分自身で作り上げるのは理不尽だと刷り込ませるシーンを複数用意しなければならないので精神的にしんどいところもあるだろう。ハッピーエンドの質を上げるにもちゃんとした下地が必要だということだ。ではバッドエンドにすれば良いか?これは愚問と言わざるを得ない程にNGだ。何をバッドエンドと定義するかにもよるが そもそもバッドエンドであった作品の大概は続編があり、続編でスッキリさせるという建付けが一般だ。単発作品でバッドエンドという作品はちょっと思いつかない。何よりも夢も希望もない、悲しさだけのエンディングなんてのは胸糞が悪いだけである。実は一番しっくりくるエンディングは大団円とも言えずとも後味も悪くない「ベターエンド」なのかもしれない。犠牲は大きいが得るものも大きかったというエンディングはプレイヤーの気持ちの落としどころとしてもしっくり来るだろう。また、ちょっと違う切り口で言えば、「これでよかったのだろうかエンド」も個人的には嫌いじゃない。主人公キャラの正義が勝利を勝ち取るが、果たしてそれは絶対に正しい正義なのか…という含みを持たせるものだ。これを代表させる作品は「ブレスオブファイア3&4」である。この作品は思想や哲学に訴えるような側面が強い。だがしかしコレは諸刃の剣である。作者は何を伝えたかったの?とか結局は投げっぱなしかよ。とか、しっくりこない。等の批評はあるものと考えておいた方が良いだろう。余程説得力のある物語を作らないとプレイヤーに伝わらない。素人が手を出す手法ではないかもしれない。・・・とまあ色々と結論は出せていないが、やはりハッピーエンドを前提にどのようなハッピーにするかを最優先で考えるのが一番宜しいかと思う。

②世界観・・・世界観を統一させることは当たり前のことだが重要である。ペルソナシリーズのように現実社会に近い世界観にするのか。剣と魔法のファンタジーなのか、中世を連想させる王国主義なのか。亜人種(モンスター)を討伐する世界観なのか、人間対人間の国同士の戦いがメインなのか。考えれば考える程 色々なイメージが湧くだろう。それで良い。想像を膨らまして固めていくものである。問題は世界観のちぐはぐを極力なくすことだ。例えば特殊能力(所謂 魔法)。この概念はゲームでは至極一般的だ。ただコレが厄介なのである。ファンタジーの世界観であれば魔法という概念はなんの違和感もないが、現実社会に近い世界や、スチームパンクな世界で当たり前のように魔法が扱えてしまうのは少々力技すぎる気がする。何故、この世界で特殊能力が使えるのか、という前提部分の理由付けは必要だ。ペルソナであれば「影の世界」という現実社会と逸脱した異空間がありその舞台で特殊能力が使える。であったり、FF7のようにマテリアという特殊な物質を媒介として武具に装着させることで特殊能力が使えるという理由付けである。プレイヤーが感じる世界観の違和感をクリアにする理屈は必要だ。もちろん どの作品においてもなぜを繰り返せば違和感だらけなのだが、少なくともなぜ・なぜの2回分くらいにの掘り下げには答えられる理屈はあった方がいい。特殊能力に限らず世界観の統一にはいずれにしても必要な検討事項だろう。

③過去・・・シナリオの本編の前に起きた出来事(過去の物語)を最初の時点である程度想定しておいた方が良い。前回の記事でも記述したように良いシナリオとは過去の物語がしっかりしている方が厚みを増す。過去の物語を本編で少しずつ小出しにしていくことで本編の真相が紐解かれる、なんて言う手法は良いゲームのセオリーだ。この辺をある程度固めておけばラスボスを誰にするか、ラスボスの使命というところも無理なく収まっていくかと思われる。理想を言えば自分自身の構想の中で過去の物語で1作品のゲームが作れるな、という程度まで練られると満点だ。とは言えそこまで念入りにやってしまうと本編が手つかずの本末転倒となってしまうため、そこまではやらなくても良い。しかし最低限過去の物語も含めた本編エンディングまでを通した時系列の出来事(年表)は作った方が作っていく中で齟齬は出ないだろう。

④テーマ・・・シナリオを通してプレイヤーに訴えかけるテーマがあった方が良い。なくても良いが、あった方がキャラクターのセリフや動きに躍動感が出るような気がするしシナリオもブレない。「恋愛」であったり「家族愛」「友情」「復讐」「自分自身の存在意義」「命の尊さ」「環境問題」「国盗り合戦」「差別」「民族問題」「宗教」「パワーゲーム」…と、まあ色々ある。これまで自分自身がプレイしたゲームのシナリオなどを思い返せば何かしらテーマと思われるものがあったはずだ。また、テーマは極力一つに絞った方が良い。作品に複数のテーマを持たせてしまうと何が主軸だったのかわからなくなってしまうからだ。多くても二つまでが限界だろう。更に言えば嚙合せの良いテーマを選ぶのが肝要。上記の例で言えば、「友情&国盗り合戦」というテーマを選べば「相反する敵国に属する友との板挟みで苦悩する主人公を描く」といったメインシナリオが作りやすい。しかし「環境問題&差別」というテーマを設定してしまうとどうにも一つのメインシナリオに落とし込むのが難しい感じがする。また、むやみに「民族問題」や「宗教」に首を突っ込むのも避けた方が良い。社会風刺として刺さる部分も多いが、不特定多数の人間にプレイしてもらうと考えたときに言い回しや表現を考えないといけないデリケートな問題だ。特に日本人は海外と比較して民族・宗教に対しての理解はかなり乏しいと思っておいた方が良い。数あるイベントの一つとして取り上げる程度であれば良いがメインシナリオに据えるならば、しっかりとした知識が必要だ。

このあたりを構想を確定させて、シナリオの全体像が おぼろげになってくる程度であろう。まだまだこれから。シナリオ作りの苦行はイベントを作り始めてからだ。続きは次回。

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ゼノブレイド3 レビュー

2024-10-02 13:28:05 | ゲーム

発売されてから2年も経ち、今更ながらではあるがゼノブレイド3のレビューをする。

本シリーズはPSで発売されたゼノギアスから連なるゼノの系譜をたどる、一応 「ゼノシリーズ」としての位置づけといえる作品である。大人の事情もあってストレートな一連シリーズと評せないところがむずがゆいところだ。ゼノギアスの発売後、ゼノサーガ3部作を発売、その後 本シリーズゼノブレイド3部作へと繋がった。開発はゼノギアス時代から一貫してモノリスソフト(ゼノギアスは厳密にいうとモノリスソフトの前身である、いち開発チームである)であるが発売元はスクウェア→ナムコ→任天堂と遷移しており、まさに大人の事情と察するには十分な背景がある。このように発売元が違う為、ゼノギアス~ゼノブレイドまで直接的なストーリーの繋がりを描くことはないが、要所要所で世界観であったり用語であったりと薄く 薄く、繋がっている部分がある。このように さも知っているかのような口ぶりで書いているが、自分自身としてはゼノシリーズとはほぼ無縁のゲーム生活を送っており、ゼノブレイド2以外は未プレイと言っても良い。youtubeやネットのストーリー考察サイトで全体的なイメージを掴んだだけの にわか者である。しかしこれらの情報収集したことで本シリーズの奥深さやシナリオのクオリティに興味を惹かれ今回ゼノブレイド3のプレイに至ったというところだ。

前作ゼノブレイド2の終盤で明かされた真相は中々衝撃的であった。ストーリー的に交わらないゼノブレイド1と2の接点が描かれたのだ。そういった伏線があった中で、3のシナリオはどうであったか。結論から言うと正直残念であった。というのも自分が期待していた内容と全く違う方向性のシナリオであったからだ。終始ゼノブレイド3としてのストーリーに固執してしまっているような気がした。折角前作の終盤で1と2を繋ぐ事実を明かしたのだから本作ではそれを補完しゼノブレイドシリーズとしての集大成を描くシナリオとして欲しかったのは自分だけだろうか。本作は1と2の世界観を側面として捉えた3単体の物語なのであった。もちろん本作本編の中でも重要なシーンとして過去作との繋がりに触れることはあったが…。シナリオに求める基本軸がズレていたことは興ざめという他ない。では主軸となった本作単体としてのシナリオはどうであったか?コレについてもあまり好感を持つことが出来なかった。序盤は淡々とシナリオをこなす感じである。軍人と戦争というのが表立った舞台であり人の寿命は10年しか生きられないという世界観であるため、それなりに暗い。しかしもっと暗くシリアスでも良かった。全体的にお子様向けな表現が多く、暗い世界観の割には裏切りや捕縛等の緊迫感を煽るシーンが少ないと感じた。また序盤の流れが冗長すぎた印象がある。全7章構成となるが、物語が動き出すのは中盤(4章)からだ。この辺りから初めてストーリー進行がされたと実感した。極端に言えば1章~3章をキュッと詰め込んで1.5章程度のボリュームで良かったと思う。更に言えばサブクエストやサブシナリオも豊富。それに輪をかけて異常なまでのマップの広さ。これで本編も冗長気味とあっては正直疲れてしまう原因であった。極めつけはラストダンジョンの攻略で8時間近くかかってしまうボリュームである。やりすぎ感は否めない。

戦闘システムは正直かなり忙しい。仲間キャラが7名というのは軍人らしい戦いで、試みとしては悪くないがとにかく画面から得られる情報が多すぎて追いつかない。更にボスの耐久力はそれなりに高く、大技を何発か当てる必要がある。その為には「インタリンク」と「チェインアタック」が必要不可欠であり、通常攻撃と特技の火力はこれらに遠く及ばない。これらを如何にピンポイントな場面で発動させるかがカギになる。こんなことを考えていると とても忙しいのだ。ゼノブレイド2の時も思ったがもっとシンプルでも良いと思う。「敵がこうしてきてから、こう対処する」であったり「敵がこうしてくるであろうから、これをやっておく」というコマンドバトルの基本概念である「一手を重んじる」駆け引きが全く成立しない。とにかく自分のやるべきことが多すぎて、アレしてコレしての大技。というゴリ押しをやっていく感覚だ。こういった大技攻めの戦術を基本とする戦闘システムは「閃の軌跡」と通ずるところがあり、爽快感はあるが、戦闘バランスが大味になってしまう上に通常攻撃の存在意義が問われる問題となりえる。雑魚戦は爽快感重視の流れで良いのだが、個人的にボス戦は敵味方一挙手一投足でせめぎ合うバランスが好ましい。アクション性を優先したのであろうという結果にも思えるが仲間がどこで何をしているか全くわからないという状況になってしまうのは少々お粗末かなと感じてしまう。

ゲームシステムでは、パーティーキャラはクラス(ジョブ)をガンガン回して進めていくものを想定していると思われる。それもあってかクラス変更後は自動で最適化した装備等の設定をしてくれるのだが、これがどうにも最適化されていない。スキルやアクセサリーについても、この選択じゃないんだよなぁという感じだ。(個人的なプレイスタイルとマッチしていないだけかもしれないが)しかしながら雑魚戦とエリアボスを討伐する程度ならばこの自動設定でもやれなくはないが…少々不満であった。

クラスが設定されているのは面白い。FFのジョブ、ドラクエの職業のような感覚で楽しめる上に衣装もちゃんと用意されているのは良い配慮だ。クラスランクもストレスなく上がっていくため、FF5のようにマスターするまで時間を目一杯要するという事態も回避できている。しかしながら新たに解放されるクラスが仲間の一人にしか解放されず、他のキャラクターは経験値を積上げないとクラス変更できないという仕様は頂けない。クラスが解放されるまでがそれなりの時間をかけなければならなく、アンバランスになっているように見受けられる。

楽曲は正直なところ敢えて取り上げる必要もないかと思う程 凡作であった。世界観自体がそれなりにシリアスなので、それに伴った楽曲が多い。そう言った意味では世界観とはマッチしたものであったがコレは良いという楽曲はなかった。相対的には良いが、絶対的には不可 という具合か。逆にゼノブレイド2は世界観にマッチしていなかったが楽曲一つひとつのレベルはそれなりに高かった。

グラフィックはゼノブレイド2から様相を変えてトゥーンシェイドに寄せた仕上がりになった。個人的にはフルCGとアニメーションの間に位置するこの技法は好きな為、見栄えとしても納得できるものであった。また敵やら味方やら、マップやらとオブジェクトの数が半端じゃない本作において全く処理落ちしていない点は天晴れである。PSやXBOXの同世代マシンと比較しても性能で格が下がるswitchで、ここまでハイスペックな作品を仕上げたのは技術力の高さを伺わせる。

操作性・快適性は文句なし。特にカーナビとも思えるナビゲーションシステムを取り入れたのは革命的と言っても過言ではない。本シリーズのウリはオープンワールドと言っても遜色のないマップの広さであるが、横(平面)のマップに加えて縦のマップも作りこまれている。横の広さはマップ画面で認知することはできるが、縦のマップはレイヤーなどが重なって非常に見ずらい。ゼノブレイド2の時もそうであったが今作もやはりレイヤーが重なる場面はマップで位置情報を理解するのは難儀である。ゆえに目的地はわかっているがどうやって辿り着けばよいかわからない、というのがゼノブレイド2の常であり、個人的には爆発寸前のストレスであった。そういったプレイヤーへの配慮か、今作では次の目的地までキャラクターが辿りつくための道筋を視覚的に導き、懇切丁寧にナビしてくれるのだ。あさっての方向に走って行ってもタイムリーに道筋が書き換わり案内してくれる。まさにカーナビそのものである。またこのナビゲーションはクエストの対応も可能でクエスト進行を目的とした場合、クエストの進行方向を誘導してくれる。技術的なことは全くわからないが、こういった仕組みを実装するには相当の苦労があったのではないだろうか。更にキーレスポンスやロードといった点でのストレスもなく、いつでもセーブが出来てオートセーブも有能である。本作をやる前にプレイしていたのが「百英雄伝」であっただけに本当に同じswitchの作品なのかと疑問に思えてしまう程であった。

操作性辺りの環境は抜群に整っているにもかかわらず、本作への熱中度(いわゆるハマり方)は低かった。短時間プレイですぐに飽きがくると言えば良いか…。個人的な理由としてはストーリーの進めさせ方に問題があるように感じた。まずイベントシーンが無駄に長い。キャラやシナリオの掘り下げをしていくのは良いがどうにも魅せ方が上手ではなくダラダラとイベントを見せる作りになっている。2~3つ程度のイベントシーンをこなすと既にお腹いっぱいになってしまうのである。またイベントシーンが終え、ストレートに目的地に向かったとして10分後にはまたイベントシーン。基本的には終始コレの繰り返しである。メリハリがなく冗長化していることで次に進めたくなる意欲が湧きづらかった。(この傾向はゼノブレイド2の時点でも見受けられるものであった。)実はこの熱中加減というのは非常に重要であり、感覚的な評価となってしまう点なのだが、それゆえに感覚的にこのゲームが「楽しかった」か「つまらなかった」かを決するポイントでもある。その視点から考えると興味を引く作り方をしていなかったのは残念と言わざるを得ない。

さてまとめに入るが、結局のところ可なのか不可なのかと問われると「不可」と言わざるを得ない。上述したようにシナリオの軸が、個人的に求めていなかったものだからであり、それが全てだ。正直本作の本編だけを楽しむのであれば前作までをプレイする必要性もないと感じた。(それはそれで単体の作品精度としては褒めるべき点ではあるが…)また、DLCで「新たなる未来」という外伝がある。調べてみると むしろこちらの方が自分自身が求めるシナリオに近いらしい。この事実を知り よりガッカリ感が増幅した。こっちを本編にしてくれればなぁ…と。正直なところゼノブレイド3本編こそ後日談としての扱いで良い気がする。まあ、悪態は期待の裏返しかと思うのであれば、それだけ練り込まれた世界観であったのだと改めて感心する。そもそも曲がりなりにも100時間近く遊べた作品である。決してつまらないという作品でなかったことはこれだけでも十分な根拠となるし、作りこみという視点で見れば、本作ほど丁寧に作りこまれている作品もそうそうない。FFだったらこれだけ作り込むのに何年かかるんだという領域の所業であるが、前作から4年でここまで作り上げるのは見上げたものだ。個人的にはどうしてもネガティブな感想となってしまったが超大作といっても過言ではない作りこみと品質を保証できる作品であった。
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シナリオを考えること_1

2024-09-16 17:29:53 | ゲーム

ツクールにおける重要な要素。シナリオについて考えてみることにする。

ゲームを作るにあたり、やはりゲーマーとしてはシステムに重点を置き面白くしたいものだ。やはりシステム領域の幅の広さこそゲームらしさが出るし作っている感がある。しかしながら本家本元のゲーム会社のようにシステムを充実させたゲームを作るのは中々難しい。ツクールのデフォルト機能ではやはりSFC程度、凝りに凝ってもPS初期程度のゲームシステムが関の山だ。もちろんスクリプトやプラグインを盛り込めば拡張性はあるが、盛り込むにはある程度の知識は必要であり自分のようなプログラム素人には用意されたコードを実装するのも難しい。結局は専門的分野という他ない。

そういった専門分野であっても自分なりに勉強して理解して実装まで辿り着ける人は素晴らしい人だ。自分はゲーム自体を仕上がる程度の根気はあったが専門分野にまで飛びついて理解してやろうという程の根気はなかった。だからシナリオにはある程度こだわった。そう ゲーム作りはシステム充実だけではない、シナリオも大事なのだ。しかしこの考え方もまた難しく、ただ単純にシナリオだけを追求させるなら自作の小説でも良い。ゲームにする必要はないである。だからゲームのシナリオは小説では体験できない要素を入れ込んだシナリオを作らなければならない。まあそれがキャラクターが強くなっていくや、視覚的な演出を施すという点になってくるのであるが。こういった最低限のゲーム性を担保すれば後はシナリオに集中するだけである。

シナリオは想像力を膨らませ自分自身がワクワクする内容を作る必要がある。これといったコツなんてものはない。ただ言えることは、悪い魔王がいて世界征服を目論んでおりそこに救世主が現れて旅立つ。なんて今時ナンセンスなシナリオは世に出すだけ無駄である、ということは言わなくてわかっていると思う。もし大まかな概要がそうであってとしてもプレイヤーを引き込む仕掛けは必要だ。例えば「魔王は未来から来た主人公自身であった」であったり、「道中の旅で仲間の9割は悲壮な最期を遂げる」であったり、「信じていた仲間に裏切られまくる」であったりと。結局のところプレイヤーに「どうなるんだ、これから」と思わせる展開が必要だということだ。そういうハラハラドキドキを持たせためには、やはりダークやシリアス路線で攻めると作りやすいかなと思う。やりすぎると胸糞悪いので塩梅は重要だが。

またストレートなファンタジー路線ではなく、国家や戦争ものを描くなら、歴史を学ぶことは大変面白い。しかも学んだことはゲームのシナリオ作りのヒントになるのだ。実は今日の本題はココである。

自分はRPGジャンルのゲームが好きだが、それと同じくらい歴史番組を見ることが好きだ。学生の頃から嫌いな方ではなかったが大人になると格段好きになった。かく言うRPGのシナリオのソレはやはり歴史の戦争をなぞることが多い。特に大陸覇権を争うシナリオだと顕著だ。

下手なシナリオのRPGをプレイするくらいなら史実に基づいた歴史番組を見たほうがよっぽど楽しかったりする。では日本史か世界史、どちらが楽しいかと言うと断然日本史だ。世界史は登場人物と国家が多くて混乱する。とにかくわかりづらい。日本史は島国という狭い世界の中で覇権を争うため領土的なスケールは小さいが、ただやっていることは世界史だろうが日本史だろうが国盗り合戦なのだからそう変わらない。であれば飲み込みやすい国内歴史の方が良いに決まっている。

話は逸れたがとにかく日本史を学べば、戦というものがどういうきっかけで始まるのか、わかってきたりする。こういう事象を参考にしてゲーム制作にヒントにするのは悪くない方法だ。例えば新撰組をモチーフにしたRPGなんて言うのも面白い。まあ新撰組自体が最後は敗れて散っていく組織であるため、子供を対象にしたRPGでは敗北する主人公のゲームなんてものは発売されないが。個人的にはそういう作品があって欲しいなとも思う。新撰組と近しい経過と末路を辿らせたアニメがある。それはガンダム鉄血のオルフェンズだ。このアニメは良かった。SF版の新撰組かと思えるほど、彼らのたどる末路は新撰組と通づるものがあり、そして面白かった。

新撰組の持つテーマとして「揺るがない武士道精神」というものがある。特に多摩の百姓達である彼らが武士に憧れを持つがゆえに武士道精神という筋を通す。ここに肝がある。また「忠臣は二君に仕えず」という生き方も武士道精神に通じている。徳川幕府は既にまともに機能されていないとされながらも一度武士として仕えた以上、最後まで仕える。涙が止まらない。結局 彼らはそこまで身を挺して仕えた徳川幕府に尻尾切りさせられ壊滅させられるのだが、そこがまた彼らの「散りゆく美学」が詰まっているのである。いや本当にシナリオなど考えなくても史実だけでも十分面白い。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。

ただしこういった戦争ものを描くのも正直大変である。偉そうなことを言っている自分でも出来ていない。戦争紛争は自国の利益を追求する手段であり、政治家や思想家、宗教、国民などの思惑が複雑に絡み合って発するものである。事細かに描こうとすればするほど登場人物は多くなりシーンを用意しなければならない。これは大変である。大河ドラマの公式HP等で登場人物の相関図などを見てみれば良い。あれだけのキャラクターに役割を与えなければならないのは容易なことではない。また主人公チームをどの立場で描くのかも重要だ。王様なのか政治権力者なのか一般人なのか、第三勢力の立場なのか等。これも歴史を知っておかなければ描けない点であろう。更に言うならば戦争である以上、主人公も綺麗ごとは言ってられない。血で血を洗うことが戦争なのだから、多かれ少なかれ手を汚す場面を作らなければ矛盾が出てくることは必至であり、理想を掲げながらも偽善者である側面を主人公に持たさなければ厚みがなくなってしまうだろう。やはりどうしても主人公はクリーンであり清廉潔白なキャラクターで描きたいのであれば、救いようのない悪者がいて正義100%で対峙する主人公がいるという構図のファンタジー路線で行くのが無難だ。個人的にはこんな物語の何が面白いのか不思議であるが、まぁシナリオの常ではある。

また別の角度から良いシナリオとはどういったものかという見方をすると、「面白いシナリオは本編にあらず、本編の過去の話に重きを置いている」という考え方が出来るように思える。例えばゼノブレイドで考えると個人的にゼノブレイド自体の本編(シュルクの物語)はそんなに面白いシナリオとは思えない。モナドを手にした主人公が自分が存在している世界の平和を勝ち取るために冒険に出るという、よくあるシナリオだ。しかしゼノブレイドの肝はモナドの存在であったり、キャラクターが住んでいる世界そのものの物語に厚みがある。まさに本編よりも過去のシナリオである。言わばシュルクは過去の負債を生産するための物語と言って良い。プレイ序盤で過去の真相などはもちろん語られずシナリオを進める中で真実が紐解かれるのだが。こう言ったバックストーリーが本編よりも重圧な作品はいくつかある。ゲームではないが「進撃の巨人」や「鋼の錬金術師」もそうだろう。進撃の巨人はバックストーリーだけではなく本編も中々濃ゆいが、鋼の錬金術師の本編自体は単純に兄弟の失われた体を取り戻すための旅である。本編にバックストーリーとなる世界観を上手に紐づけすると良いシナリオだなぁと思うことが多い。なに当たり前のこと言ってるんだ、と思われてしまえば それまでだが今一度このことを考えてみてもらえると嬉しい。

もちろんこの理屈に限らず本編が素晴らしいゲームもある。「幻想水滸伝2」なんかは世界観も素晴らしいが何よりも本編の出来が良すぎてしまっているという例もある。

いずれにしても「過去」があって「現在」があるわけで、過去の設定をしっかりとした土台として作り上げなければ魅力的な「現在:本編」を描くのは難しいのかと思われる。シナリオを作る際は是非とも過去の歴史から考えましょう。

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RPGツクールについて3

2024-09-12 14:34:05 | ゲーム

前回はマップの作成について、苦手ならば落ちている素材や購入素材を活用すれば良いと書いた。マップだけではなくスキルアニメーションも同様である。スキルアニメーションも自作できるがこれもやはりセンスと適正が求められる作業であり、こういった職人領域となる作業は自分は異常なまでに苦手である。ゆえにそもそも作ろうという意志さえ出なかったものだ。ただでさえ苦行となる作業が多いツクール活動。苦手なところまで馬鹿正直にやっていったらキリがない。外で済ませるものは外で済ました方が良い。

しかしながら そうもいかないこともある。例えば戦闘バランスの調整などが挙げられる。少なくとも自分が知っている限り戦闘バランス調整等を行ってくれる素材屋はないので、ここは自力でこなしていくしかない。幸いにも自分は感覚的に調整をしていったら悪くないバランスとなった為、ここについて苦労することはなかった。しかし苦労してもおかしくない難所ではあるはずだ。例えばキャラクターAのレベルが上がるとHP、攻撃力、防御力等のステータスが上昇するのは当たり前である。それに加えて装備などを施すことでよりステータスが上昇するというのは一般的な建付けだ。こうすることで今まで50しか与えられなかったダメージが75与えられるようになる。この時始めてキャラクターAは強くなったとプレイヤーに実感させることが出来るのだ。しかし、物語が進めば敵も強くしなければならない。ダメージを75与えられていた敵も強くすれば与えられるダメージも減ってしまう。極端な話、次のダンジョンで無鉄砲に敵の強化を図ると、キャラクターAの与えられるダメージはまた50に戻ってしまう。という事象が発生し得るのだ。装備を手に入れて75にダメージ増となっても、またまた50ダメージに戻って、の繰り返し…。もちろんこれは極論ではあるが、上手に調整しなければキャラクターAの強さを実感出来ないイマイチ爽快感に欠けるゲームとなる。ツクール内ではダメージ計算値は設定可能であるため、ある程度の倍率算出となることを念頭に検討したほうが良い。

また倍率計算での戦闘バランスの調整が難しいのであれば、いっそのこと敵の防御力を全員0設定にすればよい。そうすると防御力倍率と敵HPとの差引バランスを考えずに済む。キャラクターAの攻撃力=与えられるダメージ数値とすればより戦闘バランスは明快になる。敵を頑丈にする場合はHPを純粋に増やしていけば良いのだから戦闘バランスはかなり調整しやすくなるはずだ。

次に町や村を作ったのであれば、そこに住む人達(村人)の存在意義についても考えて欲しい。RPGであれば村→ダンジョン→村という一般的な流れがある。ゲーム制作をしていると、この村にいる人間たちが厄介であることに気付く。所謂エキストラ的な村人の会話文を用意するというのは仕掛かってみると存外苦労する。単純に何を主人公に話させればよいのだろう?という観点である。本編に絡む発言をさせたいのであればエキストラではなくイベントキャラクターとして用意したいし、かといって「ここは〇〇の村です」だなんてしょうもないことを用意するのは時間の無駄である。また、たまに見かける作品の手法でシナリオ本編の側面を補完する発言をもたす村人。これについては村人の役割として上手な使い方であるが、個人的に好きな手法ではない。そもそもRPGをプレイするスタイルとして村の散策や村人に話しかけるという行動を実行しない自分の性質がこの件でのストレスの要因になっていると思われる。村人はおろか野良犬などの動物にも話しかける、民家に入ってはタンスやら引き出しをくまなく調べる。こういった友人がいるのだが、全くもって理解に苦しむ。本編シナリオさえしっかりと作りこんでくれれば寄り道などのサブイベントはなくて良いと思うのが個人的な好みだ。だから村人の会話に躓くのだ。必要な情報を持っていないが、意味のない情報も与えない。これが村人の鉄則であろうと考える。こういった事情もあり自分は村人を以下のように扱った。まず村人のマップがありながらも村人がいない村はかなり寂しいので、オブジェクトとして村人を配置する。そいつらは存在するだけで会話文は用意しない。10人の村人がいれば2人だけエキストラな会話を用意する。これだけでもストレスは大幅に軽減できた。また 他のやり方も考えられる。そもそも村のマップなどは用意せず、一枚絵の背景を用意して村の機能として必要なショップだけを用意すればよい。「武具屋」「道具屋」「酒場」のように選択式にするのだ。村人オブジェクトもつくらずに済むFFタクティクスのように非常にスリムな村が仕上がる。ただし、その一枚絵はどこから調達するのか?という問いについては、残念ながら答えを持ち合わせていない。それこそ素材屋か何かで調達するのが無難であろう…。

今回はストレスや苦手分野の作り込みをどうするかという観点から、「素材屋の使い方」「戦闘バランスの調整法」「村人の存在意義」について記述した。次回はシナリオについて語りたいと思う。

 

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