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シナリオを考えること1

2024-09-16 17:29:53 | ゲーム

ツクールにおける重要な要素。シナリオについて考えてみることにする。

ゲームを作るにあたり、やはりゲーマーとしてはシステムに重点を置き面白くしたいものだ。やはりシステム領域の幅の広さこそゲームらしさが出るし作っている感がある。しかしながら本家本元のゲーム会社のようにシステムを充実させたゲームを作るのは中々難しい。ツクールのデフォルト機能ではやはりSFC程度、凝りに凝ってもPS初期程度のゲームシステムが関の山だ。もちろんスクリプトやプラグインを盛り込めば拡張性はあるが、盛り込むにはある程度の知識は必要であり自分のようなプログラム素人には用意されたコードを実装するのも難しい。結局は専門的分野という他ない。

そういった専門分野であっても自分なりに勉強して理解して実装まで辿り着ける人は素晴らしい人だ。自分はゲーム自体を仕上がる程度の根気はあったが専門分野にまで飛びついて理解してやろうという程の根気はなかった。だからシナリオにはある程度こだわった。そう ゲーム作りはシステム充実だけではない、シナリオも大事なのだ。しかしこの考え方もまた難しく、ただ単純にシナリオだけを追求させるなら自作の小説でも良い。ゲームにする必要はないである。だからゲームのシナリオは小説では体験できない要素を入れ込んだシナリオを作らなければならない。まあそれがキャラクターが強くなっていくや、視覚的な演出を施すという点になってくるのであるが。こういった最低限のゲーム性を担保すれば後はシナリオに集中するだけである。

シナリオは想像力を膨らませ自分自身がワクワクする内容を作る必要がある。これといったコツなんてものはない。ただ言えることは、悪い魔王がいて世界征服を目論んでおりそこに救世主が現れて旅立つ。なんて今時ナンセンスなシナリオは世に出すだけ無駄である、ということは言わなくてわかっていると思う。もし大まかな概要がそうであってとしてもプレイヤーを引き込む仕掛けは必要だ。例えば「魔王は未来から来た主人公自身であった」であったり、「道中の旅で仲間の9割は悲壮な最期を遂げる」であったり、「信じていた仲間に裏切られまくる」であったりと。結局のところプレイヤーに「どうなるんだ、これから」と思わせる展開が必要だということだ。そういうハラハラドキドキを持たせためには、やはりダークやシリアス路線で攻めると作りやすいかなと思う。やりすぎると胸糞悪いので塩梅は重要だが。

またストレートなファンタジー路線ではなく、国家や戦争ものを描くなら、歴史を学ぶことは大変面白い。しかも学んだことはゲームのシナリオ作りのヒントになるのだ。実は今日の本題はココである。

自分はRPGジャンルのゲームが好きだが、それと同じくらい歴史番組を見ることが好きだ。学生の頃から嫌いな方ではなかったが大人になると格段好きになった。かく言うRPGのシナリオのソレはやはり歴史の戦争をなぞることが多い。特に大陸覇権を争うシナリオだと顕著だ。

下手なシナリオのRPGをプレイするくらいなら史実に基づいた歴史番組を見たほうがよっぽど楽しかったりする。では日本史か世界史、どちらが楽しいかと言うと断然日本史だ。世界史は登場人物と国家が多くて混乱する。とにかくわかりづらい。日本史は島国という狭い世界の中で覇権を争うため領土的なスケールは小さいが、ただやっていることは世界史だろうが日本史だろうが国盗り合戦なのだからそう変わらない。であれば飲み込みやすい国内歴史の方が良いに決まっている。

話は逸れたがとにかく日本史を学べば、戦というものがどういうきっかけで始まるのか、わかってきたりする。こういう事象を参考にしてゲーム制作にヒントにするのは悪くない方法だ。例えば新撰組をモチーフにしたRPGなんて言うのも面白い。まあ新撰組自体が最後は敗れて散っていく組織であるため、子供を対象にしたRPGでは敗北する主人公のゲームなんてものは発売されないが。個人的にはそういう作品があって欲しいなとも思う。新撰組と近しい経過と末路を辿らせたアニメがある。それはガンダム鉄血のオルフェンズだ。このアニメは良かった。SF版の新撰組かと思えるほど、彼らのたどる末路は新撰組と通づるものがあり、そして面白かった。

新撰組の持つテーマとして「揺るがない武士道精神」というものがある。特に多摩の百姓達である彼らが武士に憧れを持つがゆえに武士道精神という筋を通す。ここに肝がある。また「忠臣は二君に仕えず」という生き方も武士道精神に通じている。徳川幕府は既にまともに機能されていないとされながらも一度武士として仕えた以上、最後まで仕える。涙が止まらない。結局 彼らはそこまで身を挺して仕えた徳川幕府に尻尾切りさせられ壊滅させられるのだが、そこがまた彼らの「散りゆく美学」が詰まっているのである。いや本当にシナリオなど考えなくても史実だけでも十分面白い。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。

ただしこういった戦争ものを描くのも正直大変である。偉そうなことを言っている自分でも出来ていない。戦争紛争は自国の利益を追求する手段であり、政治家や思想家、宗教、国民などの思惑が複雑に絡み合って発するものである。事細かに描こうとすればするほど登場人物は多くなりシーンを用意しなければならない。これは大変である。大河ドラマの公式HP等で登場人物の相関図などを見てみれば良い。あれだけのキャラクターに役割を与えなければならないのは容易なことではない。また主人公チームをどの立場で描くのかも重要だ。王様なのか政治権力者なのか一般人なのか、第三勢力の立場なのか等。これも歴史を知っておかなければ描けない点であろう。更に言うならば戦争である以上、主人公も綺麗ごとは言ってられない。血で血を洗うことが戦争なのだから、多かれ少なかれ手を汚す場面を作らなければ矛盾が出てくることは必至であり、理想を掲げながらも偽善者である側面を主人公に持たさなければ厚みがなくなってしまうだろう。やはりどうしても主人公はクリーンであり清廉潔白なキャラクターで描きたいのであれば、救いようのない悪者がいて正義100%で対峙する主人公がいるという構図のファンタジー路線で行くのが無難だ。個人的にはこんな物語の何が面白いのか不思議であるが、まぁシナリオの常ではある。

また別の角度から良いシナリオとはどういったものかという見方をすると、「面白いシナリオは本編にあらず、本編の過去の話に重きを置いている」という考え方が出来るように思える。例えばゼノブレイドで考えると個人的にゼノブレイド自体の本編(シュルクの物語)はそんなに面白いシナリオとは思えない。モナドを手にした主人公が自分が存在している世界の平和を勝ち取るために冒険に出るという、よくあるシナリオだ。しかしゼノブレイドの肝はモナドの存在であったり、キャラクターが住んでいる世界そのものの物語に厚みがある。まさに本編よりも過去のシナリオである。言わばシュルクは過去の負債を生産するための物語と言って良い。プレイ序盤で過去の真相などはもちろん語られずシナリオを進める中で真実が紐解かれるのだが。こう言ったバックストーリーが本編よりも重圧な作品はいくつかある。ゲームではないが「進撃の巨人」や「鋼の錬金術師」もそうだろう。進撃の巨人はバックストーリーだけではなく本編も中々濃ゆいが、鋼の錬金術師の本編自体は単純に兄弟の失われた体を取り戻すための旅である。本編にバックストーリーとなる世界観を上手に紐づけすると良いシナリオだなぁと思うことが多い。なに当たり前のこと言ってるんだ、と思われてしまえば それまでだが今一度このことを考えてみてもらえると嬉しい。

もちろんこの理屈に限らず本編が素晴らしいゲームもある。「幻想水滸伝2」なんかは世界観も素晴らしいが何よりも本編の出来が良すぎてしまっているという例もある。

いずれにしても「過去」があって「現在」があるわけで、過去の設定をしっかりとした土台として作り上げなければ魅力的な「現在:本編」を描くのは難しいのかと思われる。シナリオを作る際は是非とも過去の歴史から考えましょう。

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RPGツクールについて3

2024-09-12 14:34:05 | ゲーム

前回はマップの作成について、苦手ならば落ちている素材や購入素材を活用すれば良いと書いた。マップだけではなくスキルアニメーションも同様である。スキルアニメーションも自作できるがこれもやはりセンスと適正が求められる作業であり、こういった職人領域となる作業は自分は異常なまでに苦手である。ゆえにそもそも作ろうという意志さえ出なかったものだ。ただでさえ苦行となる作業が多いツクール活動。苦手なところまで馬鹿正直にやっていったらキリがない。外で済ませるものは外で済ました方が良い。

しかしながら そうもいかないこともある。例えば戦闘バランスの調整などが挙げられる。少なくとも自分が知っている限り戦闘バランス調整等を行ってくれる素材屋はないので、ここは自力でこなしていくしかない。幸いにも自分は感覚的に調整をしていったら悪くないバランスとなった為、ここについて苦労することはなかった。しかし苦労してもおかしくない難所ではあるはずだ。例えばキャラクターAのレベルが上がるとHP、攻撃力、防御力等のステータスが上昇するのは当たり前である。それに加えて装備などを施すことでよりステータスが上昇するというのは一般的な建付けだ。こうすることで今まで50しか与えられなかったダメージが75与えられるようになる。この時始めてキャラクターAは強くなったとプレイヤーに実感させることが出来るのだ。しかし、物語が進めば敵も強くしなければならない。ダメージを75与えられていた敵も強くすれば与えられるダメージも減ってしまう。極端な話、次のダンジョンで無鉄砲に敵の強化を図ると、キャラクターAの与えられるダメージはまた50に戻ってしまう。という事象が発生し得るのだ。装備を手に入れて75にダメージ増となっても、またまた50ダメージに戻って、の繰り返し…。もちろんこれは極論ではあるが、上手に調整しなければキャラクターAの強さを実感出来ないイマイチ爽快感に欠けるゲームとなる。ツクール内ではダメージ計算値は設定可能であるため、ある程度の倍率算出となることを念頭に検討したほうが良い。

また倍率計算での戦闘バランスの調整が難しいのであれば、いっそのこと敵の防御力を全員0設定にすればよい。そうすると防御力倍率と敵HPとの差引バランスを考えずに済む。キャラクターAの攻撃力=与えられるダメージ数値とすればより戦闘バランスは明快になる。敵を頑丈にする場合はHPを純粋に増やしていけば良いのだから戦闘バランスはかなり調整しやすくなるはずだ。

次に町や村を作ったのであれば、そこに住む人達(村人)の存在意義についても考えて欲しい。RPGであれば村→ダンジョン→村という一般的な流れがある。ゲーム制作をしていると、この村にいる人間たちが厄介であることに気付く。所謂エキストラ的な村人の会話文を用意するというのは仕掛かってみると存外苦労する。単純に何を主人公に話させればよいのだろう?という観点である。本編に絡む発言をさせたいのであればエキストラではなくイベントキャラクターとして用意したいし、かといって「ここは〇〇の村です」だなんてしょうもないことを用意するのは時間の無駄である。また、たまに見かける作品の手法でシナリオ本編の側面を補完する発言をもたす村人。これについては村人の役割として上手な使い方であるが、個人的に好きな手法ではない。そもそもRPGをプレイするスタイルとして村の散策や村人に話しかけるという行動を実行しない自分の性質がこの件でのストレスの要因になっていると思われる。村人はおろか野良犬などの動物にも話しかける、民家に入ってはタンスやら引き出しをくまなく調べる。こういった友人がいるのだが、全くもって理解に苦しむ。本編シナリオさえしっかりと作りこんでくれれば寄り道などのサブイベントはなくて良いと思うのが個人的な好みだ。だから村人の会話に躓くのだ。必要な情報を持っていないが、意味のない情報も与えない。これが村人の鉄則であろうと考える。こういった事情もあり自分は村人を以下のように扱った。まず村人のマップがありながらも村人がいない村はかなり寂しいので、オブジェクトとして村人を配置する。そいつらは存在するだけで会話文は用意しない。10人の村人がいれば2人だけエキストラな会話を用意する。これだけでもストレスは大幅に軽減できた。また 他のやり方も考えられる。そもそも村のマップなどは用意せず、一枚絵の背景を用意して村の機能として必要なショップだけを用意すればよい。「武具屋」「道具屋」「酒場」のように選択式にするのだ。村人オブジェクトもつくらずに済むFFタクティクスのように非常にスリムな村が仕上がる。ただし、その一枚絵はどこから調達するのか?という問いについては、残念ながら答えを持ち合わせていない。それこそ素材屋か何かで調達するのが無難であろう…。

今回はストレスや苦手分野の作り込みをどうするかという観点から、「素材屋の使い方」「戦闘バランスの調整法」「村人の存在意義」について記述した。次回はシナリオについて語りたいと思う。

 

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