名古屋市での企画展「表現の不自由展・その後」がまたまた10月8日に再開されました。これに真っ向から反対する名古屋市の河村市長の言動は日本人として当然の姿であり、真実の一部を隠蔽して報道するマスコミや助成金交付の中止に真っ向から反対する文部科学省の諮問機関の委員である有名大学の教授連の発言~「助成金の交付中止」は「表現の自由」に反しあらゆる文化活動の発展を阻害する暴挙であり断固反対するとは呆れて物も言えません。表現の自由の行使とは無制限に認められるものではなく、「節度」と「常識」が求められその濫用は憲法12条でも禁止されています。 国立である東大を始め、著名な大学の教授連が「表現の自由」をお題目にし、昭和天皇の肖像をバーナーで燃やすような暴挙の映像ですら「表現の自由」だと認めているとすればまさに自国を虐げる歴史観と云わざるを得ません。敗戦直後のGHQの統治に阿諛迎合して大学の要職に就いた人達の思想がいまだに影響し踏襲されているのかと~疑念を抱きました。
歳を重ねると、懐古趣味になるとか云いますが~ 私も例外ではなく、ふと学生時代を懐かしむ事があります。小中をトップで通し、満点も数多く取りましたが、高校に入ると状況が一変しました。県内でも屈指の進学校だったので、成績の順位も下がり、満点とは無縁の状態が長く続きました。理数が苦手のため国立大の受験を諦め、私立の法学部に絞り込んでいた三年時の中間試験で、科目は「古文」でしたが、並み居る秀才達が90点前後の成績なのに、なんと私一人が満点を取ったのです。それが自信となり、難関の私立の法学部に同校で二人だけ、現役合格しました。その後は、平凡な人生でしたが、そんな思い出が私にとっての誇りであり、法学部に入れたことが今も心の支えになっています